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簡文2  前躯に万騎追従す

簡文帝かんぶんてい撫軍将軍ぶぐんしょうぐんであった頃、

桓温かんおんと共に皇帝に謁見することがあった。


この時、どっちが先に

謁見の間に入るかで争った。


「さあさあ撫軍、どうぞお先に」

「いえいえ安西あんざい、あなたこそが」


結局桓安西さまが折れ、先に行くことに。

そこで安西さま、歌い上げるよ。


「さあさ、今こそほこを掲げ、

 王の前駆となりましょうぞ!」


おっ、『詩経しきょう衛風えいふうだね。

ならば撫軍さまも『詩経』魯頌ろしょうを歌うよ。


「誇らしきかな、勇壮なる我ら大晋軍!

 あらゆる者が公の勇武に付き従うのだ!」




簡文作撫軍時,嘗與桓宣武俱入朝,更相讓在前。宣武不得已而先之,因曰:「伯也執殳,為王前驅。」簡文曰:「所謂『無小無大,從公于邁』。」


簡文の撫軍を作せる時、嘗て桓宣武と俱に入朝す。更ごもに前に在すを相い讓る。宣武は已むを得ず之に先す。因りて曰く「伯や殳を執り、王が前驅為らん」と。簡文は曰く「所謂『小無く大無く、公に從えるは邁す』なり」と。


(言語56)




いちゃつき過ぎだろお前ら。


まあでも、見方次第では牽制合戦にも取れますね。なので簡文帝が撫軍将軍位に就いていた頃がいつごろかを辿ってみた。340年から……ん、撫軍大将軍を経て371年に登極? 年齢にして21から52まで。うわあ。まったくどのタイミングか見当がつかない。


撫軍位に就いたばっかの頃だったらほのぼの話だし、終わりの方になれば思いっきり腐臭が漂ってくるし。桓温の将軍号は仮で当ててる(とはいえ、実際に安西将軍位には就いてますよ)から、タイミングの推測には全く役に立たない。なので「ブック的に一番美味しい解釈をしましょう!」に尽きそうです。


衛風 伯兮

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/1177354054934105757

伯兮朅兮はくけいけつけい 邦之桀兮ほうしけつけい

伯也執殳はくやしつしゅ 為王前驅いおうぜんく

 我が夫は偉大なお方。

 お国の英傑。

 夫は矛を取られ、

 王の先駆けとなられる。

まぁこの第一連は勇ましい感じなのだが、二連以降はむしろこの勇ましく出征したあなた様を心配する詩に変わっていくんですが。


魯頌 泮水

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816700427524696257

其旂茷茷ききはいはい 鸞聲噦噦らんせいえつえつ

無小無大むしょうむだい 從公于邁じゅうこううまい

 人々が魯公の出来を見れば、

 きらびやかな旗がはためいている。

 鈴の音が美しく響く。

 人々は身分の高低に関係なく、

 みな魯公に付き従うのだ。

庾亮ゆりょうのところ以来二度目。しかし魯頌でべた褒めされてるはずの魯僖公って、左伝とかで追うとめっちゃぐだぐだな統治なんですけどなんでこんな讃えられてんでしょうね。

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