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7-17.ライラと、『英雄物語』


 手慣れた様子で、アルは自らポットからティーカップに茶色の液体を注いでいく。そのむせ返りそうな香りに眉を顰めながら。

「すごい匂いだな」

「珍しい茶葉が手に入ったってジュリエットさんが言っていたよ」

「そうか……」


 あまり食指が進まなかったのか、冷ますつもりなのか。カップに注ぎはしたもののアルは手を付けようとはしなかった。


「おっさんも貰っちゃおうかな~っと……あら? カップがないわね」

 キッドの言う通り、ティーセットにはアルの分のカップしか用意されていなかった。

「取ってきましょうか? ポットを片付ける時用にって、厨房の鍵も預かってますよ」

「ああ、いいよ。ライラちゃんは本を返しに来たんでしょ? カップなら自分で取りに行くから。その間に二人で親睦を深め合ってちょうだい」

 キッドはそう言って小さくウインクをして、厨房の鍵を手に部屋を後にした。


 二人と言っても、ライラの胸にはシュシュがいるので正確には二人と一匹なのだが──、

「……そうだ、アルくん! 今、シュシュとの特訓の成果を見せてもいいかな?」

「特訓? ああ、あの……特定の人物にのみ噛みつくようにする訓練か。別に構わないが」

「準備するから見ててね!」


 ライラは丸めた布団を一つ用意して、人型に見立てていく。なるべく人間に見えるように工夫しながら。それをしっかり自立させると、ライラとシュシュは少し離れたところまで移動した。


「シュシュ、準備はいい? いくよ……!」


 シュシュは尻尾を揺らしながら臀部を高く上げ、ライラの合図を今か今かと心待ちにしている。

 右手を掲げ、パチン! とライラは指を鳴らす。次の瞬間、人形に向かってシュシュが勢いよく走り出し腕に飛びついた。間髪入れずに深く牙を差し込み、倒れた人形の全身をあらん限りの力を込めて振り回していく。


「──よくできました!」


 その一言ですぐに人形を解放し、ライラの胸に飛びつくシュシュ。どうやらおやつをねだりに来たようだ。

 まだ子狼といえども、さすがは神獣といったところか。鋭い牙は人形の腕部に深く食い込んでいた。


「どうだった、アルくん⁉」

「……まさかここまでとはな。さすがに予想以上だった」


 ライラは得意げに微笑んだ。日々の厳しい特訓に耐え抜いたシュシュが誇らしい。


「アルくんが貸してくれた本のおかげだよ! 本当にありがとうね。これで少しはアルくんに噛みつく頻度も減ってくれたらいいよね」


 アルにだけじゃない、他の人にも噛みつかないように今後も訓練を続けていくつもりだ。

 借りていた本を返却すべく、ライラは本棚に近づいた。


「で、どこに返したらいいかな?」

「適当に戻しておけ」

「そ、そういうわけにもいかないよ!」


 ライラは本棚のラインナップを見回した。作者の名前順か、表題の順か。あるいは本の種別に並べられているのかと確認するために──。


「……あ!」

 ふと、見たことのあるタイトルを視線が捉える。まるで引き寄せられるかのように、ライラはその本を手に取った。

「『英雄物語』だ!」

「……それがどうかしたのか?」

「これ……! ボクが里で繰り返し読んでいた、大好きな本なんだよ! 物語の中に出てくる王子様が強くて優しくてかっこよくって、本当にずっと憧れてたんだ! すごいよね! 仲間と旅を通して時にはぶつかり合いながらも、最終的には国を丸ごと救っちゃうなんて!」


 ライラは幼い頃から、物語の中の王子様に憧れていた。王子様が登場する物語は数多くあるけれど、中でも最も惹かれたのが『アルフォンス』。英雄物語の主人公にして、通称「救国の王子」だ。


「ボク、小さい頃からずっとアルフォンスみたいになりたいって思ってたんだ。……こんなかっこいい王子様に、自分もなれたならって」


 目を輝かせるライラに対し、

「おまえがその本を好きだというのは、意外だな」

 アルは怪訝な表情だ。

「へ? なんで?」

「いや……別に。そんなに気に入ってるなら持っていけ。俺はもう読まないからな」

「ほ、ほんとにいいの!?」

「良いから言っている」

「わあ……わあ……! ありがとう、アルくん! すごいや! まさかこの本にまた出会えるなんて思わなかった……!」



 『英雄物語』に登場するのはキラキラしたお城。呪われたお姫様。頼りになる仲間たち。そしてなにより、お姫様を助ける強くて優しい王子様。逆境に立ち向かい、困難な状況にも決して挫けない──そんな姿に、幼かったライラは強い影響を受けた。

 憧れもしたし同時に、何度も救われた心地でいたのだ。

 結局、憧れの王子様にはなれなかったのだけれど……。



 明るい表情で『英雄物語』の表紙を見つめるライラに、アルはそういえば、と声をかける。

「おまえは、出会ったばかりの頃に言っていたな。『お城ってキラキラしているんだろう』とか『呪われたお姫様はいないの?』だとか」

「うん」

「……物語の影響だったとはな。そんなに憧れていたなら、実物を見てさぞや幻滅しただろう」


 アルの静かな言葉に、ライラは思い返す。

 彼と二人で王都を目指すべく、ハディントン市場からイデアル平原へ第一歩を踏み出した朝のことを。


──「お城って豪華で、キラキラしてて、王子様とかお姫様とかがいるんでしょう⁉」──


 ライラの浮ついた問いかけに、暗い声でアルが答えたのだ。


 ──「おまえの期待に沿えるような存在でもないがな」


 あの問答からもう、二月以上が経つ。当時は物語の世界に入っていけるような気分だったのは確かだ。

 そんなライラはついに、本物の王子様たちと謁見まで果たしてしまった。登城は何度もしているし、城の敷地内に居候という形ではあるが住んですらいる。まだ日は浅いけれどもわかってきたことだってたくさんある。


「……そうだね。憧れていた物語の世界と実物とじゃ、けっこう違いはあったかもしれないね」


 実際のお城は、キラキラ輝いてなんかいなかった。

 次期国王の座を狙っての兄弟間での派閥争い、それに伴う毒による暗殺まで蔓延っている。普段は優しく穏やかなのに、なぜかアルにだけ冷たい王妃。常に様々な人々の暗い思惑が錯綜して、どこか息の詰まるところだ。


 それでも、と。ライラはまっすぐにアルを見据えた。


「でも、アルくんはそうじゃないよ」

「は……?」

「強くてかっこよくって、ぶっきらぼうだけど優しくて。出会った時から今この瞬間まで、アルくんは……アルくんだけは、物語の中の王子様と同じ。ボクが憧れ続けた王子様そのものだよ!」


 そう言って微笑めば、アルはバツが悪そうに目を逸らす。


「…………おまえって、そういうこと言っていて恥ずかしくならないのか……?」

「え、なんで? だって本当のことだよ?」

「……もういい」


 彼の発言を不思議に思いながら、手元の『英雄物語』を開いてみると、おや、とライラは小首を傾げた。

「……あれ? おかしいな……。この本、ボクが持っていたのとは表紙も厚みも違うや。ボクが持ってたのはもっと薄くて軽く、て……」

 それを聞いたアルは珍しく、狼狽えたように口を開く。

「──待て。まさかおまえが読んでいたのって……」

「…………」

 「待った」をかけられたが時すでに遅し。


 ライラは混乱していた。

 登場人物の名前も、都を目指す旅物語……基本的なストーリーも、ライラのよく知る『英雄物語』と同じだ。作者が不明なのも共通している。

 けれど今ライラが手にしている本のほうが、描写が非常に細かい。まるで実際に起こったことを記したのではないかと思うほどに。

 登場人物の会話や日ごとの食事の中身まで。それだけでなく、さらには。


「……!?」

 ライラは思わず、本を勢いよく閉じてしまった。鼓動は早まる。読んではいけないものを読んでしまったような気がして。

 けれど、いやいや気のせいだ、と。再びそっとページをめくる。


 結論から先に言えば、気のせいなんかじゃなかったのだが。



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