そしてまずは、謝尚に向けて言う。
「おれには四人の友がいる。
ゆえに門人らは、
おれに親しんでくれた」
劉惔さん自身は
結構エグい人品の持ち主である。
だが謝尚をはじめとした
「四人の友」のお陰で、弟子たちが
劉惔とも親しんでくれた、というのだ。
それから、許詢を見た。
「おれには
だからおれの耳には
悪口が届かずに済んでいる」
許詢は気骨の論客である。
その許詢が露払いをしているため、
劉惔のもとには面倒ごとが
やってこないで済んでいる。
そんなところだろうか。
言ってみれば劉惔、
自身を
まぁ、当代トップの論客である。
ありと言えばありだろう。
そして、その劉惔が、二人を
孔子の高弟になぞらえている。
劉惔を深く認めていた
謝尚と許詢であったから、
このたとえに、不満はなかった。
実際のところ、謝尚は劉惔によって
推挙を受けた後、こう語っている。
「昔はあなたに
頭が上がらなかったものだよ」
劉尹謂謝仁祖曰:「自吾有四友,門人加親。」謂許玄度曰:「自吾有由,惡言不及於耳。」二人皆受而不恨。
劉尹は謝仁祖に謂いて曰く:「自ら吾れに四友有らば、門人は親を加う」と。許玄度に謂いて曰く:「自ら吾れに由有り、惡言は耳に及ばざるのみ」と。二人は皆な受けて恨みず。
(品藻50)
劉尹先推謝鎮西,謝後雅重劉曰:「昔嘗北面。」
劉尹は先に謝鎮西を推さば、謝は後に劉を雅重して曰く:「昔は嘗て北面す」と。
(賞譽124)
で出たー! 必殺引用アタック!
引用元を知らないやつは死ぬ!
孔子が以下のように語っている。
文王有四友
故に文王は業績を残した。
では、私はどうだろう。
自吾得回也
門人加親 是非胥附邪?
門人は私に親しみを
覚えてくれるようになった。
顔回の周旋のお陰だろう。
自吾得賜也
遠方之士至 是非奔走邪?
遠方からも賓客が
訪問してくれるようになった。
子貢の奔走のお陰だろう。
自吾得師也
前有輝 後有光 是非先後邪?
周囲に徳が行き渡った。
子張の宣伝のお陰だろう。
自吾得由也
惡言不入於耳 是非禦侮邪?
侮られることがなくなった。
子路が守ってくれたお陰だろう。
注釈たちは「四友」を「回」の書き間違いだ、と推測しているのだが、うーん、どうだろう。あえて「四友」が正しい表現だ、としておきたいところだ。そうすると劉惔さんにとって最も親しかった四人の友である、となるだろうか。四人の友、誰だろう。謝尚を代表とし、
まーその後の許詢に対してのセリフが、「子路を得た」だから、どうしても「四友」が正しい表現である、と見なすのは筋が悪いんですが。