ガラスケースの向こう側では、竜人族の角が安置されている。なぜ国の科学研究室にそんなものがあるのか。質問する前に、ルナティアは答えをくれる。
「竜人族の角が万能薬になる……そんなのはただの噂、迷信だと証明するために、ひとりの竜人族の青年が国に角の提供をしてくれたのよ。額に生えていた二本のうちの一本をね。……彼のおかげで、竜人族の角はヒューマンの骨と大差ない成分で構成されていると判明し、国からも正式に発表することができた。おかげで多くの国民が平静を取り戻してくれて、大きな混乱に陥るのを食い止められた」
竜人族にとって翼はもちろん、角だって誇りの象徴だ。それを国のために、そして竜人族のために自ら提供した──そんな奇特な人がいたなんて。
……けれどそんな“奇特な人”に、ライラはひとりだけ心当たりがあった。
角の傍には、共同研究者二名の名が連ねられている。「アデル•フォートゲート」、「ソフィ•ソラリウス」。
けれど何よりライラの目を引いたのは、角の提供者の名──「グレン」。
「『グレン』──角を提供してくれた当時は、まだ竜人族の長になったばかりの歳若い青年だった。ライラさん、あなたに関する報告書をモンブランから受け取った時……私、とても驚いたのよ。グレンはあなたの……」
「育ての父です」
ガラス越しに、ライラはグレンの角に触れた。
いつも微笑みを絶やさない穏やかな人だった。ライラが一人でも生き延びられるようにと弓を教えてくれたのも彼だ。ライラが生まれてから十年間、毎日共に食事をして同じ屋根の下で眠った──。
「里長様……」
里の中で、ライラのことを受け入れてくれた唯一の人。たった一人の家族だった。
もう二度と会えないと思っていたのに、思わぬ形で再会を果たしてしまった。たとえそれが体の一部であったとしても……。
「……王妃殿下。ここに連れてきてくださってありがとうございました。里長様を感じられるものは、もうすべて失われたと思っていました。……けれど、違ったんですね」
彼の誇りも優しさも、ちゃんと此処にあった。自分以外にも彼を覚えている人がいた……その事実が、ライラの胸を熱くさせた。
ふと視線を下げれば、角の欠片と思しきものも一か所に纏められている。
「あの、こちらは?」
「……ああ、それは……グレン以外にも、角を提供してくれた人がいたの。とても助かったわ。サンプルは、多い方が良いものね」
細かく砕かれた角の欠片。ライラがそれを気がかりに思えたのは──グレンとは異なり、提供者の名が一切書かれていないことだった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
謁見の間に戻ってから、今度はケーキとハーブティーを振舞われる。アルの物騒な忠告を思い出してしまったが、出されたものはすべていただくのがマナーだ。さすが、城の料理人の作るケーキは絶品。そこに添えられるハーブティーはすっきりとした後味で、どちらもライラ好みだ。
「今日はとても楽しい時間を過ごせたわ。また声を掛けさせてちょうだいね」
「こ、光栄です! こちらこそ、本日はお招きいただきまして誠にありがとうございました!」
別れ際、ルナティアの合図から間もなく。彼女の執事がライラに水筒を手渡してきた。
「それは特別製の水筒でね。氷を入れておけば、中の液体を冷たい状態で長時間保存することができるものなの」
「え⁉ す、すごいですね。そんな貴重なものをいただいて良いのでしょうか?」
「ええ。まだ試作品だけれどね。中には、グミミという果実をジュースにしたものを入れておいたわ。口に合うといいのだけれど」
「グミミ」。その一言で、ライラの気持ちは一気に浮上する。忘れもしない、アルと出会った翌日のこと。足の疲労を訴えたライラを気遣い昼食にしてくれたアル。そのデザートにと差し出してくれた果実がグミミだ。
グミミにはアルとの思い出が詰まっている。
しかし、
「あの……グミミ、すごく大好きなんです! だからとても嬉しいです、ありがとうございます!」
アルの話題をルナティアに振ってはいけない。なぜか強くそう思った。もしアルの名前を彼女の前で出そうものなら、目の前にある温和な微笑みが一瞬で消え失せてしまう、そんな予感がして……。
グミミジュースの入った水筒を手に、ライラはキッドと共に城を後にした。
馬車から見える景色。秋も深まり冬が近づくにつれ、日の入りは早くなっていく。夕暮れに差し掛かった空を窓から眺めていると、ぼう……っと、まるで幽霊のように。天から伸びる逆さまの巨塔が空に現れた。
「キ、キッドさん。見てください、空……!」
「ん? ……ああ、天空の巨塔ね。ここ最近はあまり出てこなかったのに、珍しいねぇ」
呑気な感想を漏らすキッドに対し、まだ巨塔の存在に慣れていないライラ。
キッドの言う通りで、あの巨塔が姿を見せる頻度は近頃、極端なまでに減っていた。
しかし今日も現れた時と同様に、間もなく姿を消してしまう。
「……あれも、エルフィさんが言っていたみたいに、神様が関係しているんでしょうか」
「たぶんね。何のために出したり消したりしてるんだか~」
この国の人間はおそらく、あの巨塔をすっかり見慣れてしまっているのだろう。だからきっとライラだけだ。あの巨塔を目にすると胸騒ぎがするのは。嫌な予感がするのは。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
約束の時間がやってきた。夕食を終えたライラはアルの部屋へ行こうと、借りていた本をすべて鞄に詰め入れて自室を後にする。特訓の成果を見せるべく、シュシュも伴っての大荷物だ。階段を登ろうとすると、先にジュリエットがアルの部屋へと向かっていくのが見える。
「ジュリエットさん?」
「……ライラ様」
振り返る彼女の手元にはティーセットが用意されていた。
「アルくんの部屋に運ぶんですか?」
「え、ええ。そうなんです」
琥珀の目が泳ぐ。朝と変わらず青白い肌。ライラはジュリエットの様子に小首を傾げた。
「ジュリエットさん、もしかして体調が悪いんですか? もしよかったら、ボクが部屋に運びましょうか?」
「え……?」
「ほら。この前、ボクがバケツをひっくり返した時は、ジュリエットさんが代わりに片付けてくれたじゃないですか。こんなことでお返しできるとは思ってないですけど……」
断られる可能性も考えての提案だった。しかし意外なことに、
「……それでは、お願いできますか?」
ジュリエットはそう言って、ライラにティーセットを手渡した。
ポットから漏れる、いつものハーブティーとは異なる香りにライラは目を丸くする。至近距離で嗅いだらむせ返ってしまいそうなほどの強い香り。
「な、なんかすごい匂いですね」
「……ええ。珍しい茶葉が手に入ったのです。よく眠れると、評判なんですよ」
ジュリエットはそう言って笑みを浮かべた。──とても静かで、穏やかで、妖艶なそれを。
ライラはアルの部屋の扉をノックする。計四回。ジュリエットの見様見真似だ。
「アルくん、こんばんは。ボクだよ、ライラだよ」
間もなく扉を開いてくれたのは、キッドだった。
「ライラちゃん、それにシュシュもこんばんは。ようこそいらっしゃい」
「キッドさん……こんばんは。こんな時間までお仕事ですか?」
「そうなのよ。ちょっと困ったことに、狼人族の長との連絡が付かなくてね。公務もそのせいで滞り気味なのさ」
部屋の奥、窓際に佇むアル。公務に追われているせいか近頃寝付けていないのか、目の下のクマがよりいっそう深く刻まれている気がする。
「忙しい時に来ちゃったみたいだね。出直そうか?」
「いや……いい。ちょうど休憩を挟もうかと思っていたところだ」
そう言ってライラを部屋に留め置いたアルだったが、
「──おい、そいつは何だ?」
ライラの運ぶティーセットに気づき、厳しい視線を送り始めた。
「あ、これ? ジュリエットさんと階段の途中で会ったんだ。でも、体調が優れないようだったからボクが代わりに預かったんだよ」
「…………」
説明をしている途中で、アルの考えていることがライラにはわかってしまった。
「えっと……まだジュリエットさんもお屋敷の中にいるはずだから。確認してもらっても大丈夫だよ?」
駄目押しとばかりに、ライラは続けた。
「不安なら、ボクが先に飲もうか?」
「……別に、いい」