ヴァンスの運転技術は、さすが、運送屋というだけにスムーズで、四人を乗せたホバークラフトは月面をなめらかに滑り、ほどなく宇宙港の貨物車用デッキに到達した。
「ほら、見ろよ、お前さんら、
そう言いながらヴァンスが指さしたデッキの壁面には「L-五十三 ウィルスン貨物商会」との表記が確かに見える。ヴァンスはホバークラフトの車体のスピードを落としてそこに寄せ、パス・コードを発信する。
すると、ちょうどホバークラフトが入れるくらいにデッキが開き、ヴァンスはそこに車を乗り入れる。
ジーンは、この先がどうなるか分からないとはいえ、ひとまず宇宙港に辿り着けたことに、安堵の吐息を漏らした。
「兄ちゃん、そんなに安心したか」
その様子を見てヴァンスが宇宙服を脱ぎながら、苦笑いする。
「あんたは、本当に正直な奴だなあ。とりあえず、兄ちゃんたちも宇宙服を脱いだらどうだ、窮屈だろ。大丈夫だよ、俺はその間に逃げたりしねえよ」
ジーンは、しばらく迷った。
だが、たしかに空気、そして重力もある宇宙港内では宇宙服のままでは動きにくいし、目立つことこの上ない。それに銃を構えた手も痺れかけている。
――この
ジーンはそう心の中で呟き、銃口をヴァンスの頭からそらすと、宇宙服を脱ぎにかかった。
対して、ヴァンスの動きは素早かった。
「どこまでも、あんたは甘いな! 兄ちゃん……いや、ジーン・カナハラ!」
ヴァンスはそう言うや否や、ジーンの足を勢いよく蹴り飛ばした。ジーンはホバークラフトの床に転倒し、ついで、彼の手から銃が転がり落ちる。そしてそれを、すかさずヴァンスが拾い上げる。後部座席のカナデとアイリーンが叫び声を上げる。
それは、一瞬の出来事だった。
そして、その瞬間が過ぎてしまえば、形勢は逆転しており、いまや銃口を頭に突きつけられているのは、ジーンであった。彼は己の甘さに唇を噛みながら、呆けたようにヴァンスに問うしかなかった。
「なぜ、私の名を?」
「さっき、仲間内からの専用無線で流れてきたのさ。難民収容所から脱走した反乱分子がいると」
「……そういうことか」
「そこではっきり名前も容貌も出てらしたぜ、ジーン・カナハラさん」
「早いな、さすが我が軍だ」
ジーンは頭に触れた銃口の冷たさに呻きながら、ぼそり、と呟いた。そして床に倒れた格好のまま、視線だけを静かにヴァンスに投げる。
「ヴァンス。私を軍に引渡しても良い。だが、その女性と娘だけは地球に連れて行ってくれないか。このふたりは今回の事件には無関係なんだ。頼む」
そのジーンの声を耳にして、ヴァンスが眉を顰める。いまさら、なにを言い出すか、とでもいうように。だが、ジーンは床に額をこすりつけて、ヴァンスに懇願した。
「頼む、私はどうなってもいいんだ。だから! お願いだ! ……いや、お願いです!」
ジーンは叫んだ。何回も、何回も、頬を砂塵で汚しながら、声が枯れるまで。
「お願いです! お願いです! 頼みます!」
どのくらいそうしていたか。何度、懇願を繰り返したか。
やがて、そんな父の様子に異変を感じて、カナデの腕の中のアイリーンが大声で泣き出した。
「なーんか、調子が、狂うんだよなあ……。あんた、いったい、なにをやらかしたんだ?」
途端に賑やかになった車内で、ヴァンスが困惑したように、ぼそり、と言った。
「反乱分子というのは嘘よ。この人は、私を助けてくれたわ」
唐突なその声に、ヴァンスの視線が後部座席のカナデに飛ぶ。
「姉ちゃん、あんたは戦争難民なのか?」
「ええ、私は難民よ。そして、この人は大けがをした私を、助けてくれたわ」
カナデはなおも泣き続けるアイリーンをあやしながら、ヴァンスにきっぱりと断言した。ヴァンスの眼光が、ぎらり、と鋭くなる。
「……姉ちゃん、それに間違いは無いか?」
「間違いないわ。この人は、私の命の恩人よ」
「そうか……」
そうヴァンスは呟き、しばし考え込むようにジーンを見下ろしていた。その数十秒後、ジーンの頭部から急に銃口の感触が失せ、驚いた彼は思わずヴァンスを見上げた。
「ならば、助けよう」
気付けば、ヴァンスはどこか遠い目をしていた。
そしてその目つきのまま、噛んで含めるように、呟く。
「俺も、元難民なんだよ」
そして、ヴァンスはジーンに突きつけていた銃を運転席に投げ出すと、倒れたままのジーンの腕を掴んで引っ張り上げつつ、ぼそっ、と低い声で囁いた。
「だから、難民はいわば仲間だ。それを、虐待だなんてとんでもねえ、と思ったが、逆に助けたというなら、軍に突き出すわけにもいかねえな……」
「ヴァンス」
「いいだろう、地球に着くまで、積んであるコンテナの中に隠れていろ。ウィルスン貨物商会の面子に賭けて、地球まで運んでやる」
ヴァンスは、そこまで言うと、不敵な笑みを口に浮かべてジーンたちを見た。
「酸素も温度も十分な常温貨物のスペースに積んでやるから、安心するように。食事は持ってきてやる。たいしたものは持って来れんがな」
そう早口で言い残すと、ヴァンスはホバークラフトから下りて、宇宙港の内部へ向かって歩き去って行った。
ジーンは図らずも自分が生き延びたことを知り、汚れた顔のまま、ホバークラフトのシートにもたれかかり、大きく息をついた。そしてカナデの腕からアイリーンを受け取ると、アイリーンの宇宙服を脱がせながら、彼女の茶色いくせ毛をこれでもかと、撫で回し、抱き寄せた。
途端にアイリーンが顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま、抱きついてくる。
「おとーさん! おとーさん! だいじょうぶ?」
「ああ、ごめんな。怖い思いさせちゃったな、アイリーン。お父さんは大丈夫だ、怪我もないよ」
そして、ジーンはカナデの顔をまっすぐ見やると、深々と礼をした。
「ありがとうございます、カナデ。おかげで、助かりました」
「礼を言うことじゃないわ、あなたが私の命を救ってくれたのは事実なんだから」
「いいえ、あなたこそ、私たち親子の、命の恩人です」
そのジーンの言葉を聞いて、カナデは複雑な表情を、その琥珀色の瞳に映し出した。そして、なにか言いたげに唇を開きかけた。
だが、その言葉は空に霧散し、代わりに出た台詞は現実的この上ないものだった。
「さあ、せっかく助かった命を無駄にすることないわ。早く、コンテナの中に、隠れましょう」