より放埓に振る舞えた者たちこそ
より「達している」と見なしたわけだ。
中には、
マッパになるものも。
その様子を見て、楽広は笑っている。
「儒の中にあってすら
自ずから楽しき境地は見出せように、
何ともご苦労なことよ!」
王平子、胡毋彥國諸人,皆以任放為達,或有裸體者。樂廣笑曰:「名教中自有樂地,何為乃爾也!」
王平子、胡毋彥國ら諸人は、皆な任放なるを以て達と為し、或いは裸體なる者有り。樂廣は笑いて曰く:「名教が中には自ら樂地有り、何ぞ乃ち爾れるを為さんや!」と。
(德行23)
楽広
八王の乱で司馬穎と司馬乂の間に挟まれて悶々としなきゃいけなかったみたいな生き地獄の末に死んだ人。高くは買われていたのだろうけれども、正直生まれたタイミングがご愁傷さま、としか言いようがない。