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祖約   范陽祖氏は名士

書聖、王羲之おうぎし

彼が東晋の諸人物を様々に評価する。


謝万しゃまんについては

「山沢の中にありながら、

 常にその逞しさを増している」と。


支遁しとんについては

「率直な人柄、

 機転の利いた世知」と。


劉惔りゅうたんについては

「気高くそびえておきながらも、

 決して出張ることはない人だ」と。


そして、祖約そやくについては

「毛髪から骨格から、

 あれほどの方とは、

 この世では二度と会えまいな」と。


なお祖約については、息子の王徽之おうきし

「世の中では祖約どのを

 朗らかな方と評している。

 我が一門も、かれについては

 非常に朗らかだ、と評している」

と、語っている。


さて祖逖そてきの弟、蘇峻祖約の乱の首謀者と、

武の雰囲気の強い范陽はんよう祖氏だが、

上掲グループに括られるような名士の家である。


彼には、祖訥そとつという兄がいた。


早くに父を亡くした祖訥兄弟。

その中にあって、特に祖訥の

孝行ぶりが際立っていたという。

食事を母に代わり、常に祖訥が作り、

母、そして兄弟らに

振る舞っていたというのだ。


かれのことを高く買っていた人がいる。

王乂おうがい王戎おうじゅうの叔父にして王衍おうえんの父、

そんな続柄のひとである。

まー、かなりの名士である。


王乂、祖訥の暮らしぶりと、

その孝行ぶりを聞いたため、

そこに二人の女奴隷をプレゼント。

また祖訥を取り立てた。


こうして暮らしぶりが改善された

祖訥を、ある人がからかってきた。


「男奴隷の値段は

 女奴隷の二倍なわけだな!」


王乂どのは奴隷を雇い入れたのか、

みたいな感じである。


すると祖訥、言い返すよ。


「その理屈では、

 百里奚ひゃくりけいが羊の皮五枚より軽い、

 ということになるのではないかな?」




王右軍道謝萬石「在林澤中,為自遒上」。歎林公「器朗神俊」。道祖士少「風領毛骨,恐沒世不復見如此人」。道劉真長「標雲柯而不扶疏」。

王右軍は謝萬石を道えらく「林澤が中に在りて、自ら遒上なるを為す」と。林公を歎ずるらく「器は朗にして神は俊なり」と。祖士少を道えらく「風領毛骨、恐るらくは沒世にて復た此くの如き人に見えさらんことを」と。劉真長を道えらく「雲柯を標したるも疏なるを扶けず」と。

(賞譽88)


王子猷說:「世目士少為朗,我家亦以為徹朗。」

王子猷は說くらく:「世は士少を目し朗と為したり、我が家にても亦た以て徹朗と為す」と。

(賞譽132)


祖光祿少孤貧,性至孝,常自為母炊爨作食。王平北聞其佳名,以兩婢餉之,因取為中郎。有人戲之者曰:「奴價倍婢。」祖云:「百里奚亦何必輕於五羖之皮邪?」

祖光祿は少きに孤となり貧しかれど、性は至孝にして、常に自ら母が為に炊爨し食を作す。王平北は其の佳名を聞き、兩婢を以て之に餉り、因りて取りて中郎と為す。人に之に戲る者有りて曰く:「奴が價は婢の倍なるか」と。祖は云えらく:「百里奚に亦た何ぞ必ずしも五羖の皮を輕んぜらんや?」と。

(德行26)




この辺のエピソード見るまでは、祖逖祖約兄弟ってただの武辺者だとばっかり思っていたんですよね。ぜんぜんそんなことありませんでした。めっちゃ名家。


百里奚

春秋時代秦のひと。奴隷だったが、羊の飼い馴らし方がヤバかったため秦の穆公に取り立てられた。そんなかれの買値が「羊の皮五枚」であったために五羖大夫と呼ばれたのだそうだ。

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