王導22 劉王喬を思う
王導さまが司徒、
つまり人臣の極みに立った時のこと。
思わず王導さま、嘆息した。
「劉疇さまが建康に
おいでであったならば、
わしのみが三公に任じられる、
などという事もなかったであろうにな」
王丞相拜司徒、而嘆曰:「劉王喬若過江、我不獨拜公。」
王丞相の司徒を拜せるに、嘆じて曰く「劉王喬が若し江を過らば、我れ獨り公を拜さざるなり」と。
(賞譽61)
劉疇
西晋末期、西晋のラストエンペラー、愍帝司馬鄴を推戴した人物。相当人望があったようで、あの蔡謨さん(物理系ポケモン)が「あの人が宰相になってくれていたら東晋も素晴らしい国になっていたのになあ」と嘆息するレベルの人物であったという。つまりこの人が東晋に来てたら王導さま思いっきりブッ叩かれてたか、逆に劉疇さんが王敦さんにさっくりと殺されてたかのどっちかですね。つーか彭城劉氏ってことは、一応劉裕もこの人の子孫と自称してオッケーという事になりますね。