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第14話 古の記憶

 私は暗い水の底に沈んでいた。


 でも、息苦しさも無ければ凍えるような感覚もない。


 多分、これは夢。まるでお母さんの羊水の中に入っているような安らぎを感じた。ルークの庇護のもと、疲れ果てた私は、安堵しながらベッドの上で泥の様に眠っているんだろう。水は安らぎを意味し、暗闇は夜の国を表しているのだろうと思った。


 昨日は実に目まぐるしい一日だった。実の妹に罠にはめられ、魔女として処刑されそうになったり、その危機を妄想上の人物だと思っていたルークに救ってもらったり、そのルークにプロポーズされたりなど。


 どれ一つ取っても一生忘れられない出来事ばかりだった。


 その時、水の上から小さな光がこちらに近づいて来るのが分かった。


 人影が見える。雄々しい獣耳を持った美しい獣人の男性の姿がこちらに近づいて来るのが見える。


「ルークなの? いえ、違う。似ているけれども別人だわ」


 彼はルークによく似ていたが、ルークよりも大人びた印象を受けた。恐らく一回りは年齢が上なんだろう。一目で別人だと分かったのは、ルークとは違い、酷くやつれた顔つきで真紅の双眸に生気が宿っておらず虚ろだった。


 すると、彼はスーッと沈むように私の目の前にやってくる。水の中で垂直の状態で上下逆さまに向き合う体勢でお互いに見つめ合った。


「お前はリンでは無いのだな……?」


 彼は私の顔見るなり深い失望の色を浮かべた。


「会いたい……リンに会いたい。どうすれば私は彼女に会うことが出来るのだ……?」


 悲痛に彼の顔が歪み、人目をはばからず号泣し始める姿を見て私の胸も痛み出す。


 何とかして彼を慰めてあげたいと思うも言葉が思い浮かばなかった。自分がそうであったように、本当に辛い出来事や悲しいめにあった時、ありきたりの慰めの言葉など逆効果に過ぎないことを私は思い知ったばかりだ。


 今、彼に必要なのは慰めの言葉では無く助けだと思った。それにはまず彼のことをよく知らなくてはならない。名前も知らない相手を救うことなんて出来はしないのだから。


「貴方は誰なのですか?」


 私の問いかけに彼は答えず、ただ悲し気に呻くだけ。どうやら私の姿が見えていないようだった。夢の中のこととはいえ、自分の思い通りにいかないのにはもどかしさを感じた。


「おのれ、魔女め……オレから愛する者を奪い、あまつさえ××するなどと⁉」


 彼が怨嗟の言葉を呟き始めた瞬間、突如として全身から禍々しい魔素が噴き出る。いや、それは魔素ではなく瘴気だった。


「呪ってやる。夜の魔王の名の許、いつか光の王国を滅ぼしてくれるわ……!」


 噴き出た瘴気はたちまち周囲の水を腐らせた。


 瘴気に腐った水が濁流となって私を襲い、口から肺に入って来るのが分かる。たちまち全身が瘴気の水を通して腐り落ちていくような感覚を味わった。


 彼の慟哭が響き渡る。刺す様な憎悪の念をまともに受け、私は夢の中で意識を失った。


 いつもの小鳥のさえずりではなく、カラスの鳴き声が私を目覚めさせた。


 窓辺からは一筋の光も差してはいない。まだ夜中なのだろうか? 大分寝たような気がするけれども、実は眠りが浅く対して寝ていなかったのかと思ってしまった。


 起き上がって外を確認してみよう。そう思い立ち上がると、私は窓に向かいカーテンを開いた。


「え、夜? それにここは何処なの?」


 外は見慣れない景色が広がっていた。周辺には濃いガスがかかっていて視界は無いに等しく、空には黒雲が漂っていてお日様の日差しを完全に遮っている。遠目に森が見えたけれども、それ以外の物は何も見えずまるで闇夜の世界だった。


 一応、薄く雲に光を帯びているのを確認する。どうやらお日様は昇っているみたいだ。黒雲と周囲を取り巻く黒いガスが完全に日差しを遮断していて夜だと錯覚させていたらしい。


 その時になって私はハッと思い出す。


「そうだった。私、ルークに助けられて夜の国に来たんだったわ」


 一瞬で昨日の記憶が蘇る。処刑されそうになったこと。ルークに救われ夜の国にやってきたこと。


 本当に散々な一日だったわね。


 そして最後にルークの衝撃的な言葉が私の胸を突いた。


「汝に我が尾と獣耳を捧げる」と。


 それは獣人にとって究極の求愛の言葉。


 私はルークにプロポーズされたのだ。


 思わず顔がにやけてしまった。あんなに美しい男性を見たのも初めてだったし、何よりも私にとても優しくしてくれる。このまま彼の望むまま求婚を受けようかと思ってしまうくらいだ。


 しかし、不意に、私はお父様やニーノのことを思い出す。実の家族にすら裏切られたのに、優しくされたからといって、しかも魔王に対して簡単に心を許していいものだろうかと心が警鐘鳴らした。


〈いけないわ。あんなことがあったばかりなのよ。まして相手は伝説の魔王……簡単に信じてはだめ〉


 でも、ルークの子供の様な無邪気な笑顔を思い出し、自然と頬が緩み胸が熱くなった。


「ルークったら、全然魔王らしくないわね」


 本当にそう思う。夜の国の魔王とは恐怖の根源であると故国の伝承には記されていた。でも、それは間違っていると思う。今のところ、私は彼から恐怖は真逆の感情しか感じていなかった。少なくともルークは私を罵倒したり石を投げてきたりはしない。ただ優しく抱擁しながら愛のこもった言葉を囁いて来るだけ。


 ルークを想うだけで私の鼓動は高鳴った。ドキドキと動悸が激しくなるのが分かった。


「私、やっぱりルークのことが好きなのかな?」


 むしろルークを前に胸をときめかせない女性がいるだろうか?


 そんなことを想っていると、突然、ドアが静かにノックされた。


「はい、どうぞ!」


「失礼いたします、聖女様」


 私が返事をすると、獣人のメイドさんが入って来る。白くて長い耳が頭の上に立っている。どうやら彼女は兎の獣人らしい。


 ルークもそうだけれども、獣人は美形ばかりだな、とため息が出た。


「お召し物をお持ち致しました。こちらにお召し替え下さい。その後でルーク様がお待ちになっているダイニングルームにご案内させていただきます」


 そう言って兎のメイドさんは私に着替えを差し出して来る。でも、何故か怯えたような表情を浮かべ、手が震えているように見えた。


「ありがとう。私の名前はミア。良かったら貴女のお名前を教えてくれる?」


 私がそう話しかけた瞬間、兎のメイドさんの耳が驚いたように逆立った。心なしか顔も強張っているように見える。いや、どう見ても怯えの色を浮かべていた。


「私は部屋の外に控えておりますので!」


 彼女はまるで悲鳴でも上げるかのようにそう言うと、慌てた様子で部屋から出て行ってしまった。


 残された私は、ただ茫然と見送るより術は無く、立ち尽くした状態になってしまった。


「避けられている……? というより、私、恐れられているの⁉」


 衝撃的な事実に気付き、私はただ愕然となった。


 でも、それも無理からぬことだと気づいた。


 だって、私だってそうだったから。ルークと出会う前は魔王の存在が恐ろしかった。


 夜の国の魔王は人間を食らう。それに付き従う獰猛な獣人達も同様に人間を襲い食らう。その一文を古文書で読んだ時は私も恐怖を感じたものだった。


「あはは、このまま夜の国に住むとしても色々と誤解を解いて行かないとね」


 前途多難だな、と思い、私は乾いた笑いを上げるのだった。

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