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王述6  豚は豚じゃ

孫綽そんしゃくかんの時代に劉向りゅうきょうが著した

列仙伝れっせんでん』のうち、商丘子しょうきゅうしに関する

コメンタリーを記した。


これは先に商丘子について

紹介すべきだろう。



商丘子胥者,高邑人也,好牧豕吹竽。

年七十不娶婦,而不老。

邑人多奇之,從受道,問其要。

 商丘先生。

 姓は商丘、諱は子胥ししょ高邑こうゆうの人だ。

 豚を飼い、笛を吹くのを好んだ。

 七十才になっても

 妻を娶らなかったが、

 まるで老けなかった。

 近所の人は不思議に思い、

 どうしてそんなことに

 なっているのかを聞く。


言但食朮、菖蒲根,飲水,

不饑不老如此。

 商丘先生は言う。

 薬草を喰い、水を飲むだけだ。

 そうすれば飢えず、老いない。


傳世見之,三百餘年。

貴戚富室聞之,取而服之,

不能終歲輒止,慢矣。

謂將復有匿術也。

 そんな話が三百年ほど伝わったが、

 金持ちたちがいくら真似しても、

 そんな生活は一年と続かない。

 いやいや、これ他に

 やってたことあったでしょ?

 そう疑われるのだった。



この伝記に対しては、劉向が

以下のようにコメンタリーを残している。


商丘幽棲,韞櫝妙術。

渴飲寒泉,饑茹蒲朮。

 商丘先生は隠棲し、

 その秘術を秘匿した。

 喉が渇けば冷たい泉の水を飲み、

 腹が減れば薬草をゆでて喰う。


吹竽牧豕,卓犖奇出。

道足無求,樂茲永日。

 笛を吹き豚を追うばかりだが、

 その優れたる所の目立つことよ。

 その秘術なぞ求めずとも、

 かれは毎日を楽しんでいた。



さあ、では孫綽さん。

これらを踏まえ、何と書いたのだろう。


商丘卓犖,執策吹竽。

渴飲寒泉,饑食菖蒲。

 商丘やべえ。

 鞭を取り、笛を吹き。

 喉が渇きゃ冷たい泉の水を飲み、

 腹が減りゃ菖蒲を喰う。


所牧何物?殆非真豬。

儻逢風雲,為我龍攄。

 つーか待て、飼ってた豚とやら、

 いったい何もんだよ?

 ただの豚じゃねえだろ絶対。

 ひとたび風が巻き起これば、

 たちまち龍のごとく

 天に駆け上ってくんじゃねえか?



そりゃね、商丘先生、パネエもんね。

飼ってる豚が本当にただの豚なのかって、

疑う気持ちもわからなくはないよね。


なのでみんな、

孫綽のコメンタリーに納得。


が、ここで登場。王述さんだ。


「孫氏のガキの作文を読んだがな、

 なんだ、あれは?


 なーにが龍じゃ!

 豚は豚に決まっておろう!」




孫綽作列仙商丘子贊曰:「所牧何物?殆非真豬。儻遇風雲,為我龍攄。」時人多以為能。王藍田語人云:「近見孫家兒作文,道何物、真豬也。」


孫綽は列仙商丘子贊を作して曰く:「牧する所は何物ぞ? 殆ぼ真に豬には非ず。儻し風雲に遇わば、我が為に龍は攄がらん」と。時の人の多きは以て能と為す。王藍田は人に語りて云く:「近きに孫家が兒の作文を見たり、何物と道いたれど、真に豬なり」と。


(輕詆15)




ひゆが つうよう しない

じょうだんが つうよう しない


ところで井波先生も目加田先生も王述さんが孫綽のこと豚呼ばわりしてるように解釈されてる。うーん、これたぶん、言いたいのは「豚は豚でしかないだろうに。なーにをほざいとんのだあのアホガキ」でしかないんじゃないかなあ。


謙譲の精神も無けりゃ言葉遊びも通用しない。どこまでもどストレートな王述さん。

正直惚れる。側にはいてほしくない。心底。


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