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恵帝1  皇太子の成長は

和嶠わきょう武帝ぶていさま、かなり仲良し。


ところで武帝さま最大の悩み事といえば、

皇太子、司馬衷しばちゅうの凡愚っぷり。


こいつ本当に大丈夫なのかって、

武帝さま自らテストしたこともあった。

そんな武帝さま、和嶠にある日、言う。


「そろそろ、衷もマシになってきた

 ……んじゃないかな。どうだろう。

 確認してきてはもらえんか?」


なにせ、アレですよ。

司馬衷を皇太子に指名したのは、

他ならぬ武帝さまです。

てことは、司馬衷が皇太子の器じゃない、

と認めるのは、武帝さまの見識が

疑われちまうことにもなり。


そんな確認、ホイホイ変なヤツに

任せらんない訳です。


なので和嶠、司馬衷の様子を確認。

帰ってくる。


「ど、どうだった?」


「だめです」




和嶠為武帝所親重,語嶠曰:「東宮頃似更成進,卿試往看。」還問「何如?」答云:「皇太子聖質如初。」


和嶠の武帝に親重せらる所為るに、嶠に語りて曰く:「東宮は頃に更に成進せるに似たり、卿は試みに往きて看るべし」と。還ぜるに「何如?」と問わば、答えて云えらく:「皇太子の聖質は初の如し」と。


(方正9)




司馬衷

司馬炎の息子。どうしようもない暗愚な人であったが、この人の子(司馬遹しばいつ)が聡明であったため、つなぎとして皇帝にしておこう、という事になった。軽いな、帝位。しかし朝廷内のいざこざによって司馬遹は殺され、あれっそしたらなんでこの人皇帝になってんの? 状態になる。宙ぶらりんな皇統に付け入る隙ができ、楽しい楽しい八王の乱が勃発するわけである。八王の乱中、彼は都合のいい旗頭として振り回されっぱなしであったが、さて、それにどこまでストレスを抱えていたのやら。

あぁ、この人を紹介する時の定型文よろしい名台詞があるな。紹介しておこう。戦乱、凶作によって穀物が失われ、民が飢えていると聞きつけ、かれは「穀物がなければ肉粥を食べれば?」と放言したと言われる。マリー・アントワネットのアレは創作だが、こちらは史書に乗っている。ただし本伝ではなく、その後の史臣評に出る言葉となるため、信憑性は一気に落ちる。司馬衷の場合「結果が最悪だった」というところから、いくらでも評価を引き算してしまっても構わないよう扱われている、的な変数は見ておかないと劉禅を愚帝と笑う人々を笑えなくなりますよ、的には考えておきたいものである。


それにしても司馬炎の発言の、「更に成進せるに似たり」から漂う自信のなさが切なくてヤバい。「成長してる、っぽいよね?」って陛下、そこは頑張って言い切りましょうよ。

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