確かな溝がある。
能吏、
それを良しとしなかった
従兄の
荊州の長官に任命しようとした。
そして陶侃は、
この話に真っ先に噛みついたのは、
陶侃の属領たちだった。
なんでそんな横暴な
人事されにゃあかんのだ、
と騒ぎ立てる。
怒った王敦、陶侃を殺そうとする。
しかし王敦の参軍であった
これを必死で止める。
こうして陶侃、梅陶に助けられた。
さてそんな梅陶がとある事件に関連して、
王導さまに囚われることになった。
この事態に、陶侃が言う。
「幼イ帝ノ下デ、諸侯ガ
好キ勝手シトンノダ。
梅陶ドノノ罪トヤラモ
ナラ儂モ好き勝手スンド」
そうして
陶侃を前にした梅陶、
感謝のため拝跪しようとした。
だが陶侃、それを止める。
すると、梅陶は言う。
「この梅陶の膝、明日にもまた
曲げさせたいのですか?」
梅頤嘗有惠於陶公、後為豫章太守。有事、王丞相遣收之。侃曰:「天子富於春秋、萬機自諸侯出。王公既得錄、陶公何為不可放?」乃遣人於江口奪之。頤見陶公拜。陶公止之。頤曰:「梅仲真厀、明日豈可復屈邪?」
梅頤は嘗て陶公に惠有り、後には豫章太守と為る。事の有りて王丞相は之を收めさしむ。侃は曰く「天子は春秋に富み、萬機は自ら諸侯より出ずる。王公の既にして錄を得るらば、陶公に何ぞ放つべからざる為らんや?」と。乃ち人をして江口にて之を奪う。頤は陶公に見え拜せんとす。陶公は之を止め、頤に曰く「梅仲真の厀は明日には豈に復た屈せるべからざらんや?」と。
(方正39)
梅って苗字だから本当に人名かよって疑ったけど人名だった。ただ、注には陶侃を助けたのがこの人の弟、つまり梅陶だってことらしいので、ここでは注に寄せました。その方が王陶の懸隔がよりデカくなるからと言う作為的編集です。こうして歴史は捻じ曲げられるのだよ(ドヤ顔)。