ある暑い日、
おりしも庾亮、政務の真っただ中。
「おいおい庾亮殿、このクソ暑い日に
そう頑張らずとも良かろうに。
少しは楽をなさい」
すると庾亮は言う。
「貴方のそういうテキトーなところ、
みんないらついてますよ」
丞相嘗夏月至石頭、看庾公。庾公正料事。丞相云:「暑、可小簡之。」庾公曰:「公之遺事、天下亦未以為允。」
丞相は嘗て夏月に石頭に至り、庾公を看る。庾公は正に事を料る。丞相は云えらく「暑かりしに、之を小しく簡とすべし」と。庾公は曰く「公の事を遺せるに、天下は亦た未だ以て允しと為さざるなり」
(政事14)
このエピソードは庾亮か庾冰で迷ったのだが、考えてみりゃ弟のほうは「公」爵になってませんでしたね。王導が晩年に手抜き政治をやっていたという部分からすれば庾冰が執政していた頃とした方がタイムライン的にすっきりする、んですが。まーこう言うのは読んで楽しい方に解釈すればよろしい。
304 王導9 耄碌宰相
まともに職務を執っていなかった。
封のされた文書も、中も見ずに裁可する。
ある日、王導さまは嘆じて言う。
「わしのことを皆が耄碌した、と言う。
なあに、のちにこの耄碌を
懐かしく思うであろうよ」
丞相末年、略不復省事。正封籙諾之。自嘆曰:「人言我憒憒、後人當思此憒憒!」
丞相の末年、略ぼ復た事を省ず。正に封籙し之を諾す。自ら嘆じて曰く「人は我が憒憒たるを言うも、後の人は當に此の憒憒たるを思うべし」と。
(政事15)
末期だと蘇峻の乱のあと、地方長官として中央から引っ込んでいた頃ですね。引き際の上手いジジイだわ。