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王渾2  スール(姉妹)

王渾おうこんの妻はしょう氏出身、

かの鍾繇しょうようのひ孫にあたる。

字はえん。才知に長け、

また婦女としての徳を大いに備えていた。


また王渾の弟、王湛おうたんに嫁入りした

かく氏との仲が非常に良く、

まるでスール(姉妹)のようであった。


鍾琰が貴門出身だからと言って

郝氏を侮ることもなかったし、

郝氏が賤門出身だからと言って

鍾琰に阿ることもなかった。


王湛の子、王承おうしょうの家では

郝氏が定めた礼法を手本とし、

王渾の家では、

鍾琰が定めた礼法を規範としていた。




王司徒婦,鍾氏女,太傅曾孫,亦有俊才女德。鍾、郝為娣姒,雅相親重。鍾不以貴陵郝,郝亦不以賤下鍾。東海家內,則郝夫人之法。京陵家內,範鍾夫人之禮。


王司徒が婦は鍾氏が女にして太傅が曾孫、亦た俊才にして女德有り。鍾と郝とは娣姒と為り、雅より相い親重す。鍾は貴なるを以て郝を陵さず、郝も亦た賤なるを以て鍾に下らず。東海が家內は、郝夫人が法に則る。京陵が家內は、鍾夫人が禮を範とす。


(賢媛16)




何だこのクソ情報量多い話……


王湛

才気煥発であったが敢えて主張はせずじっとしていた。けれども甥の王済があるときその異才に気付き、大慌てで武帝に推挙、他の人間よりやや遅いタイミングでの士官となった。そのためだろうか、娶った郝氏の家門はやや低い。


郝氏

父親が郝普かくふ。三国時代に呉蜀をふらふらした人と同姓同名で、しばらくはそのひとのことだと思っていたが全然別人らしい。くそっまたこのパターンかよ……太原たいげんのひとで、そこそこの出世しかしなかった。なので王湛と較べると、圧倒的に家格が落ちる人である。

そのへんから敷衍すると「郝氏が定めた礼法」があくまで子の代からの適用であるのに対し、「鍾琰の定めた礼法」は既に夫からも重きを置かれているというのが、このスールの地位の差をどうしようもなく表しているよなあ、と思う。

あと、このエピソードを読むと前エピソードの鍾琰のスタンスが、ほぼほぼガチのプラグマティストなんだろうなぁ、という印象にもなる。さすが鐘会さんの親族である。


王承

パパと同じ位寡欲の人、のはずが永嘉えいかの乱から逃れて東晋入りしたら、司馬睿しばえいの帝位推戴の功績第一位にまでなってる。人間どう転ぶか分かったもんじゃないですね。

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