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殷浩10 盛徳のひとと

庾亮ゆりょうさまが蘇峻そしゅんの乱ののち、

西府せいふ軍の取りまとめに

出られたころの話である。


王胡之おうこし、はじめに庾亮さまの

書記として勤務していた。


やがて庾亮さま、殷浩いんこうさんを招聘、

副官に抜擢する。


殷浩さんが着任して間もなくの頃、

庾亮さまは都に

使者を派遣しようと思った。

そして王胡之、使者に選抜される。


すると王胡之、庾亮さまに

嘆願書をしたためた。


「この私め、盛徳のひとと

 お会いする機会など

 そうはございませんでした。


 殷浩殿にこうして

 お越しいただけたのです、

 数日でも構いません、

 暫し共に働く機会をくださるまいか」





王司州先為庾公記室參軍,後取殷浩為長史。始到,庾公欲遣王使下都。王自啟求住曰:「下官希見盛德,淵源始至,猶貪與少日周旋。」


王司州は先に庾公の記室參軍と為る。後に殷浩を取りて長史と為す。始めに到らば、庾公は王をして下なる都に遣わせしめんと欲す。王は自ら啟し住むるを求しめて曰く:「下官は盛德を見ること希なり。淵源に始め至るれば、猶お與に少日周旋せんことを貪らん」と。


(企羡4)




なんつーか、この文章書いたの誰だ、アホか、アホなのか。歴史事跡と照らし合わせなきゃさっぱり意味とれねえ。この書き方なら「王胡之の長史に殷浩」になるだろうが、クソ、クソ。自分の漢文読み能力が低いのは承知の上ですが、その上でもちょっとこの条、悪文すぎませんかねぇ?


ぐぬぬぐぬぬ。全然読めなかったので即目加田センセーに頼りました。

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