どちらもそいつに余念なく、
日々その数を増やしている。
が、どっちがより凄いのか?
そんなことを考える暇人がいたようだ。
ある時、祖約のもとに人が遊びに来た。
祖約、一生懸命お金を数えていた。
客人の到来までに、
全く片付け終わりそうにない。
なので後ろ手に二つのかごを置き、
身体を傾け、懸命に隠そうとする。
いかにもそわそわした風である。
一方で、阮孚だ。
やはり遊びに来る人がいた時に、
かれも一生懸命履物の
メンテナンスをしていた。
溶けたロウを履物に垂らし、
防水加工を施す。
そして、嘆息しながら言う。
「あぁ、この一生のうち、
あとどれだけの履物に
巡りあえるんだろうな……」
のほほんとそんなことを放言する。
このリアクションの差から、
遂に優劣が決まった、そうである。
祖士少好財,阮遙集好屐,並恆自經營,同是一累,而未判其得失。人有詣祖,見料視財物。客至,屏當未盡,餘兩小簏箸背後,傾身障之,意未能平。或有詣阮,見自吹火蠟屐,因歎曰:「未知一生當箸幾量屐?」神色閑暢。於是勝負始分。
祖士少は財を好み、阮遙集は屐を好めるに、並べて恆に自ら經營し、同じく是を一に累ねど未だ其の得失を判ぜず。人の祖に詣でる有り、料を見り財物を視る。客の至るに、屏せて當に未だ盡きず、餘りたる兩なる小簏を背後に箸け、身を傾け之を障じ、意は未だ平らかなる能わず。或るものの阮に詣でる有り、自ら火を吹き屐に蠟せるを見、因りて歎じて曰く:「未だ知らず、一なる生にて當に幾つなる量の屐を箸きたるかを」と。神色は閑暢なり。是に於いて勝負は始めて分かたる。
(雅量15)
祖約
歴史の教科書では結構「