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第37話 東方からの逃亡者

 物心ついた時、彼は古い朽ちたモスクの地下で、一人の男と共に生活していた。

 男は中年のようにも、老人のようにも見え、汚い朽ちた衣類をまとっていて、一見すると浮浪者のようでもあった。だが、男は自称・魔法使いで呪術研究者だった。

 幼いころにはそれがどういうことか、彼にはよくわからなかったが、成長するにつれて理解が及ぶようになった。男は琥珀アンバー級の魔法使いで、自分で作った薬や怪しげな魔法書や呪術書の写本を売って、生計を立てていたのだ。

 そのため彼は、子供のころには薬草の採取を手伝わさせられ、十を過ぎるころには写本の手伝いをさせられるようになっていた。

 そのころには彼は、男から教えられて文字の読み書きと計算ができるだけでなく、呪術書によく使われている古語の読み書きもできるようになっていた。

 その過程で彼が知ったのは、東方世界の人間たちが持つ、「魔力器官」と呼ばれる臓器の存在だった。


 魔力器官は、東方世界の住人に固有のもので、心臓の近くにコブのように生えているという。

 それは心臓に張り付くヤドリギのようなもので、本体であるコブから伸びた管が血管に沿って体内を巡っている。そして、このコブの大きさと管の枝分かれの数が、その人の魔力量を決めるのだ。

 もっとも、東方世界の住人のほとんどの魔力器官は心臓に埋もれてごく小さく、そしてそういう者たちは魔力を持たないに等しい。

 ただ、中にはコブがある程度の大きさを持つ魔力器官を有している者もいて、そういう人々が魔法使いになるのだった。

 魔力器官は、コブが大きければ大きいほど、そして管が細かく枝分かれしていればしているほど、魔力量が多いと言われる。そして、魔力量は鍛錬によってある程度は増やすことができるのだった。

 とはいえ、何事にも限界はあるものだ。

 コブの大きさは、一回り程度にまで肥大させられれば上々だと言われている。だからこそ、琥珀級が黄金ゴールド級になることはあっても、それより上に行くのは無理だと言われるのだ。

 だが、彼の魔力器官は違っていた。

「おまえの器官は、私が作った特別性だ。だから、おまえがその気になれば、いくらでも魔力量を増やすことができるぞ」

 男は、そう言って笑ったものだ。

 とはいえ当時の彼は、そんな男の言葉を信じてはいなかったけれども。

 なぜならこの時代、東方世界では外科の技術は著しく遅れていて、内臓疾患はもとより怪我や傷に対しても外科的処置ができる医者はいなかったからだ。

 そんな時代に、人工の魔力器官を作って子供の体に埋め込む技術など、あるはずがないと彼は思ったのだ。もちろん、男が大魔道師と呼ばれるアリアン級ならばそれも可能かもしれないが、まともな魔法も使えない琥珀級の魔法使いに、そんなことができるとは到底思えなかったのだ。


 彼が十四の年、男は呪術書の写本を作って売りさばいた罪で捕らわれ、処刑された。

 本来なら彼も共に処刑されるはずだったのだが、物好きな貴族が助けてくれて、生き延びることができたのだった。

 ちなみにその貴族は、男が写本した呪術書を買った好事家の一人で、成人前の彼が古語の読み書きができることに興味を持ったらしかった。

 彼のいた国では、古語の読み書きができるのは研究者か魔法学校の教師たちぐらいで、貴族であってもそんな素養を持っている者は珍しかったのだ。

 貴族は彼に、自分の持つたくさんの古書の翻訳をしろと命じた。

 ただし彼は貴族にとっては奴隷も同然だったので、男とくらしていたころと違って、自由はなかった。

 衣食住には困らないが、貴族の屋敷の地下に造られた書庫から出ることは禁じられ、彼は来る日も来る日もそこで古書の翻訳をすることになったのだ。

 だが、そんな生活に三月で飽きた彼は、ある日そこから逃げ出した。

 逃亡するのは、簡単だった。大量の古書の翻訳によってたくさんの魔法の知識を得た彼は、外から掛けられた書庫の鍵を難なく開け、見張りの兵士や屋敷の者たちには魔法を使って自分の存在を知覚できなくして、あっさりと屋敷を出ることに成功したのだ。

 逃亡の際には、男が売っていた呪術書の原本のうちの一冊を見つけて持ち出していた。

 男がやっていたように、写本を作って売りさばけば、金に困らないだろうと思ったためだが――その呪術書は、その後、彼が考えていた以上に役立つことになった。


 貴族の屋敷から逃げ出した彼は、覚えた魔法の一つで髪や目の色を変え、捕らわれる危険のあるその国を出た。それから、西へ西へと旅をして、気づいた時には西方世界の東端の国、エーリカへとたどり着いていた。

 西方世界に魔法使いはいないという話は、旅の途中で一緒になった商人らからよく聞かされていたので、彼は自分が魔法を使えることは伏せて、まずは薬を作って売ることにした。

 半年もすると彼の薬はよく効くと評判になり、富豪や下級の貴族らが客として訪れるようになった。そんな中で彼は、「東方から来て薬の知識があるなら、魔法は使えないのか」と問われるようになった。エーリカの人々の間には、漠然と「東方の薬師は魔法が使える」といったイメージがあったようだ。それは案外、琥珀級の魔法使いたちがもたらしたものだったのかもしれない。

 だが彼は、魔法が使えることはあくまでも伏せた。かわりに「魔法は使えませんが、占いならばできます」と言って、薬を買いに来た客が望めば、占ってやるようになった。

 ちなみに、彼の占いの技術は例の呪術書に載っていたものだ。

 彼は魔法学校で学んだわけではないので知らなかったが、東方世界では魔法使いの多くは占いをしない。占いを行うのは、彼のいた国では「星読み師」と呼ばれる天体についての専門家たちだけだった。

 その国にも、カードや金貨、水晶玉などを媒体にして占いをする者もいなくはなかったが、それらの者たちは琥珀級以前の魔力すら持たない偽魔法使いだと、認識されていた。

 ともあれ彼は、客に乞われるままに占いをし、そしてそれもまた、「よく当たる」として評判になった。もっとも、薬と違って占いの方は、単に彼が相手の顔色を読むことに長けていたためかもしれないが。というのも彼は、まずは曖昧なことを口にして相手の顔色や出方を伺い、客の望みを導き出しては、それがかなうだろうといったことをまたもや曖昧に告げるといったやり方をしていたのだ。

 曖昧な言葉は客自身によって良いように解釈され、少しでも望む結果が現実になれば「占いが当たった」と歓喜された。

 そんなわけで。彼の薬師としての評判と共に、占いの評判もまた大きくなっていった。


 それから何年かが過ぎたころ。エーリカの国内に、王によって聖女が追放されたとの噂が流れ、訪れる客たちが不安を口にするようになった。

 そしてある日、一人の貴婦人が彼の元を訪れる。

 貴婦人は言った。

「あなたに、わたくしの夫と娘の未来を占ってほしいのです」

 このころの彼はすでに、占いの技術も洗練されて、本当に未来が見える能力を手に入れていた。彼自身、自分の魔力が昔よりも増えている自覚もあった。

 なので彼は承知し、貴婦人に連れられて翌日の早朝――東雲のころにその人の屋敷へと向かった。

 屋敷の奥の主の書斎で、彼は貴婦人の夫たる人物と面会することになったのだが、その人物とはこの国の宰相だった。

(ご婦人の服装や物腰から、かなりの大物だろうと踏んではいたが、まさか宰相とはねぇ……)

 彼は内心に舌なめずりをする。

 とはいえ、彼も対峙した男を見やって、下手なことは言えないと腹をくくった。

「私は占いといったようなものは、さほど信じておらぬが……妻の気遣いを無碍にする気はないのでな」

 宰相は、厳しいまなざしでこちらを見やって言う。

 彼はうっそりと頭を下げると、書斎の一画にあるテーブルを借りて、占いの道具を広げた。


 彼の占いは、基本はカードによるものだ。

 最初は銅貨や小石に数を書いたものを使っていたが、占いを求める客が増えたあたりで、絵師を雇って絵を描かせ、専用のカードを作らせた。

 彼はそのカードと、念のためにと水晶のサイコロを荷物から取り出す。

 そのサイコロは、東方世界を出る前に、自分のために買い求めたものだった。なので、自分の身の振り方を決めるために振ったことはあっても、客のために振ったことはない。

 彼はまず、丁寧にカードを切って、呪術書から得たとおりの手順で十枚、カードをテーブルに並べた。

(こいつは……)

 カードを一枚一枚読み解いていくうちに、額にじわりと汗がにじむ。

 カードが語っているのは、宰相というよりもその娘――聖女を追い出して王が王妃としたその女のことだった。

(王妃の腹の子は双子だ。一人は男、一人は女。男は王太子となり、女は聖女となる。……うん、ここまでは悪くない。誰が聞いても喜ぶ話だ。だが――)

 彼は眉をひそめて、十枚目のカードを睨み据える。

 そこに出ているのは、王妃の死だった。

 王妃は双子の子供を産み落とし、その産褥の中で死ぬ。

 そしてその死が、この国に更なる災厄を呼ぶことになる――。

 その災厄がどんなものかは、別にカードを広げてみなければわからない。

 だが今はそれよりも。

(この結果を、伝えてもいいのか?)

 彼は逡巡する。これまでの彼のやり方ならば、これは伝えないだろう。相手が平民や下級貴族だったとしても、気分良く金を払って帰ってくれるとは、とうてい思えない結果だからだ。ましてや相手は、一国の宰相である。不敬だとして、即刻処刑ということもあるかもしれない。

 だが、黙っておくには重要すぎる内容ではないか。

 王妃の産褥死が事前にわかっていれば、腕のいい医者を呼ぶとか、薬を処方するとか、何か助かる手立てがあるかもしれないのだ。彼が口をつぐんだことで、助かるものも助からないということもある。


 迷った末に彼は、水晶のサイコロを振った。

(奇数なら伝える、偶数なら伝えない)

 サイコロは『四』と出た。

 彼は大きく息を吐くと、顔を上げる。そして、立ち上がると奥の書き物机に座している宰相の元に向かった。



 その日から彼は、「東方のまじない師」として宰相に仕えることになった。

 占いの結果は、広く国の内外に知らされ、今後王女が生まれて成長するまでの間は王妃が聖女を務めることが発表された。

 国内は喜びに湧いたが、翌年にはそれは嘆きの声へと変わる。

 彼の占いのとおり、王妃が産褥の中で亡くなったのだ。

 しかもそのことに衝撃を受け、王は自室に閉じこもったまま、外に出ようとしなくなった。

 ほんの一時、聖女の代行者として女官の一人が国のための祈りを行うようになったが、その女官も王妃を呪い殺したという噂が出たあと、姿を消した。

 こうしてエーリカは、滅びへの道を進み始めた。


 そんな中彼は、ようやく安全な居場所を確保していた。

 彼が祖国から持ち出した呪術書には、さまざまな失われた魔法や禁忌の呪術が書き記されていたが、その中によみがえりの呪術があった。

 それは、死者の魂がまだこの世にあるうちに、別の肉体か人形などに宿らせる方法で、彼はそれを応用して別人に成り代わることに成功したのだ。


 王女が生まれて間もなくのころに亡くなった、三十前後の女官。彼女は東方世界出身で、身寄りがいなかった。

 死体は共同墓地に運ばれたが、その途中、彼はその死体を奪った。

 奪うといっても暴力的なやり方ではなく、運び人たちに自分が死者の遺族だと思い込むように暗示をかけたのだ。そして難なく死体を手に入れ、呪術を使ってその女官の体に自らの魂を移した。

 さすがにそんなことを城の中でやるわけにはいかないので、彼は以前にみつけておいた、都のはずれの森の中にある、壊れかけた古いきこり小屋でひそやかに術を行った。

 細い月の光がかすかに射し込む薄明りの下で、女官の体を得た彼は、今まで自分の器だった体を見下ろす。痩せこけてガリガリの、三十前後から五十歳までの幾つとも取れる年齢不詳の男。

 宰相のお抱えとなってからは、さすがに羽振りも良くなって、衣類も上等なものを身に着けるようになっていた。だが、ここに来るため目立たぬように、わざと裾や膝などが朽ちた衣類を身に着けて来た。そのせいもあって、床に横たわるその姿は、浮浪者のようでもある。

(これはこれで、ちょうどいいさ)

 胸に呟き彼は、小さく肩をすくめた。そのまま床に置いてあったランタンを手に、小屋の外に出る。

 周囲に誰もいないことを確認すると、彼は低く呪文を唱えた。途端、ランタンを持つのとは逆の手に、ぼっと炎が宿る。彼はそれを、小屋めがけて投げつけた。

 さほど大きな炎ではなかったにも関わらず、彼が更に呪文を唱えると、炎はあっという間に大きく燃え上がり、小屋を一気に飲み込んだ。

 それを見やって彼は、踵を返す。

 一応、火が他へ燃え移らないように、結界は張ってあった。

(この火では燃え残るってことはなかろうが……建物や死体の残骸が見つかったとしても、浮浪者の仕業でカタがつくだろう)

 胸に呟き、女となった彼は森の出口へと向かった。


 その日から彼は、「メノウ」となった。

 王女の一番近くにいて、彼女を自分の思い通りに育てるために、「昔聖女に仕えていて、結婚のために退職し、ちょうど赤ん坊を生んだばかりの元女官」といった履歴をでっちあげ、暗示を使って周囲の者たちに信じ込ませた。

 といってもさすがに城中とか国中の者に暗示をかけるのは無理なので、とりあえずは聖女宮の殊に王女の側近くに侍る者たちを中心に術を行った。

 その結果、聖女宮の女官の多くは「東方の呪い師」のことを忘れた。

 これは意図して彼がそうしたわけではなく、術の副作用のようなものだったが、彼は気にしないことにした。

 ちなみに、彼がただの女官だったはずの女の体に移ってからも魔法が使えるのには、理由があった。

 死んだ女官は東方世界から来た者で、体内には魔力器官を有していたからだ。

 魔力器官の大きさは肉体固有のものではあったが、魂や血や外からの魔法によっても肥大させることが可能だと、彼の持つ呪術書にはあった。

 彼はそれを信じて、魂を移す前に女官の体に自らの血を与え、また呪術書にあった儀式を行って自分本来の魔力器官の大きさと同期するよう促してあった。

 おかげで、魂が移ったあとは、「完全に元の状態」とは言えないまでも、それに近いところまで魔力器官は大きくなり、ある程度の魔法は使えるようになったのだった。


 もっとも、宰相には暗示の術は、ほとんど効かなかったけれども。


 彼がメノウとなって、どれほど経ったころだろうか。彼は宰相に問われたことがある。

「そなた、王妃の死を知っていたのではないのか」

 と。

 咎めたり、断罪するような口調ではなかった。ただ事実をたしかめようとするかのような、そして幾分かは諦めたような淡々とした物言いだった。

「……知っていたわけではありません。ただ、予感はありました」

 それでも、あの時の賽の目を思えば肯定することもできず、彼は曖昧な答えを返す。

「予感……か。便利な言葉だな、呪い師。が、まあよい」

 宰相は乾いた声音で言って、肩をすくめると続けた。

「この先、この国はどうなる? 聖女が祈らねば、本当に国は立ち行かぬのか? 滅ぶとすれば、いつだ? そなたにはわかるのであろう? 以前のように、占ってみよ」

 幾分かは揶揄するかのような口調だったが、彼は黙ってテーブルの上にカードを広げた。

 メノウとなってからは、しばらく占いなどすることはなかったけれども、カードは変わらず手に馴染み、エーリカの未来を描き出した。

「今はまだ、滅ぶことはありますまい。王女様には聖女の力はございますゆえ、物心ついてきちんと祈れるようになれば、国のいくばくかは豊かなままでございましょう」

 彼は、カードが語る未来を告げる。

(そう、滅ぶことはない。今はまだ。……だが、この国に黎明を呼ぶのは、あの王女ではない。あの王女ではなく……東から来る銀色の魔法使いだ……)

 告げながら、胸の内にそう呟いた。

(銀色……白……? いや、これは……聖女?)

 カードからもたらされた映像を追っていた彼は、思わず小さく息を飲む。脳裏に閃くように、かつて追放されたという聖女のことが浮かんだ。

(なるほど、かつての聖女様が、国を救いに戻って来るか……)

 薄く笑って彼は、どこかぼんやりと窓の外を眺めている宰相を見やった。


 正直、彼は宰相が何を望んでいるのかがわからない。

 国を救いたいなら、さっさともっとまともな聖女をどこか他所の国からでも連れてくればいい。

 マリーニアへ逃げた聖女代行は実際は聖女だったらしいから、彼女を連れ戻すのでもいいだろう。

 いずれ王女を聖女に据えるにしても、このころはまだ物心もつかない幼児に過ぎなかったから、祈れと言われても無理な話だ。

 滅ぶに任せるつもりなら、逃げる用意をするべきだろう。

 だが宰相は、そんなそぶりはまったく見せない。

 強いて言うなら、ただ流れに任せるといったところか。

 もともと、聖女がいなければ国が立ち行かないとわかっていて、王のわがままを聞き入れて聖女を追い出したのだろう。王妃の死後はまつりごとは宰相の好きにできる状態なのだから、聖女代行を代行ではなく正式な聖女にすることも、追放された元聖女を呼び戻すこともできたはずだ。

(あ……元聖女が生きてるのは、知らないのか。俺、話さなかったっけ)

 彼はそこでふと思う。そう、追放された元聖女は一般的には、死んだと思われている。

 彼はそれについても、まだ「東方の呪い師」だったころに占ったことがあったので、一応ざっくりと事情は知っていた。だが、それも宰相にとってはあまり面白い話ではなさそうだったので、告げなかったのだ。

(ならこれも、話さない方がいいか。それに、どっちにしても、まだ先の話だ)

 彼は胸に呟き、カードが告げてくれた未来について口をつぐんだのだった。


 それから十年以上の時が過ぎ――王女はわがまま放題に育って成人した。

 同時にエーリカはどんどん荒み、民も貴族も逃げ出して、国としての終わりが近づきつつあった。

 そんな中、東方世界から追放された元聖女が戻って来た。東方の銀級魔法使いとなって――。

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