というタイミングでの話だ。
この頃
王敦と一緒に
そこで王敦が謝鯤に言う。
「謝鯤よ、やはりわしは
どうにも、
首を垂れることができそうにない」
それを聞き、謝鯤が言う。
「何故そのようにお考えになるのです?
良いではないですか、たった今から
虚心坦懐にお勤めに邁進されれば
よいだけのことではないですか」
そんな謝鯤の説得もむなしく、王敦、
結局仮病を使って
改めて謝鯤、王敦を説得する。
「近ごろ、王敦様の
ご尽力がいかなるものであったのか、
実感を伴っていないものが多いのです。
ならばこそ、王敦様が参内し、
陛下に謁見をすれば、群臣も納得し、
誰もが功績をお認めになるでしょう。
こうして民衆の支持を得、
真心を尽くして陛下を盛り立てれば、
王敦様の功績は、かの
匹敵するものとなり、その名声は、
千年先にすら鳴り響きましょうましょう」
謝鯤のこのアドバイスを、
当時の人間たちは名言だと言った。
なおry
謝鯤為豫章太守,從大將軍下至石頭。敦謂鯤曰:「余不得復為盛德之事矣。」鯤曰:「何為其然?但使自今已後,日亡日去耳!」敦又稱疾不朝,鯤諭敦曰:「近者,明公之舉,雖欲大存社稷,然四海之內,實懷未達。若能朝天子,使群臣釋然,萬物之心,於是乃服。仗民望以從眾懷,盡沖退以奉主上,如斯,則勳侔一匡,名垂千載。」時人以為名言。
謝鯤の豫章太守為るに、大將軍に從いて下り石頭に至る。敦は鯤に謂いて曰く:「余は復た盛德の事を為したるを得ざらん」と。鯤は曰く:「何ぞが為に其を然らんとせんか? 但だ今より已後、日に亡じ日に去らしむるのみ!」と。敦は又た疾を稱し朝ざず、鯤は敦を諭して曰く:「近きにては明公の舉、大いに社稷を存せんと欲せると雖も、然して四海の內、實懷は未だ達せず。若し天子に朝す能わば、群臣をして釋然たらしめ、萬物の心は是に於いて乃ち服さん。民望に仗りて以て眾の懷きたるに從い、沖退を盡くし以て主上を奉ずべし。斯くの如くんば、則ち勳は一匡に侔しく、名を千載に垂さん」と。時人は以て名言と為す。
(規箴12)
腐名を千載に垂らしちゃってますね。なお「盛德之事」とは、「君側の奸を排除する」の意味であり、要は東晋政権がクソなので「皇帝の目を覚まさせるために」朝廷をぶん殴ります、の意。
一匡
論語で管仲を褒め称えた言葉。「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜;微管仲,吾其被髮左衽矣!」管仲のお陰で桓公は覇者たり得、天下を「匡す」に至った。このため民も蛮族の風習に染まらずにおれた、とする言葉。そこから転じて管仲のことを指すようになったそーである。何と言うか、「はいはいそうなんですねー(ニッコリ)」とだけ思えるようになってきたぞ。ぼくもおとなになってきたもんだ(棒)。