庾敳さんは、
すると一尺、
ひと文字1.5センチと仮定したら
二十行くらい行くか行かないかで、
ぽん、と荘子を放り投げる。
そして言うのだ。
「全くわしの考えと変わらんわい」
そんな庾敳さん、
べた褒めしている。
あの、荘子の注釈を書いた郭象。
一説には
パクったとされる郭象である。
「あれは、まぁ、
わしにも劣らんだろうさね!」
どんだけの自信やねん、
というやつである。
庾子嵩讀莊子,開卷一尺許便放去,曰:「了不異人意。」
庾子嵩は莊子を讀み、卷を一尺許り開く。便ち放去して曰く:「了にも人が意に異ならず」と。
(文學15)
郭子玄有俊才,能言老、莊。庾敳嘗稱之,每曰:「郭子玄何必減庾子嵩!」
郭子玄は俊才有り、能く老、莊を言ず。庾敳は嘗て之を稱え、每に曰く:「郭子玄は何ぞ必ずしも庾子嵩に減ぜんか!」と。
(賞譽26)
庾敳
まぁあれよね、荘子ってのが、言ってみれば壮大な老子の解説書みたいなもんだから、「老子さえちゃんと読み込んでおけば、おのずと荘子みたいな言葉になっていくよね」的なところではあるんだと思う。かれが老子は読んでいない、とは、どこにも書かれていないわけで。