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王戎2  哀毀骨立


王戎おうじゅう和嶠わきょうの親がほぼ同時に亡くなった。

二人の服喪は、大いに周囲の称賛を受けた。


何せ王戎は痩せ衰えて立つのもやっと、

和嶠の慟哭ぶりはすさまじいばかり。


二人の様子を見て、武帝さま、劉毅りゅうきに聞く。


「王戎、和嶠のことが気にならんか?

 特に、聞けば和嶠の嘆きぶり、

 半端ないそうではないか」


すると劉毅は応える。


「和嶠はギャン泣きですが、元気です。

 それよりも王戎です。

 哭礼こそしないものの、

 痩せ衰えており、見るに堪えません。


 私からすると、

 和嶠は生気をもっての孝を示し、

 王戎は死を賭しての孝を

 示しているよう思われます。


 陛下、和嶠がこのまま死ぬ、

 という事はないでしょうが、

 王戎はわかりませんよ」




王戎、和嶠同時遭大喪,俱以孝稱。王雞骨支床,和哭泣備禮。武帝謂劉仲雄曰:「卿數省王、和不?聞和哀苦過禮,使人憂之。」仲雄曰:「和嶠雖備禮,神氣不損;王戎雖不備禮,而哀毀骨立。臣以和嶠生孝,王戎死孝。陛下不應憂嶠,而應憂戎。」


王戎、和嶠は時を同じうして大喪に遭い、俱に孝を以て稱えらる。王は雞骨にて床を支え、和の哭泣は禮を備う。武帝は劉仲雄に謂うて曰く:「卿は數しば王、和を省みんか? 聞けるに和の哀苦は禮を過ぐ、人をして之を憂わしめん。」と。仲雄は曰く:「和嶠は禮を備うと雖も、神氣は損われず。王戎は禮を備えずと雖も、哀は骨の立つるを毀ず。臣は以て和嶠を生孝とし、王戎を死孝とす。陛下は嶠の憂に應ぜず、戎の憂に應ずべし」と。


(德行17)




和嶠

夏侯玄かこうげんを慕ってこそいたが、最終的には晋の忠臣として仕えた。その子孫が北斉、隋でも重臣として活躍している。この後も武帝さまの知恵袋として建言しまくってる。


劉毅

東晋末に同姓同名の人がいて(しかもちょう有名人)、非常に混乱させてくる困った人。いやこの人は全く悪くないんだけど。魏の時代に採用された九品官人法のシステム欠陥をしばしば訴えたが聞き入れられなかった。この人の申し出が通れば南朝貴族は、……なんてことにはなりませんですよね、はい。まぁ人事系法制系の方です。

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