「そもそも、どうしてレラは回復術師に鞍替えしたんだ? そのレベルだと相当名が知れた拳闘士だったと思うが、そんな栄光を捨ててまで回復術師に固執する理由が分からん」
レベルが999だと、もしかしたら国内に十三人しかいないとされるS級ハンターの一人だった可能性もあるな。でも、こんな魔王みたいなハンターをオレは知らないから、その可能性は無いだろうな。だとしたら、トップに君臨しているS級ハンターとやらは、どんな化け物なんだろうか。
オレの問いかけに、レラは何故か恥ずかしそうに身体をもじらせた。その仕草がまるで照れた女子の様に見え思わず胸がときめいてしまった。
「憧憬なりや」両手の人差し指を互いにつんつんし合いながら、恥ずかしそうに俯きながら呟く。
「回復術師に憧れたってことか?」
「正確には違う。憧れの者が回復術師だっただけのことよ」
「ほう。さては、そ奴に惚れているな?」にやり、とオレはほくそ笑んだ。こんな魔王の様な奴が惚れた女性とは、果たしてどんな美女なんだろうか。実に興味が湧き、興奮から鼻息が荒くなるのが分かった。
「ば、ばばばばば、馬鹿を申すではない! そういうのではない、そういうのでは……多分」レラの頭の上から湯気が立ち昇ったような錯覚を垣間見た。
「好きならとっとと告白でも何でもすればいいじゃねえか。見た目とは裏腹に奥手なんだな」
「いや、そうではない。何処の誰だか、名前すら知らぬのだ」
「どゆこと?」
「二年前の震災を覚えておるか?」
南北海道を襲った未曽有の大地震のことだな。これはゲートとは無関係な自然災害だった。南北海道の都市が壊滅的状態に陥り、相当数の死傷者が出た。幸い、津波は発生しなかったものの、二次被害である火災などで死傷者数は更に上乗せされた。
「ああ、酷い災害だった。人間の無力さを思い知らされたよ」十年前の覚醒戦争の時と同様にな、と心の裡で呟いた。
「その時、我は無知蒙昧であった。ハンターはレベルを上げ、スキルを強化してダンジョンを攻略してさえいれば良いと思っておった。震災の時も、我同様、ほとんどのハンターは金にならないというだけの理由で被災者の救助になど関わらなかった。我もその通りだと思っておったよ。我々ハンターが毎日命がけでダンジョン攻略にあたっているおかげで、一般人は生き長らえておられるのだと。正直、見下しておった。だから、自然災害の後始末まで世話は焼けぬぞ、とな。思い返すだけで、当時の自分を殴り倒したい衝動に駆られるわ」全身から怒りのオーラが迸った。
「気持ちは分かるが、それでハンターを責めるわけにはいかないわな。ダンジョン攻略は人類にとっての最優先事項なんだし。人命救助に夢中になって、それでダンジョンブレイクが起こっていたら本末転倒だろうからな」
「それは理解しておる。薄情なハンターどもを糾弾したいわけではない。我が言いたいのは、変わり者は何処の世界にでもいたということぞ」
「変わり者? もしかして、それがレラの憧れの人ってことか?」
「是なり」嬉しそうに頷いた。
「そいつはどんな変わり者だったんだ?」
「ハンターというに、誰よりも率先して人命救助にあたっておったのだ。火の中に飛び込み負傷者を救い出し、瓦礫の下から救出された者たちにずっとヒールをかけ続け回っておった。得にもならぬことを好き好んでよくやっておるな、と最初は思っておったよ。朝、ダンジョンに潜り、夜になって帰ろうと被災地の近くを通った時、同じ姿を目撃した。その御方はボロボロの魔法衣を身に纏いながら、朝に見た時と同じ行動を繰り返し行っておったのだ。老若男女問わず、必死になってヒールをかけ続け回っておった。自分の命など顧みず、今にも倒れそうなボロボロの姿で」深く嘆息し、天を仰いだ。
オレはその時、レラの周りに薔薇の花びらが舞い散る幻を垣間見た。愛しい殿方を想い、天を仰ぎながら焦がれた恋心をどうやって伝えようか苦悩しながら溜め息を吐く。その姿はまるで恋する乙女そのものだった。
レラは意外と心は乙女なのかもしれない。もしかして、相手は男性? 今の時代、その可能性が無いわけではないが。
「気付いたら、我も瓦礫の下から負傷者を救出しておった。必死になって被災者を救出していく内に、妙な感情が芽生え始めたのだ。助けた相手から感謝の言葉を伝えられ、その笑顔を見た瞬間、我は号泣しておった。その理由は分からぬ。ただ、胸の内には感謝の念で溢れ返っておった」
「ああ、分かるよ。十年前、オレがあの時、女神の選定で回復術師を選んだ理由もそれだからだ」
女神の選定。それとは、十年前、覚醒戦争が勃発した後、滅亡に瀕した全人類の前に女神が現れ、抗う力を欲した者全てにハンターの力を与えられた歴史的事件のことをそう呼んだ。その時、ハンターとして覚醒した人類の総数は二億人だったと試算されていた。
後に、始まりの覚醒者の半数の犠牲をもって、人類は史上初の未曽有の悪夢とも呼ばれる全世界同時多発的ダンジョンブレイク災害に勝利することになる。
覚醒者によって勝利した戦いであることから、人はそれを『覚醒戦争』と呼んだのだ。この未曽有の大災害の犠牲者は未だに正確な数字は出ていないが、十億人を超えると言われていた。
オレはあの時、数あるクラスの中から迷うことなく回復術師を選択した。その時のオレはダンジョンブレイクより現れたモンスターたちを倒すよりも、傷ついた人々の傷を癒して救いたいと願ったからだ。まあ、その後は現在の通り、散々な結果になったわけだが、それでもオレはあの時の選択を後悔はしていない。ちょっとしか。
「汝は、我の不可解な気持ちが理解できると申すか?」
「被災者を助けた理由は『助けたかった』からで、笑顔を向けられて泣いたのは『嬉しかった』から、じゃないのか?」
「え? そんな単純明快な理由であるわけが……」ない、とは言い切れず口籠った。
「生きていてくれてありがとう。オレが被災者を救出した時は素直にそう思ったぜ? 笑顔と感謝の言葉はご褒美だ。オレはあの時、それだけで徹夜で働くことが出来たぜ」
「汝も被災地で救助活動をしておったのか!?」
「ああ、うん。いつもの様にギルドや初心者パーティーから追放された直後で、やることもなく暇だったからな」
そう言えば、あの時、猿の様にすばしっこい少女が、もの凄い勢いで瓦礫を撤去して大勢の被災者を救出していたっけな。
亜麻色の髪に、よく焼けた小麦色の肌が印象的だった。顔は覚えてちゃいないが、彼女のおかげで大勢が救われたことだけは覚えている。
あの後、オレは負傷者の治療の為に別の避難場所に向かったので、彼女に満足な礼も言えなかったのが心残りだった。あの娘、多分ハンターなのだろうが、今も元気にしているんだろうか。ダンジョンでくたばっていないといいんだが。
「そうか。汝もあの御方同様、変わり者だということだな」
「変わり者というか、バグに塗れていると表現した方が良いかもな。才能限界値がレベル10のハンターなんて、バグ以外考えられないから」
「言い得て妙なり」クックック、と肩を揺らして笑った。
「それで、どうして回復術師を目指すことになったんだ?」
「あの御方みたいに倒すより癒して救いたいと思う様になったからだ。あの時の笑顔に囲まれたい。それが我が回復術師を目指すただ一つの理由」
でも、強過ぎるから初級ヒールが消滅魔法になってしまう、と。それってどうしようもないんじゃないですかね? ここは諦めて回復術師という名の消滅魔法師でも名乗って、滅ぼすことで人を救うって路線でも良いような気がするが。
その時、オレは妙案を思いついた。
「なら、一つだけ方法があるぜ?」
「それは真なりや!?」
「オレに弟子入りすればいい。そうしたら、いつかは最弱を極めることが出来る、かもしれないからな」
その瞬間、レラは感極まったかのように全身を震わせた。
「なるほど! それは妙案なりや! ならば、甘えは捨て、最弱を目指すなりや」そう言って、身に纏っていた装備を外そうとする。
「おいおい、どうするつもりだ? 脱ぐの? 脱いじゃうのか?」
「アイテムに頼り最弱を目指すなど愚の骨頂なりや。汝を師と仰ぎ、我は自力で最弱王を目指す者なり」
自分で言っておいてなんだが、最強が最弱になるってどうやってやればいいんだろうか? 一度霊子結晶に吸収された魂魄石は移譲も譲渡も不可能だし、そもそも経験値を吸い出さなければレベルも低下させることも出来ないのだ。酔った勢いで、オレはとんだ提案をしてしまったのではないだろうか。
「気をつけよ。少々、衝撃波が発生すると予測される」
「へ? なんで?」
「我が纏いし闇の衣は強固な魔王の呪いに支配されておる。それを無理に剝がそうとすれば、闇の衝撃波が発生するは必然なりや」
「おいおい! まさか、家が吹き飛ぶとかはないだろうな!? だったら外でやれ!」
「問題なし。発生せし衝撃波は闇の波動。魂のみ響き渡る」
「それってどういうこと?」
「スヤスヤと朝まで熟睡するなりや」
「気絶するってことかよ!? ちょ、おい、止めろ!」
「もはやこの衝動を抑えることは何人たりとも不可能なりや。ぶっちゃけ、この鎧は暑くてとっとと脱ぎたかったのだ」
次の瞬間、オレの視界は漆黒の闇に飲み込まれた。その際、衝撃波によって後ろに吹き飛ばされ、壁か何処かに頭を強く打ちつけたような気がした。たちまち、オレの意識は深淵の底に沈んでいった。