彼には二人の子がいた。
ともに幼くして大器の片鱗を見せていた。
楊淮、
そこでふたりのもとに出向き、
子供らを紹介する。
裴頠といえば、品行方正で知られる。
そんな彼は、楊喬の
弁舌さわやかなことを見て、言った。
「楊喬はすぐにそなたレベルに
なりそうだな。そこを行くと、
楊髦はやや出遅れるだろうか」
一方の、楽広。清廉潔白な彼は、
楊髦の深く落ち着いた様子を見て、言う。
「なるほど、楊喬はおやじ殿に
追いつくかもしれんな。
だがきっと、楊髦は
更なる高みにたどり着くだろうよ」
楊淮、二人のコメントを聞き、笑う。
「おいおい、うちの子達の優劣が
そのままそなたらに
はまってくるのではないかね?」
このやり取りを聞いた者たちは、
以下のように評価している。
楊喬は弁舌さわやかとはいえ、
見識にはいささか漏れがある。
そうすると、楽広の評価に
一理ある、と言うより他ない。
もっともその兄弟は、後々には
ともに立身したのだが。
冀州刺史楊淮二子喬與髦,俱總角為成器。淮與裴頠、樂廣友善,遣見之。頠性弘方,愛喬之有高韻,謂淮曰:「喬當及卿,髦小減也。」廣性清淳,愛髦之有神檢,謂淮曰:「喬自及卿,然髦尤精出。」淮笑曰:「我二兒之優劣,乃裴、樂之優劣。」論者評之:以為喬雖高韻,而檢不匝;樂言為得。然並為後出之俊。
冀州刺史の楊淮が二子は喬と髦、俱に總角にして成器を為す。淮は裴頠、樂廣と友して善く、遣りて之を見さしむ。頠が性は弘方なれば、喬の高韻有せるを愛し、淮に謂いて曰く:「喬は當に卿に及ばん、髦は小しく減ずるなり」と。廣が性は清淳にして、髦の神檢有すを愛し、淮に謂いて曰く:「喬は自ら卿に及ばん、然せど髦は尤も精出せん」と。淮は笑いて曰く:「我が二兒の優劣は、乃ち裴、樂の優劣ならんか」と。論者は之を評す。以為えらく、喬は高韻なりと雖も、檢は匝ねからず。樂が言を得たりと為す。然るに並びて後出の俊と為る。
(品藻7)
楊淮、楊喬、楊髦
楊淮は「もしかしたら
しっかし世説新語も劉注も、南朝クラスタだから北朝系名族の扱い軽いよなー。いや仕方ないんですけど。