目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

司馬倫2 帖騎騎射

羊忱ようしんと言う人は非常に貞節ある人だった。


かれが司馬越しばえつの副官として勤めていた頃、

司馬倫しばりんが、例のクーデターを起こした。


晋の中枢を一手に握って

好き放題やった賈南風かなんぷうを倒し、

それ以上に好き放題し始めたのである。


しかも、そんな司馬倫から

「羊忱をうちの部下にしたい」

と打診が来ちゃったもんだから、

さあ大変。


あんなのの部下になったら

ぜってーひどい目に遭う。

羊忱、司馬倫からの使者が

来たことを知ったそばから

鞍もついていない馬に乗り、逃げ出した。


使者にしてみれば、わけがわからない。

羊忱を追う。


すると弓の扱いに長けていた羊忱、

馬に乗りながら、

使者に当てないように威嚇射撃。


うっかり当たる事を恐れた使者、

それ以上は羊忱を追えずにいた。


こうして羊忱は

司馬倫配下になることから免れた。


なお司馬倫は、

その後皇帝を自称したもんだから

総スカンを食らい、殺されている。




羊忱性甚貞烈。趙王倫為相國,忱為太傅長史,乃版以參相國軍事。使者卒至,忱深懼豫禍,不暇被馬,於是帖騎而避。使者追之,忱善射,矢左右發,使者不敢進,遂得免。


羊忱が性は甚だ貞烈たり。趙王倫の相國と為れるに、忱は太傅長史為れば、乃ち以て相國軍事に參ぜんと版さる。使者の卒ち至れるに、忱は深く豫禍を懼れ、暇せず馬に被り、是に於いて帖騎に避る。使者は之を追えど、忱は射を善くし、矢を左右に發たば、使者は敢えて進まず、遂には免るを得る。


(方正19)




羊忱

八王の乱からは逃れられたが、のちの永嘉えいかの乱のときに殺されてる。どこで殺されるのがまだマシだったのか、と言う感じではある。ところで「帖騎」とは鞍も鐙もついていない馬に乗ることであり、かつこの状態で騎射するなど、並の漢人にできる芸当ではない。完全な騎馬民族ムーヴである。泰山羊氏やべえ。


司馬越

八王の乱の最終勝者。結果から言えば勝者側から敗者側にスカウトされたわけである。何の地獄かな?

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?