任地の会稽と言えば、
そこで在地人の
「支遁殿の話は耳新しく、
こちらの胸にすっと浸み込んでくる。
なかなかグッドな人だよ、
どうだい、会ってみないかい?」
は? しらんがな。
王羲之、自らの才覚については
ひとかたならぬ自負心もあった。
そもそも孫綽からして軽んじており、
その孫綽からの紹介だなんて、
とてもとても、とても、だ。
が、そんなところを
気にしないのが孫綽さんである。
いきなり車に支遁を同乗させ、
王羲之の家に連れてきた。
は? 何してんのお前?
こっちの意向を
全くもってシカトする孫綽。
そんなんされても、
付き合う義理なんぞない。
なので、シカトにはシカト。
王羲之、支遁とは
一切言葉を交わさなかった。
王羲之の態度を見た支遁、
ひとまずは撤収した。
が、後日。
王羲之が出かけようとすると、
家の門の前に車がある。
中には、支遁。
は? ストーカー?
王羲之、やはりシカトしようとした。
いやいやまあまあ、
押しとどめる支遁。
「しばしでいいのですよ。
拙論を聞いてみて頂きたい」
それから支遁、
内容は
荘子と言う書物の冒頭も冒頭、
その世界観をガツンと
読者に叩きつけてくる章だ。
数千キロメートルにも及ぶ巨大魚、
なんて話をいきなりぶち上げ、
「人知なんぞ世界の前じゃゴミ」
と提示してくる。
これについての支遁の解釈は、
およそ数千文字分。
孫綽の言ったとおり、
その着想は新しく、
しかし非常に色彩鮮やかな世界観を
想起させる内容だった。
うぉっ、こりゃ確かにすげえ。
こうして王羲之、そこから支遁の話に
ぐいぐい引き込まれていくのだった。
王逸少作會稽,初至,支道林在焉。孫興公謂王曰:「支道林拔新領異,胸懷所及,乃自佳,卿欲見不?」王本自有一往雋氣,殊自輕之。後孫與支共載往王許,王都領域,不與交言。須臾支退,後正值王當行,車已在門。支語王曰:「君未可去,貧道與君小語。」因論莊子逍遙遊。支作數千言,才藻新奇,花爛映發。王遂披襟解帶,留連不能已。
王逸少の會稽に作さるに、初に至らば、支道林の焉に在せるあり。孫興公は王に謂いて曰く:「支道林は拔新領異、胸に懷きたる所に及ばば、乃ち自ら佳なり、卿は見ゆるを欲せるや不や?」と。王は本より自ら一往にて雋氣を有さば、殊に自ら之を輕んず。後に孫と支と共に載りて王が許に往かば、王は都べて領域し、與には言を交わさず。須臾にして支は退く。後に正に王の當に行かんとせるに值い、車は已に門に在り。支は王に語りて曰く:「君は未だ去るべからず、貧道と君とは小しく語るべし」と。因りて莊子の逍遙遊を論ず。支の數千言を作せるに、才藻は新奇にして花爛映發たり。王は遂に披襟解帶し、留まりて連なること已む能わず。
(文學36)
荘子 逍遥遊
北の
その名を
鯤の大きさ、その幾千里なるを知らず。
化して鳥と
その名を
鵬の背、その幾千里なるを知らず。
怒りて飛べば、その翼は
天に垂れる雲の若し。
是の鳥は、海の
将に南の冥に
南の冥とは、天のなす池なり。
老子の言う「道」が人知の及ばない、ぶっとんだ何かである、という説明について、その「ぶっとんだ」部分を「それでも何とか想像できるように言い換えられないものか」と翻案したらこうなりました、と言う感じ。それにしても数千キロの魚が数千キロの鳥になるってあーた。羽ばたいた瞬間大津波は起きるわ地上のものはすべてなぎ倒されるわでおっとろしいことになりますがな。