こんな評価を受けている。
「あのお方は元々名声があり、
昔の人びとより大いに讃えられ、
今の諸先輩方とも交際がある。
ああ言った方については、
うかつに批評せんほうがいいのだ」
いろいろ含みがありますね桓彝さん。
ではその竺法深、
どんな逸話があるのだろう。
ここで改めて、
一つの逸話を紹介しておこう。
中原から僧侶がやってきたという。
かれはなかなかの論客で、
舞台となる寺には、竺法深や
二人のバトルを観戦する。
テーマは『
仏教の基礎経典の一つと呼ばれるやつだ。
僧侶が論難を吹っ掛ける。
すると支遁、すきっとした語り口で、
あっさりと反駁。みごとやり込める。
この様子を眺めていた孫綽、
おや、と思う。
というのも、竺法深が黙って観戦。
全然茶々を入れようとしない。
なので、聞く。
「竺法深様、珍しいですね。
逆風家のあなたなら、
ふだんはこの手の議論に、
すぐ突っかかっていくじゃないですか」
この孫綽からの言葉に、
竺法深、ふふっと笑うだけだった。
すると凹んだ北来僧を捨て置き、
支遁がコメントする。
「深公は白き
そのお言葉がかぐわしくない、
などと言う事は、確かに、ない。
だが、風上にすらその馥郁なるを
届けられるか、と聞かれれば、
さて、どうなのかな?」
インドにはパーリジャータと言う、
風上にすら香りを届ける花があるという。
つまり支遁さん、自分を
パーリジャータにたとえ、
竺法深がそれには及ばない、
とあてこすったわけだ。
この支遁からの言葉に、
竺法深、ふふっと笑うだけだった。
桓常侍聞人道深公者,輒曰:「此公既有宿名,加先達知稱,又與先人至交,不宜說之。」
桓常侍は人に深公なる者の道えるを聞き,輒ち曰く:「此の公は既に宿名を有し、加えて先達に知り稱えられ、又た先人と交を至らば、宜しく之を說くべからず」と。
(德行30)
有北來道人好才理,與林公相遇於瓦官寺,講小品。于時竺法深、孫興公悉共聽。此道人語,屢設疑難,林公辯答清析,辭氣俱爽。此道人每輒摧屈。孫問深公:「上人當是逆風家,向來何以都不言?」深公笑而不答。林公曰:「白旃檀非不馥,焉能逆風?」深公得此義,夷然不屑。
北來の道人に才理を好みたる有り、林公と瓦官寺にて相い遇し、小品を講ず。時に竺法深、孫興公も悉く共に聽く。此の道人の語りたるは、屢しば疑難を設けど、林公が辯答は清析、辭氣には爽を俱う。此の道人は每に輒ち摧屈さる。孫は深公に問うらく:「上人は當に是れ風に逆いたる家なれば、向に來たるに何ぞを以て都べて言せざるや?」と。深公は笑い答えず。林公は曰く:「白き旃檀は馥からざるに非ざれど、焉んぞ風に逆らう能わんか?」と。深公は此の義を得、夷然として屑さず。
(文學30)
竺法深さんは、まぁ、
色々とめんどい人ではあったようだ。