オレがブラックゲート召喚のスキルをステータス画面からタップすると、けたたましい警告音が鳴り響いた。警告音は右手にあるオレの禁術師の霊子結晶から鳴り響いていた。
見ればステータス画面も真っ赤に染まり、『緊急警告』の文字が表示されていた。一目で何か異常事態が起こっていることは明白だった。だが、オレはただ言われるがままにスキルを発動するために画面をタップしただけだぞ?
「何かまずったのか?」
すると、目の前にウインドウ画面が現れ、何か警告文のようなものが表示された。
『これよりブラックゲート召喚からゲートダンジョン攻略までのチュートリアルを行います。ただし、攻略に失敗した場合、世界に千の呪いが溢れ出し高確率で人類が絶滅致します。一度進入したブラックゲートからの途中離脱は認められません。攻略完了まで出ることは不可能になります。再度、新たな覚醒者の進入も認められません。攻略の機会は一度限りになりますのでご注意ください。攻略期限は召喚主の霊子結晶に表示されておりますので、あらかじめご確認ください』
すると、オレの右手の霊子結晶からドス黒いモヤのような魔力が勢いよく噴き出した。霊子結晶から噴出した黒い魔力は周囲に広がったかと思うと、一瞬でゴルフボールくらいの球状に縮まる。
その瞬間、オレは悪寒を覚えた。背筋に冷たいものが流れ、家の中でスキルを発動したことを結果を見る前から後悔した。
「あ、やべえ」
オレがそうぼそりと呟いた瞬間、まるで落雷でもあったかのような轟音が響き渡った。
一瞬で収縮した魔力が大爆発を起こし、オレの身体は爆風で吹き飛ばされた。
爆風に吹き飛ばされる瞬間、オレを呼ぶレラの声が聞こえた。
何が起きたのか分からず、しばし呆然としていると、オレはようやく自分が庭にいることに気づいた。
「間一髪でしたね、師匠」
見ると、オレはレラに背負われていた。恐らくオレが爆風に吹き飛ばされるのと同時に、レラがオレを捕まえて庭まで避難したのだろう。あの一瞬でよくぞオレを救うことが出来たものだ、と、オレは改めてレラの身体能力の凄さに驚いた。
「ありがとう、レラ。おかげで助かった」
「師匠、今度から得体の知れないスキルを使う時は家の中じゃなくって、外でやりましょうね?」
「ああ、その通りだ。まったく面目ない」
見ると、オレの家の半分は吹き飛んでいた。爆発の影響で土煙が空まで舞い上がり、白煙が周囲の視界を白く遮っていた。
よくよく考えれば分かることだ。屋内で魔王門を召喚するとか、大惨事になるに決まっているのだ。
そして白煙がおさまり、ようやく状況を確認することが出来た。
家の半分が吹き飛び、その代わりに黒い門が現れていた。その大きさは二階の屋根を少し越すくらいの高さだ。魔王門の規模としてはごく普通のサイズであったが、門から黒いオーラが立ち上っており、一目で普通ではないことは分かった。
オレはふと右手の霊子結晶に目をやる。そこには『00:59』という数字が出ていた。
「これってもしかして、攻略期限が残り一時間も無いってことか?」
まあ、チュートリアルだし、こんなもんか。とりあえず、装備を整えてからブラックゲートに入るとしよう。
「レラ、ちょっと待っていてくれ。準備をしてくる」
準備と言っても、ボロボロの魔法衣に壊れかけの魔石がついた魔法杖。そして各種ポーションの入った道具袋を持ってくるだけのことだ。
しかし、オレは半壊した家の中に入ろうとしたところでレラの異変に気付いた。レラは何やら呼気を荒らげ、髪の毛を逆立てていた。それはまるで脅威を前に敵を威嚇する獣みたいな様子だった。
「どうした、レラ?」
「いえ、何でもないです。ただ、何かとてつもなく大きな魔力をあの魔王門から感じて、ちょっと殺気立ったというか」
「怖いなら止めておくか?」
「いえ、大丈夫です。それよりも師匠は早く準備してきてください。ボクもちょこっとだけ準備をしておきますから」
はて、何の準備であろうか? まあいい。オレは分かった、とだけ告げて半壊した家の中に入った。
あの爆発で何もかも吹き飛んだかと思いきや、予想よりも家の中はマシな状況だった。壊れたのは魔王門が出現した場所だけで、その他は爆風で少しちらかった程度だった。オレの装備一式もすぐに見つかる。
オレは装備を身に着けると、庭にいるレラに声をかけた。
「こっちは準備OKだぞ?」
「はい、ボクも準備が整いました」
オレの声に反応し、レラが庭から家の中に入ってくる。
「おろ? その服はどうしたんだ?」
見るとレラは赤色のチャイナ服みたいなものを着用していた。なんだ、服を持ってきていたのか。
「ボクの武闘衣です。こんなこともあろうかと、魔法の収納箱の中に入れておいたんですよ」
そう言ってレラは左手の人差し指にはめている指輪を見せた。
「指輪? それが魔法の収納箱なのか?」
「色々と持ち運びが出来て便利ですよ。安物なんで旅行鞄分くらいしか入れられませんけれども」
安物なんてとんでもない。このマジックアイテム自体が相当レアだし、これでも恐らく一億円くらいの価値はあるだろう。こんな凄いマジックアイテムまで持っているとは、本当にレラは何者なんだろうか?
そんなことを考えながらレラを見ていると、オレは、レラの身体が少し光っていることに気づいた。
「レラ、なんか身体が光っているように見えるけれども、それは何かのスキルか?」
「ええ、そうです。これがボクの固有スキルの一つ『竜闘気』です。一度発動すればオーラが切れるまで効果は持続するんで、大抵のモンスターになら対処できると思います」
竜闘気? はて、それは何処かで聞いたことのあるスキルだな?
「それはどんなスキルなんだ?」
「ただのステータス強化っすよ。スキルを使うまでもないとは思いますけれども、師匠を守るために一応」
そっか。要は足手まといを守るためにスキルを発動したってことだよね? 本当に、なまら申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「ご迷惑をおかけするかと思いますが、どうかよろしくお願いします」
オレは深々とレラに向かって頭を下げた。
「師匠のことはボクが命にかえてもお守りいたしますので、どうかご安心ください。その代わり、明日も、その次の日も、ボクのレベルを吸い取ってくださいね」
レラはそう言ってふくよかな胸をどんと片手で叩いた。こんな小柄な褐色美少女がとてつもなく頼もしく見えた。一方で自分のなんと小さなことよ。まあ、ここは精一杯頼らせていただきましょうかね。
「さて、時間もないし、そろそろ行きますか」
「はい、師匠!」
そうしてオレ達はブラックゲートの前に進んだ。
すると、右手の霊子結晶が反応し、目の前にウインドウ画面が現れる。
『ブラックゲートダンジョンに挑戦しますか?』
「もちろんだ」
オレがそう言うと、黒いオーラを放った魔王門はゆっくりとその口を開いた。
『世界の命運は託されました。どうかよい死闘を』
何やら物騒なメッセージが表示された。
この時、オレはまだ危機感を微塵も抱いてはいなかった。
チュートリアルなんだから、大した難度ではないだろうと。そして、隣にいる幼い最強の弟子がいれば何とかなるだろうと高をくくっていたのだ。
オレはかの『覚醒戦争』を生き抜いたんだ。あれ以上に悲惨な目にはあわないだろう、と思った。
脳裏に浮かぶのは、その時、命を喪った実兄の姿。そして、初恋の相手でもあり実兄の妻となった義姉の姿も。
実兄の亡骸の傍で泣き叫ぶ義姉。それをただ呆然と見つめるしかなかった自分。唯一使えるヒールレベル1では兄を救うことは出来なかった。あれほど自分が不甲斐ないと思ったことはない。
もし、あの時、もう少しオレの回復術師のレベルが高ければ、瀕死の重傷を負った実兄にマシな回復魔法をかけられたのに。才能限界という呪いはオレから実兄の命を奪ったのだ。
思い出さずとも後悔の念は常にオレにまとわりついていた。悪夢は寝ている時だけではなく、起きている時でさえ発作的にフラッシュバックする。そんな時、オレは必死に叫ぶのを我慢し、平静を装う。底辺回復術師と蔑まされようとも、ゲートダンジョンに潜っている時だけはその悪夢から逃れられた。だから、オレはハンター稼業を辞めることが出来ないのだ。きっと、普通の仕事に就いてしまったら、オレは一年ももたずに発狂してしまうだろう。
だが、あの日の後悔を清算する日がやってきたのだ。オレの胸に微かな希望の光が灯った。悪夢を払拭する機会が訪れたのだ。
オレの願いは、今よりもマシな自分になること。そうすればオレはもっと誰かを救うことが出来るかもしれない。禁術師のクラスには確かに恐ろしさを感じてはいるものの、底辺を這いずり回る今の自分から脱却するための希望とも思っていた。
だから、オレは逃げるわけにはいかなかった。
そんなことを思いながらオレはレラと共に開かれた門に足を踏み入れた。例えそこに危険が待ち構えていようとも、である。
ゲートダンジョンに入った瞬間、オレはあまりの光景に言葉を失った。
見ると、隣にいるレラも唖然としている。目を見開きながら周囲を見回していた。
「いつもの岩だらけのダンジョンじゃなくって、ここはまるで神殿じゃないか」
そこは大理石の床に壁。厳かな雰囲気と神々しいオーラを纏った神殿の様な場所だった。いつものモンスターが蠢く殺気立った空気は皆無だった。
「レラ、上級ダンジョンって、いつもこんな感じなのか?」
最低級の魔王門〈ゲート〉しか潜ったことのないオレには判断がつかなかった。
「いいや……流石にこんな場所はボクも初めて。まるで殺気が無いんだもの」
レラは周囲を見回しながら、ほえー、と唖然とした声を洩らしていた。
やっぱりここはチュートリアルだから、そんなに危険な場所じゃないんだな。もしかしたら、オレ一人でも攻略出来たかも。
「とにかく先に進もう。説明文によれば、ここには雑魚モンスターはなく、ボスモンスターの『黒き魔人』しかいないらしいからな」
普通のゲートダンジョンと違い、どうやら一本道らしい。ただただ長い廊下が続くのみ。これでモンスターが現れないのであれば、ここはオレが経験した最低級ゲートダンジョンよりも安全な場所なのだろう。
周囲を見回しながら、オレ達は先を進んだ。どうやら罠などもなく、このまま行けばボスモンスターのいる魔王の間までたどり着くことが出来るだろう。
魔王の間とは、ボスモンスターが控えている場所のこと。遭遇すると、必ずボスモンスター名に魔王の名がつくことからゲートには魔王門の名がつけられていた。
まあ、オレが潜る最低級ゲートダンジョンの魔王様は、大抵がゴブリンキングとかだから、ここの魔王様はそれよりも格下なんだろう。だとしたら、どんなボスモンスターが待ち構えているんだろうか。ちょっと楽しみかもしれない。
そんなことを考えていると、遂にオレ達は魔王の間らしき場所に到着した。
神殿の大広間らしき場所だった。周囲には騎士の石像が立ち並び、広間の中央には石櫃が置かれていた。
見たところボスモンスターの姿は見えない。他に通路もなく、間違いなくここが魔王の間に間違いなかった。
「ボスモンスターの黒き魔人とやらは何処にいるんだ?」
そんなことをオレが呟いた瞬間、突然、石櫃が意志を持っているかのように起き上がった。
石櫃が起き上がったと同時に、レラがオレの前に出てきて身構えた。
「師匠、やばいです!」
「何がだ?」
「あの中から、めちゃくちゃとんでもない魔力を感じます」
「どのくらいやばいんだ?」
「昔、戦ったことのあるS級ダンジョンのボスモンスターがザコモンスターに感じるくらいにはやばめです」
あれ、それってばもしかしてオレ達、詰んじゃったってこと?
オレはイマイチ実感がわかず数秒程度呆然と立ち尽くしてしまった。
それが死の隣り合わせのゲートダンジョンないでは命取りになることくらいは分かっていた。
だが、レラに言われるまでもなく、オレも起き上がった石櫃から放たれる魔力を前に、とある予感を感じていた。
それは一言で『死』だった。
「師匠、来ます!」
レラがそう叫ぶのと石櫃の蓋が開くのは同時だった。
開いた蓋はそのまま床に落ち、粉々に砕け散った。中からは瘴気のような魔力が溢れ出て来る。
そして、それはゆっくりと中から現れた。
「ごきげんよう」
中から現れたのは黒いドレスを身に纏い丸みを帯びた黒い帽子を被った若い貴婦人だった。その肌は青白く、口元には穏やかな微笑をたたえていた。だが、彼女の笑顔から感じられるのは好意ではなく、明らかな殺意。
「あれが黒き魔人? このゲートダンジョンのボスモンスターなのか?」
「今、喋りましたよね?」
人語を話すモンスターなど聞いたことがないぞ。S級ダンジョン経験者のレラですら初めて経験らしい。レラの表情にもわずかな動揺の色が見て取れた。
「そしてさようなら、愚かな虫けらども」
黒い貴婦人はそう呟くと右手を前に出し、「呪海」と呟きながらパチンと指を鳴らした。
その瞬間、オレ達は深い闇に飲み込まれたのだった。