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庾亮2 ブッダはお疲れ

庾亮ゆりょうさまが寺院、及びその庭園に

訪問した時のことである。


庭園には、ブッダ入滅の時の姿を模した

仏像があった。


つまり、サガットステージのアレだ。


それを見て、庾亮さま、言う。


「このおかたは説法に

 だいぶお疲れのようだな」


その表現を、

みなが名言だともてはやした。




庾公嘗入佛圖,見臥佛,曰:「此子疲於津梁。」于時以為名言。


庾公は嘗て佛圖に入り、臥せる佛を見、曰く:「此の子は津梁に疲れたるなり」と。時のひとは以て名言と為す。


(言語41)




えぇ……そう? ちょっとしたおちょりの気配も感じるんですけど……



日本で見るのはどうしても結跏趺けっかふ坐や半跏はんか坐のが多い。今ざっと調べてみた感じだと「仏の視覚化」と「シッダールタそのものの偶像」のどっちへの信仰に重きをなすか、みたいな話になってくるらしい。


小乗仏教では「シッダールタの教え」そのものに特に重きを置くそうで、そうすると尊崇の念も「仏」という概念ではなく、「シッダールタそのもの」に向けてのものにどうしてもなる。こう言った絡みから、大乗系が広く信仰されてる日本ではなかなか臥仏はお目にかからない。


ちなみに大乗浸透は鳩摩羅什くまらじゅう法華ほっけ経漢語翻訳が大きな契機となっている。つまり鳩摩羅什登場前夜の東晋仏教は小乗教メインだった、という事にもなるわけですな。

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