目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

阮孚2  財貨とわらじ

祖約そやくはお金集めが趣味である。

阮孚げんふは履物集めが趣味である。


どちらもそいつに余念なく、

日々その数を増やしている。

が、どっちがより凄いのか?


そんなことを考える暇人がいたようだ。


ある時、祖約のもとに人が遊びに来た。

祖約、一生懸命お金を数えていた。


客人の到来までに、

全く片付け終わりそうにない。

なので後ろ手に二つのかごを置き、

身体を傾け、懸命に隠そうとする。

いかにもそわそわした風である。



一方で、阮孚だ。

やはり遊びに来る人がいた時に、

かれも一生懸命履物の

メンテナンスをしていた。


溶けたロウを履物に垂らし、

防水加工を施す。


そして、嘆息しながら言う。


「あぁ、この一生のうち、

 あとどれだけの履物に

 巡りあえるんだろうな……」


のほほんとそんなことを放言する。

このリアクションの差から、

遂に優劣が決まった、そうである。




祖士少好財,阮遙集好屐,並恆自經營,同是一累,而未判其得失。人有詣祖,見料視財物。客至,屏當未盡,餘兩小簏箸背後,傾身障之,意未能平。或有詣阮,見自吹火蠟屐,因歎曰:「未知一生當箸幾量屐?」神色閑暢。於是勝負始分。


祖士少は財を好み、阮遙集は屐を好めるに、並べて恆に自ら經營し、同じく是を一に累ねど未だ其の得失を判ぜず。人の祖に詣でる有り、料を見り財物を視る。客の至るに、屏せて當に未だ盡きず、餘りたる兩なる小簏を背後に箸け、身を傾け之を障じ、意は未だ平らかなる能わず。或るものの阮に詣でる有り、自ら火を吹き屐に蠟せるを見、因りて歎じて曰く:「未だ知らず、一なる生にて當に幾つなる量の屐を箸きたるかを」と。神色は閑暢なり。是に於いて勝負は始めて分かたる。


(雅量15)




祖約

歴史の教科書では結構「蘇峻そしゅん祖約の乱」と載せられることが多い、蘇峻の乱の片棒担いだ人。けど経緯読むと「お前何したの?」ってぐらい影が薄い。そして世説新語では名士としか扱われていない。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?