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第23話 竜姫

 オレは数分前までの自分をぶん殴りたい衝動にかられた。

 チュートリアルだから大丈夫だろうだなんて、そんなわけはないのだ。ゲートダンジョン内部は常に死と隣り合わせの世界。そんなこと分かり切っていたのに。隠しクラスにクラスチェンジしたことで、オレは身の程もわきまえず浮かれていたんだろう。

 レラは額から脂汗を流していた。大丈夫ですから、と小声でオレに返事をしているものの、どう見ても大丈夫そうではなかった。

 オレは道具袋に入れてあったガラスの小瓶を取り出した。蓋を開け、中に入っていた液体を呪いを受けたレラの右手にふりかける。


「聖水だ。痛いかもしれないが、少し我慢してくれ」


 液体をかけると、呪いを受けた部分からジュウウ! と、液体が蒸発し、水蒸気が立ち上った。


「ああ!」


 レラは悶えるような悲鳴を小さく上げた。

 右手を確認するも、呪いは消滅していなかった。今使ったのは一本5万円する聖水だ。低級の呪いなら一発で解呪することが可能だが、やはり文字通り焼け石に水だったみたいだ。何の効果も見られなかった。

 その時、オレの脳裏に最後の手段が過った。最悪、レラの右手を切り落とすしかないかもしれない。


「右手を切り落とそうと思ってるなら無駄よ。既に呪いは全身に感染しているから、ただ痛い思いをさせるだけ。その娘を助けるにはレベル6以上の浄化魔法を使うしか方法はないわよ」


「レベル6以上の浄化魔法だって⁉」


 通常、隠しクラスや上級職以外の回復術師でもレベル5までのヒールや浄化魔法を習得することは可能だ。しかし、その先からは次元が違ってくる。レベル6の浄化魔法を使えるのは、上級職の中でも聖女か聖者のみだ。日本にも使えるのは二人しかいないのだ。つまり、レラにかけられた呪いを解くことは事実上、不可能と断言されたも同じだった。


「もしくは、私を倒すことが出来れば、呪いは自動的に解呪されるわ。まあ、それは不可能でしょうけれどもね」


 千呪はクスクスと嘲った笑いを浮かべた。


「だって、ただの人間に黒の魔人の一柱である私を倒せることなど不可能なのだから。それに、貴方達は私が作り出した人形にすら手も足も出ないじゃない。気づいている? 私、戦いが始まってからまだ一歩も動いていないわよ」


 レラの指弾を受けても障壁で無傷。腐り姫とかいう人形にすら、オレ達は勝つどころか壊滅させられそうになっている。

 オレに出来ることと言えば、対して効き目の無いヒールレベル1を使うだけ。

 この危機的状況を打開するには、もう少し千呪を倒すのに必要な情報が欲しいところだ。

 すると、レラが突然、ゆっくりと立ち上がった。


「何をするつもりだ、レラ⁉」


「師匠、今から切り札を使います。危ないから下がっていてください」


 切り札だって? そう言えば、レラはさっきもそんなことを言っていたな。もし、それが通じなかったら覚悟をしてください、とかって言っていたが。


「回復術師に転職して、拳闘士としてのボクの力は大分低くなっちゃったけども、今から使うスキルは正真正銘、ボクだけの固有スキル。クラスに関係なく本来の威力を出せるとは思いますけれども、万が一、ダンジョンが崩壊して生き埋めになっても許してくださいね」


 レラは脂汗を垂れ流しながらオレに無邪気な笑みを浮かべて見せた。


「ダンジョンが崩壊した時は、オレは見捨てて、一人だけでもここから脱出してくれ。それが条件だ」


「それはちょっと無理かも。だって、このスキルを使ったら、ボクはもう一歩たりとも動けなくなると思いますから。多分、ヒールレベル1くらいしか使えないと思います」


 それはそれで凄まじいほどの脅威なんだが、とは口が裂けても言えなかった。


「さて、それじゃ、ちょっくら叫んできますね」


「叫ぶ? 叫ぶってなに?」


「まあ、見ていてください。あ、念のため、耳は塞いでいてください。もしかしたら鼓膜が爆ぜるかもしれないんで」


 オレは即座に両手で両耳を塞いだ。

 レラの奴、今からどんな凄まじい奥の手を繰り出そうとしているんだろうか。


「お嬢ちゃん、もしかして無駄な足掻きをしようとしていらっしゃるの?」


「無駄な足掻きじゃないよ。だって、これからおばさんをぶちのめしてあげようって思ってるんだから」


「その右手にかけられた呪いは『人面呪』と言ってね、一粒一粒が地獄の亡者を召喚して呪いに転化したものなのよ。普通の人間なら、既に致死量の呪いを受けているはずなのだけれども、お嬢ちゃんの身体はどうなっているのかしら?」


 あの呪いはそんなにえぐいものだったのか。既に致死量の呪いを受けているって、レラの奴、よく動いていられるな。


「このくらいのピンチは今まで何度も乗り越えてきたからね。まだ死ぬとかって感じてはいないかな?」


 そう言って、レラは身構えた。両手を合わせると、まるで獣の口が開いたかのように両手を開いて見せた。


「呪いのおばさん、正真正銘、これがボクの切り札だよ。もし死ななかったら、この勝負、呪いおばさんの勝ちでいいから」


「あらあら、そんな馬鹿正直に手の内をさらしてもいいのかしら? もしかして、私のこと馬鹿にしている?」


 ピキッと周囲の空気が殺気で凍り付いた、ような気がした。


「いいや、そんなわけないじゃん。これはお返し。だって、呪いおばさんも色々と教えてくれたじゃない」


 色々と教えてくれた? はて、レラは何を言っているんだろうか。

 すると、千呪から発せられていた鋭い殺気が、突然消え失せた。凍り付いた空気も溶け、何やら穏やかな空気が漂い始めたような気がした。


「なら、最後の切り札とやらを受け止めてあげないといけないわね」


 千呪は穏やかな微笑を口元に浮かべると、腐り姫に合図をする。

 腐り姫は千呪の前にやってくると、レラと対峙した。どうやら、レラの攻撃を腐り姫で受け止めるみたいだ。


「私達は逃げないから、やれるものならやってみろ、ってことか」


 オレの額から一筋の汗が流れ落ちた。レラの切り札が通用しなかった時、それはオレ達の敗北と死を意味していた。


「ありがとう、呪いのおばさん……いや、千呪!」


 レラは嬉しそうに微笑むと、真剣な眼差しで両手に意識を集中し始めた。柑子色の光がレラの両手から溢れ始め、それは小さな光の球を形成する。


 あの光の球はなんだ? オレでも凄まじいエネルギーがあの光の球に集中しているのを感じる。そう言えば、両耳をしっかりと塞いでいるようにと言われていたのを思い出し、オレは更に力強く両手で両耳を塞いだ。


「いっくよ。竜闘気フルバースト」


 その時、オレはレラの背後に光り輝く巨大な竜神の姿を垣間見た。


「竜帝咆哮!」


 レラの背後に現れた竜神が大きな口を開き、そこからエネルギー波を放出した。同時に、レラの両手からも強大なエネルギー波が放出される。神殿内に獣の咆哮が轟き、それはあたかも竜の咆哮のようであった。

 次の瞬間、激しい衝撃波が神殿内を襲った。

 柑子色の光に千呪と腐り姫は飲み込まれる。

 その時、オレは、勝敗とは関係なく、レラの必殺スキルの余波に飲み込まれて消滅してしまうと確信した。


 ダンジョンが崩壊するかもだって? これはそんな生易しいものじゃない。ダンジョンそのものが消滅するかもしれないじゃないか、と、オレは薄れゆく意識の中、レラに対して抗議の声を上げるのだった。

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