人たちについてのことである。
何充が東国のひとの帰国を見送る際、
その隊列のはるか後ろのほうに、
何充はこうコメントする。
「かれは、死にさえしなければ
諸侯にもてはやされるのだろうな」
「何充殿の飲みっぷりを見ていると、
我が家の酒をありったけ
飲ませてみたくなるのだ」
大酒のみだが、
いくら飲んでもまるで乱れることが
なかったそうなのである。
何家の五男、
かれは貴顕の出た一門の
人間であったにもかかわらず、
隠遁の志があった。
そんなかれを、何充さん、
引き立てたいと思う。
すると彼は言うのだ。
「何氏のこの五番目の弟の名、
すでにして
見劣りせぬものでしょうに!」
彼らは道教にぞっこん。
何充と、その弟の何準。
彼らは仏教にぞっこん。
四人が四人して、その稼ぎを
じゃぶじゃぶ貢いでいた。
これを見て
「郗家の二人は道にへつらい、
何家の二人は仏におぼれてるな!」
何次道嘗送東人,瞻望見賈寧在後輪中,曰:「此人不死,終為諸侯上客。」
何次道の嘗て東人を送るに、瞻望して賈寧の後輪中に在すを見、曰く:「此の人は死なず、終には諸侯が上客と為らん」と。
(賞譽67)
劉尹云:「見何次道飲酒,使人欲傾家釀。」
劉尹は云えらく:「何次道の飲酒せるを見るに、人をして家釀を傾けんと欲せしむ」と。
(賞譽130)
何驃騎弟以高情避世,而驃騎勸之令仕。答曰:「予第五之名,何必減驃騎?」
何驃騎が弟は高情を以て世を避けど、驃騎は之に勸め仕えしむ。答えて曰く:「予は第五の名、何ぞ必ずや驃騎に減ぜんか?」と。
(棲逸5)
二郗奉道,二何奉佛,皆以財賄。謝中郎云:「二郗諂於道,二何佞於佛。」
二郗は道を奉じ、二何は佛を奉じ、皆な財を以て賄いとす。謝中郎は云えらく:「二郗は道に諂い、二何は佛に佞す」と。
(排調51)
賈寧
何準
隠遁したいとか言いながらそれなりの稼ぎはあったようである。それにしても彼の娘は皇后になっていたりするので全然隠遁できていない。あと棲逸のほうのセリフは明らかに「士官なんぞしなくっても兄さんより俺は上だよ」なのだが、世説新語のこの同時代性に欠けている官位で人物を呼ばせる振る舞いにムカついたので、敢えて「俺の名は驃騎将軍位にも劣りません!」と誤訳しています。ほんに世説新語の野郎はよぉ……ときどきまだ生きてる当人に対してすら追贈官位で呼びやがったりすんからよぉ……。
郗愔、郗曇
郗家で凡庸と呼ばれてる人たち。つらい。