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第15話 謀殺という名の虐殺

 ジーンがカナデとともに、施設の最奥にある職員用保育所のエリアに辿り着いたとき、まだ、追手はそこまで迫っていなかった。


 ジーンが保育所に駆け込むと、状況が分からず困惑している様子の数人の職員と子どもたちが、驚いてジーンの顔を見た。

 子どもたちの輪の中にはアイリーンもいて、ジーンは思わず安堵の余り、その場に崩れ落ちそうになった。


「アイリーン! 無事か!」

「おとーさん、どうしたの? おしごと、まだでしょ? それに……この、おねーさんだーれ?」


 アイリーンはいつもの送迎時間より大分早く姿を現したジーンを、不思議そうに見やる。そして横にいるカナデをも。


 ジーンはそんなアイリーンを抱き上げると、職員たちに向き合い、早口で叫んだ。


「急いで逃げてください! 何者か分かりませんが、銃を持った侵入者が迫ってきています! それも複数!」


 それを聞いた職員たちの顔色が、さっ、と一斉に青ざめる。一方、子どもたちは何事かわからず、ただ、ぽかーん、としているばかりだ。

ジーンは必死の形相で、蒼白になった職員に畳みかけるように問う。


「施設からの脱出口はありませんか? この近くに!」

「このエリアにいくつかある非常口のひとつが、ここから、五十メートル奥の、フロアC-四〇八の壁面にありますが……」

「ならば、そこから、一刻も早く!」

「でも、この人数で、どうやって逃げれば? 助けを待った方が良いのでは?」


 職員のひとりが、判断が付かないという表情で、そうジーンに提言し、部屋に戸惑いの空気が沈殿する。


 そのときだ。

 それまでただ、黙ってジーンの横に佇んでいたカナデが、表情を変え、ジーンの腕をものすごい力で掴み、部屋の中から彼とアイリーンを廊下へ引っ張り出した。


「なっ! ハーンさん、じゃない……カナデ、なにを!」

「来ます! ジーン、そのフロアC-四〇八に向かって、全速力で!」


 そこで改めてジーンはカナデの聴覚の鋭さを思い出し、彼女の言葉の意味を瞬時に理解した。が、したものの、いまだ中にいる子どもたちと職員のことを考えると、身体が動かない。


 すると、カナデがジーンの腕の中から勢いよくアイリーンを奪い取る。そして次の瞬間、廊下の奥へとアイリーンを抱えたまま走り出した。


「カナデ!」


 我に返ったジーンは、もつれそうな足を必死に動かして、全速力で前を走るカナデを追う。


 やがて、走る彼の目に「C-四〇八」と書かれたフロアナンバーが目に入る。

 そして、その壁面には、たしかに、非常口らしきハッチがある。


 ――あそこか!


 と、ジーンが思った、その瞬間。

 ジーンの背を、けたたましい銃撃音が叩いた。


 その音に、彼の足が、宙に浮き、止まる。

 背後を、ゆっくりと、振り返る。

 そして、元来た方向に、駆け戻りそうになる。


 だが、その腕を、ハッチをこじ開けたカナデが、むんずと掴んだ。

 そしてジーンを無理矢理、脱出口の中に引きずりこむと、ハッチを勢いよく閉じた。



 薄暗いハッチの内部でジーンと、アイリーンを抱きかかえたカナデは、しばし息を弾ましたまま、無言だった。


 アイリーンは突然のことに、何が起こったのか分からないまま、ジーンとカナデの双方の顔をきょろきょろと見ては、落ち着かない様子でいる。だが、父の瞳に、微かに涙が光っているのに気付き、ジーンの手にそっと触れた。


「おとーさん、どうしたの? なんで泣いているの?」

「アイリーン……」


 ジーンはアイリーンのちいさな掌を握り返す力もなく、弱々しく呟いた。


「お父さんは……最低だ……お前の友だちを、見殺しにした……」

「みごろし?」


 アイリーンは父の言葉の意味が分からない。それがまたジーンの心に堪える。


「俺は……最低だ……」

「ジーン、じゃあ、どうすればよかったっていうの」


 しばらくの間を置き、薄闇のなか、うなだれたままのジーンの耳を、静かにカナデの声が打つ。


「あのままだったら、あなたも、この子も、私も、殺されていた。どうしようもなかったのよ……あなたのせいじゃ、ない」

「分かっています……だが、だが……」


 ジーンは呻いた。

 そしてまた、吐き出す言葉を見いだせず、零れる涙も拭えぬまま、下を向いた。カナデに再び、声を掛けられるまで。


「とにかく、脱出しましょう」



 仄暗く狭い脱出口を、十五分ほど歩いただろうか。

 やがて、出口らしき箇所に三人は辿り着いた。そこには、数着の宇宙服と、月面ホバークラフトが一台配置されている。


 ホバークラフトはちいさなものであったが、三人ならどうにか乗れそうだ。そして、そのなかには、数丁の予備銃も用意されていたのが、この状況下においてはありがたい。


 宇宙服を着込んだ三人は、さっそく、ホバークラフトに乗リこむ。そして、手動の遮蔽壁をスライドさせると、そこはもう宇宙の闇に包まれた月面だ。


 ジーンが勢いよくエンジンを吹かすと、三人を乗せたホバークラフトはスムーズに月の地表を滑り出した。


「ジーン、ここからは、どこへ?」

「とりあえず自動運転で、宇宙港へ向かうことにします」


 ジーンはカナデにそう答えながら、手元のナビを操作する。

 一番近隣の宇宙港までは、所要時間は約三時間。その間、追っ手に見つかることがなければ良いのだが、そればかりは天に運を任せるしかない。


 ――しかし、襲撃してきたのは、一体何者なんだ?


 遠ざかる収容所のコロニーを背後に見ながら、ジーンの頭に、やっとそれを考える余裕が生まれた。


 ――月の制空権は、自国のユーラシア革命軍が掌握しているはずだ。ということは?


 そう考えながら、何の気なしに、ジーンは車内に作り付けられたモニターを眺める。ナビの画面から切り替わり、いまはそこには、なにかのニュース画面が映し出されている。


 その映像に、ジーンは息を詰まらせた。


「……ユーラシア革命軍政府は、本日、月面裏側にある革命軍月面難民収容所に、反乱の兆しがあると見て、特命部隊による急襲作戦を敢行し、反乱分子をすべて抹殺した。反乱分子は、主に難民収容所の職員であり……」


 抑揚のないナレーションとともに流れたのは、まさに自分が、つい先ほどまでいた、研究所内の惨状であった。

 ジーンの目に、白衣を着た研究者らしき複数の人間が、血溜まりのなか点々と息絶えている光景が、次々と飛び込んでくる。


「……彼らは、政府に対する叛逆を企てていただけでなく、難民への残虐行為を恒常的に行っていた容疑がもたれており、該当の一部職員は、その場での略式裁判を経て、収容所内で処刑された……」


 モニターに釘付けになったジーンの瞳を、唐突に、見覚えのある、ふたつの人間の死体がよぎる。


 ひとりは、褐色の肌の体格のよい男性、そして、もうひとりは、小柄な赤い髪の女性である。

 ふたりは、収容所の中庭らしき広場にて、白衣を切裂かれた半裸の状態で、首に縄を巻き付けられて吊されていた。 

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