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衛玠1  病身の貴公子

永嘉えいかの乱に際し、多くの貴族らが

建康けんこうに逃れようとした。

衛玠もまた、疎開を志したひとりである。


だが、その逃亡生活でげっそりと

やつれ上がった彼の前には、

ぼうぼうと流れる、長江ちょうこう


衛玠、近似のものに言う。


「何という膨大なる流れだ!

 これを渡ってしまえば、

 もはや後戻りはきくまい。


 この身には、今もなお

 郷愁が強くある。

 渡りたくはない、

 渡りたくはないのだが!」



そんな衛玠、最終的には長江を渡り、

豫章よしょうに到着、

さらにそこから建康に出ようとしていた。


すると、伝説のイケメンが来た!

と、見物人が連なり、

垣根を作りかねない勢いとなった。


もともと病弱であった衛玠、

この見世物状態に耐えきれず、死亡。


人々は言ったそうである。


「見物人共が、衛玠を殺した」


と。




衛洗馬初欲渡江,形神慘悴,語左右云:「見此芒芒,不覺百端交集。苟未免有情,亦復誰能遣此!」

衛洗馬は初に江を渡らんと欲すも、形神は慘悴し、左右に語りて云えらく:「此の芒芒なるを見るに、百端の交集せるを覺ゆ。苟しくも未だ情有すを免ぜらば、亦た復た誰が能く此を遣らんか!」と。

(言語32)


衛玠從豫章至下都,人久聞其名,觀者如堵牆。玠先有羸疾,體不堪勞,遂成病而死。時人謂「看殺衛玠」。

衛玠は豫章より下都に至らんとし、人は久しく其の名を聞かば、觀たる者は堵牆が如し。玠は先に羸疾有り、體は勞に堪えず、,遂には病成りて死す。時の人は謂えらく「看たるもの衛玠を殺す」と。

(容止19)




衛玠

グーグルで検索かけるとまっさきに「四大イケメンの一人」と名前が出てくる。病弱イケメンはご褒美ですね、わかります。あの王導おうどうさまも基本的には「病弱イケメン! はかない! すき!」としか言ってない。

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