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庾敳6  庾敳を語る

庾敳ゆがいさんは、どんなふうに

人から見られていたのだろう。


その辺りについての記述が少しある。


とりあえずその外見だが、おでぶ。

身長は 165cm に届かないくらいだったが、

腰回りが 150cm 近くあったそうだ。

本人は常にゆったりとしていたのだが。



そんなかれと、王衍おうえんの弟、王澄おうちょう

かれはあの王衍さん以上の大物、

とも言われていた。


そんな王澄と並び歩めるのは、

庾敳さんくらいしかいない、

そう言われていたのである。



また後世、大体半世紀後くらいのひと、

劉惔りゅうたんにはこう評されている。


「かれのあのおしゃべりっぷりは

 およそ道に即した

 振る舞いとは言えない。


 しかしながら、

 そのひとりそびえたつさまは、

 やはり道に近しい、

 とも言うべきなのかもしれない」




庾子嵩長不滿七尺,腰帶十圍,頹然自放。

庾子嵩が長は七尺に滿たざれど、腰帶は十圍にして、頹然として自ら放ず。

(容止18)


庾中郎與王平子鴈行。

庾中郎と王平子は鴈行す。

(品藻11)


劉尹目庾中郎:「雖言不愔愔似道,突兀差可以擬道。」

劉尹は庾中郎を目すらく:「言は愔愔とし道に似たらずと雖ど、突兀たるは差や以て道に擬せるべし」と。

(品藻58)




ここで庾敳評に突兀という言葉が出てくるのを見ると、やはり彼はあらゆる人から基本的に一定の距離を保っていたのだろうなあ、という感じもする。その中にあって王敦おうとん、王澄、胡毋甫之こむほしとはそれなりに交友があった、という感じだろうか。


王澄

めっちゃ闊達だけど軽薄とか言われている。なお彼はのちに王敦に殺されている。

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