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褚裒1  四時の気を纏う

謝安しゃあんさま、褚裒ちょぼうを非常に重んじていた。

そして、こう讃えている。


「褚裒は、口にするまでもなく

 その風貌にて周辺を教化するな」



何充かじゅうが死んだ後、その後継として

褚裒ちょぼうが召喚された。


褚裒が求めに応じ、

石頭せきとう城にまで来てみれば、

そこにいたのは劉惔りゅうたんと、王濛おうもう


褚裒が聞く。

「劉惔殿、何故このようなところに?」


劉惔、王濛を示しながら、言う。

「このお方を

 紹介しておきたく思ったのです。

 かれの清談はすごいですよ」


ほほう、そうなのかね。

褚裒が王濛を見ると、

やがて王濛は言うのだった。


「国には、おのずと

 周公旦しゅうこうたんのような方が現れるのですね」




謝太傅絕重褚公、常稱:「褚季野雖不言、而四時之氣亦備。」

謝太傅は褚公を絕に重んじ、常に稱うるらく「褚季野は言わざると雖も四時の氣を亦た備う」と。

(德行34)


何驃騎亡後,徵褚公入。既至石頭,王長史、劉尹同詣褚。褚曰:「真長何以處我?」真長顧王曰:「此子能言。」褚因視王,王曰:「國自有周公。」

何驃騎の亡き後、褚公を徵し入れる。既にして石頭に至らば、王長史、劉尹は同じきに褚を詣づ。褚は曰く:「真長は何ぞを以て我に處らんか?」と。真長は王を顧みて曰く:「此の子は言を能くす」と。褚は因りて王を視らば、王は曰く:「國に自ら周公有り」と。

(言語54)




周公旦

周の武王の弟。武王の息子、つまり甥の成王を助け、周の隆盛をサポートした。なのでこの人の存在は「王の親族が国を大いに盛り立てる」代名詞となっている。いっぽうの褚裒さんは康帝皇后褚氏の父親である。つまり外戚であり、そこから引けば王濛のコメントは「褚裒さん、当然善政を布きますよね、布いてくださいますよね?」的確認に近い。王濛ってめったに批評しなかったって言うけど、この辺の物言いとか、結構エグいですわよね……。



そしてこの話、晋書になるとまただいぶ趣が変わってくる。

永和初、復徵裒、將以為揚州・錄尚書事。吏部尚書劉遐說裒曰:「會稽王令德、國之周公也、足下宜以大政付之。」裒長史王胡之亦勸焉、於是固辭歸籓、朝野咸嘆服之。

言ってるのが王濛じゃないし、対象が褚裒じゃない。そもそもこちらにあるように、本来周公旦の立ち位置にふさわしいのは、明らかに會稽王=のちの簡文帝、司馬昱さまだ。なにせ彼は、当時の皇帝たちの叔父とか大叔父である。晋書もだいぶ簡文様の功績削ってる匂いがあるんだけど、世説新語はより簡文様を「清談できる司馬衷」とばかり印象づけたくて仕方ないようですねぇ……(じゅるり)

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