魔王さんはオレに振り向くと首を傾げて見せた。挙動の一つ一つが何故か可愛らしく見えるのは目の錯覚だろうか? もしかすると、自分で思っているよりビールのアルコールが頭に回っているのかもしれない。
「汝は何者ぞ?」闇の底から響き渡る様な声がオレに問いかけた。一言呟くだけで、今にも地の底から怨霊が湧き出て来るような雰囲気が魔王さんの周囲には漂っていた。
「突然すまない。オレの名は伊庭拓海。お前さんと同じ初級回復術師だよ。さっきの会話が耳に入ってきちまったもんでな。少々、お節介を焼きたくなった。ここいいか?」
一瞬、魔王さんは顔を覆い尽くした漆黒の兜の奥で破顔したような錯覚を受けた。心なしか彼の全身に纏われた瘴気が晴れ、一瞬だが背後に無数の向日葵が現れるという幻を垣間見たのだ。少なくとも機嫌は良さそうなので即座に殺される様な事態にはなるまいと思った。
魔王さんは立ち上がると、自ら横の席を引いて、オレに座るよう促した。殺気めいたものは一切感じられない。どうやら敵意ではなく友好的な感情を向けられているらしいので、正直オレは安堵した。もしかしたら、話しかけたという理由で、先程の会話に上がっていた消滅魔法でもぶっ放されるかと冷や冷やしていたからだ。
そんな危険を冒してまで、何故、オレは彼に話しかけたのか。それは一言で同情したからだ。その姿は魔王の様に危険な香りを漂わせていて近寄りがたい空気を醸し出していたのだが、それ以上に背中に帯びた哀愁を見た瞬間、どうしても放っておけなくなってしまったのだ。
追放された悲しい気持ちは、当事者にしか分からないのだ。もしかしたら、オレは誰でも良いから傷を舐め合いたかっただけなのかもしれない。今はただ、同じ境遇の者同士、話し相手が欲しかった。
「お前さん、追放されたんだって?」大ジョッキをあおりながら、オレは魔王さんに話しかけた。
「そうではない。奴らが自ら追放を望んだのだ……。いや、違うな。体裁はどうあれ、仲間に見捨てられたという意味では間違いではなかろう。汝の言う通り、我は追放されたのだ」魔王さんは呟き、視線を下に降ろした。その時、兜の中からキラリと輝く雫を垣間見た。
もしかして泣いている? 見た目に反して、相当繊細な性格なのかもしれない。見た目はいかにも世界を滅ぼそうとしている邪悪の化身だというのに。
「笑ってくれて構わぬ。その方が我の気持ちも晴れるというものよ」
誰が笑うもんですかよ。言葉とは裏腹に、彼の声が震えていることに気付いた。その兜の中では大粒の涙を零しながら顔をくしゃくしゃにしているに違いないのだ。鉄の塊のような漆黒の鎧の肩の部分が小刻みに震えているのをオレは見逃さなかった。
「とんだお笑い種よな。一年前、回復術師を目指す為に前職の拳闘士からクラスチェンジしたはいいものの、まったく回復術師としては無能が過ぎて、実は追放されるのは一度や二度ではないのだ」
何から何までオレと重なり過ぎて、共感が共鳴音をならしまくっておりますぞ!? オレなんてもう追放され過ぎて回数なんて忘れてしまったからな。
「笑わないよ」オレは口元に微笑を浮かべながら、彼に優しく話しかけた。
「下手な気休めは止すがよい。本当はその口に嘲笑をさえずりたくてウズウズしているであろう? 遠慮せず無能な回復術師と呼び、我を嘲るがよいわ」
「誰がそんなことするか。だって、オレもそうだからさ。まあ、お前さんとは大分意味合いが違うが」
「なんだと? それはどういう意味ぞ?」
「これを見な」そう言って、オレは左手の霊子結晶を起動して、青白く光るステータス画面を出現させる。そのまま右手の指で弾くと、彼に見える様に画面を反転させた。
「なにをする。貴様、正気か!?」とっさに目元を手で覆い隠した。
魔王さんは狼狽した様子を見せた。その反応は予想通りだった。彼が驚くのは無理もない。オレは今、ハンターならば誰しもが同じ反応を示すであろう、とんでもないことをしでかしたからだ。
ハンターが自分のステータス画面を他人に見せるというのは、自分のスマホの中身を無修正でネット上に公開し、全裸になって街中を練り歩く以上の意味を持っていたからだ。要は見ず知らずの赤の他人に全てを曝け出したということだ。
「いいから見ろ。オレもお前さんと同じで追放された身だ。しかも、ついさっきな」
「なんと!? これは驚きぞ。我と同じ境遇の者が同じ屋根の下で巡り合うとは。これも何かの縁かもしれぬな。しかし、汝は何故、追放されたのだ?」
「ステータス画面を見てくれれば分かるだろう。最弱のハンターにして最底辺の回復術師。それがオレの通り名だ。要は役立たずだったからクビになったんだよ」そう言って、オレは大ジョッキをあおった。しかし、既に中身は空だった。
オレに促されるがまま、魔王さんは恐る恐るオレのステータス画面を覗き込むと、一瞬、小さく呻いた。
「これはなんと惨たらしい……ここまで凄惨なステータスの持ち主が存在しておったとは埒外のことよ。十年間ハンターを続けて来て、初めて見るぞ。なんと、哀れなことか」声が戦慄いていた。そこに哀れみの念が込められている様だった。
「こんなんだから、別にオレは誰にステータスを見られても平気ってわけだ。まあ、再就職先の面接官にだけは絶対に見せられないけれどもな」オレは自嘲する様におどけて見せた。正直、自分で言っておいてなんだが、相当惨めな思いが胸をついていた。
「そうか……汝も苦労して来たのだな」プルプルと肩を震わせながら呟いた。
あれ? もしかして泣いてる? いやいや、オレは哀れんでもらおうと思って、こんな恥ずかしいことを告白したわけじゃなく、お前さんに元気になってもらいたくて勇気を出したってのに。オレより底辺の
「好きでしている苦労だから、別に苦にはならないさ。本当に辛かったら、とっくの昔にハンター稼業なんざ廃業してサラリーマンにでもなっていたさ」それが出来ない理由がオレにはあるのだから。
「そのようなステータスではハンターの道は断たれたも同然であろうに。何故、汝はハンターにこだわるのだ?」
おいおい、何気に辛辣なお言葉をお吐きなさるわね。まあいい。悪気が無いのは分かっているからね。ならば喜んでお答えしましょう。何故、ハンター人生詰んだも同然のオレが、未だにハンターを続けているのかを。
「未練かな? だって、オレは始まりの覚醒者の生き残りだから」オレは静かに呟いた。
その瞬間、魔王さんは驚いたように姿勢を正すと、すぐに肩の力を抜いた。
「我もぞ。そうか。汝も覚醒戦争の生き残りであったか!」
その時、魔王さんは笑った、ような気がした。鉄の塊の様な真っ黒い兜が顔全体を覆っていたおかげで表情は伺い知れなかったが、彼から放たれる柔和なオーラがそう思わせた。
「もし良かったら、家に来ないか? 大したものはないが、一杯奢るぜ? 追放された者同士、今日は朝まで語り合おうぜ」
その時、魔王さんは驚きに身体を硬直させると、戸惑いの様子を見せた。
「嫌か?」オレは彼の顔を覗き込んだ。
「いや、そうではない。家にお呼ばれしたことなど今まで無かったので、少々戸惑っておるのだ」
なんだ、友達がいない陰キャか? なら、やっぱりオレと同じじゃないか。
「安心しろ。オレも友達を家に招くのは初めてだからさ。色々と共通点を持つ者同士、仲良くしようぜ」
「友……とな?」そう呟き、勢いよく立ち上がった。
魔王さんの鼻息が荒らいでいるように見えるのは何故だろうか? まあ、いい。取って食われる様なことはないだろう。
「竜野レラぞ」ぼそりと呟いた後、彼はウキウキとした口調で宣言する様に言った。「我が名は竜野レラぞ。これからよろしくな、伊庭拓海殿!」
「なんだ、もっといかつい名前かと思ったら、意外と可愛い名前じゃないか」
「可愛い、とな!? そそそ、そんなこと、初めて言われたぞ!?」狼狽した様に、戦慄いた声を洩らした。
なにをそんなに動揺しているんだろうか? いや、よく考えれば名前とはいえ、男が男に可愛いなんて言われたら、そりゃ動揺もするよな。オレだったら絶対に嫌だ。これは失敬した。今後気を付けるとしよう。
「拓海でいい。オレもお前さんのことはレラと呼ぶ。それでいいか?」
「あ、ああ。それでよい。と、友達だものな。名前で呼び合うのが普通ぞ!」歓喜に満ちた声で呟いた。その背後に無数に散りばめられた白花の幻が垣間見えるくらい舞い上がっている様に見えた。「友達……初めての友達ぞ」呟きながら、クックックと不気味な笑いをこぼしていた。
魔王さん、改め、レラの奴、初めて友達が出来て相当舞い上がっているようだな。まあ、オレも28年間生きて来て、初めての友達だから、その気持ちは分からんでもないぞ。実はオレも相当舞い上がっているのだ。ビールのアルコールがそれを後押ししているようだった。
あ、オレたち、友達になったってことで良いのかな? まあいい。とにかく我が家にレッツゴーだ。
そうして、オレたちは意気揚々と店を出て行ったのであった。
事件はその後、起こるのである━━。