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第18話 命の恩人

 ヴァンスの運転技術は、さすが、運送屋というだけにスムーズで、四人を乗せたホバークラフトは月面をなめらかに滑り、ほどなく宇宙港の貨物車用デッキに到達した。


「ほら、見ろよ、お前さんら、の、ご要望につき、これから宇宙港に入るぞ」


 そう言いながらヴァンスが指さしたデッキの壁面には「L-五十三 ウィルスン貨物商会」との表記が確かに見える。ヴァンスはホバークラフトの車体のスピードを落としてそこに寄せ、パス・コードを発信する。

 すると、ちょうどホバークラフトが入れるくらいにデッキが開き、ヴァンスはそこに車を乗り入れる。


 ジーンは、この先がどうなるか分からないとはいえ、ひとまず宇宙港に辿り着けたことに、安堵の吐息を漏らした。


「兄ちゃん、そんなに安心したか」


 その様子を見てヴァンスが宇宙服を脱ぎながら、苦笑いする。


「あんたは、本当に正直な奴だなあ。とりあえず、兄ちゃんたちも宇宙服を脱いだらどうだ、窮屈だろ。大丈夫だよ、俺はその間に逃げたりしねえよ」


 ジーンは、しばらく迷った。

 だが、たしかに空気、そして重力もある宇宙港内では宇宙服のままでは動きにくいし、目立つことこの上ない。それに銃を構えた手も痺れかけている。


 ――この一時いっときくらいこの男を信じざるをえないか。


 ジーンはそう心の中で呟き、銃口をヴァンスの頭からそらすと、宇宙服を脱ぎにかかった。


 対して、ヴァンスの動きは素早かった。


「どこまでも、あんたは甘いな! 兄ちゃん……いや、ジーン・カナハラ!」


 ヴァンスはそう言うや否や、ジーンの足を勢いよく蹴り飛ばした。ジーンはホバークラフトの床に転倒し、ついで、彼の手から銃が転がり落ちる。そしてそれを、すかさずヴァンスが拾い上げる。後部座席のカナデとアイリーンが叫び声を上げる。


 それは、一瞬の出来事だった。


 そして、その瞬間が過ぎてしまえば、形勢は逆転しており、いまや銃口を頭に突きつけられているのは、ジーンであった。彼は己の甘さに唇を噛みながら、呆けたようにヴァンスに問うしかなかった。


「なぜ、私の名を?」

「さっき、仲間内からの専用無線で流れてきたのさ。難民収容所から脱走した反乱分子がいると」

「……そういうことか」

「そこではっきり名前も容貌も出てらしたぜ、ジーン・カナハラさん」

「早いな、さすが我が軍だ」


 ジーンは頭に触れた銃口の冷たさに呻きながら、ぼそり、と呟いた。そして床に倒れた格好のまま、視線だけを静かにヴァンスに投げる。


「ヴァンス。私を軍に引渡しても良い。だが、その女性と娘だけは地球に連れて行ってくれないか。このふたりは今回の事件には無関係なんだ。頼む」


 そのジーンの声を耳にして、ヴァンスが眉を顰める。いまさら、なにを言い出すか、とでもいうように。だが、ジーンは床に額をこすりつけて、ヴァンスに懇願した。


「頼む、私はどうなってもいいんだ。だから! お願いだ! ……いや、お願いです!」


 ジーンは叫んだ。何回も、何回も、頬を砂塵で汚しながら、声が枯れるまで。


「お願いです! お願いです! 頼みます!」


 どのくらいそうしていたか。何度、懇願を繰り返したか。

 やがて、そんな父の様子に異変を感じて、カナデの腕の中のアイリーンが大声で泣き出した。



「なーんか、調子が、狂うんだよなあ……。あんた、いったい、なにをやらかしたんだ?」


 途端に賑やかになった車内で、ヴァンスが困惑したように、ぼそり、と言った。


「反乱分子というのは嘘よ。この人は、私を助けてくれたわ」


 唐突なその声に、ヴァンスの視線が後部座席のカナデに飛ぶ。


「姉ちゃん、あんたは戦争難民なのか?」

「ええ、私は難民よ。そして、この人は大けがをした私を、助けてくれたわ」


 カナデはなおも泣き続けるアイリーンをあやしながら、ヴァンスにきっぱりと断言した。ヴァンスの眼光が、ぎらり、と鋭くなる。


「……姉ちゃん、それに間違いは無いか?」

「間違いないわ。この人は、私の命の恩人よ」

「そうか……」


 そうヴァンスは呟き、しばし考え込むようにジーンを見下ろしていた。その数十秒後、ジーンの頭部から急に銃口の感触が失せ、驚いた彼は思わずヴァンスを見上げた。


「ならば、助けよう」


 気付けば、ヴァンスはどこか遠い目をしていた。

 そしてその目つきのまま、噛んで含めるように、呟く。


「俺も、元難民なんだよ」


 そして、ヴァンスはジーンに突きつけていた銃を運転席に投げ出すと、倒れたままのジーンの腕を掴んで引っ張り上げつつ、ぼそっ、と低い声で囁いた。


「だから、難民はいわば仲間だ。それを、虐待だなんてとんでもねえ、と思ったが、逆に助けたというなら、軍に突き出すわけにもいかねえな……」

「ヴァンス」

「いいだろう、地球に着くまで、積んであるコンテナの中に隠れていろ。ウィルスン貨物商会の面子に賭けて、地球まで運んでやる」


 ヴァンスは、そこまで言うと、不敵な笑みを口に浮かべてジーンたちを見た。


「酸素も温度も十分な常温貨物のスペースに積んでやるから、安心するように。食事は持ってきてやる。たいしたものは持って来れんがな」


 そう早口で言い残すと、ヴァンスはホバークラフトから下りて、宇宙港の内部へ向かって歩き去って行った。



 ジーンは図らずも自分が生き延びたことを知り、汚れた顔のまま、ホバークラフトのシートにもたれかかり、大きく息をついた。そしてカナデの腕からアイリーンを受け取ると、アイリーンの宇宙服を脱がせながら、彼女の茶色いくせ毛をこれでもかと、撫で回し、抱き寄せた。

 途端にアイリーンが顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま、抱きついてくる。


「おとーさん! おとーさん! だいじょうぶ?」

「ああ、ごめんな。怖い思いさせちゃったな、アイリーン。お父さんは大丈夫だ、怪我もないよ」


 そして、ジーンはカナデの顔をまっすぐ見やると、深々と礼をした。


「ありがとうございます、カナデ。おかげで、助かりました」

「礼を言うことじゃないわ、あなたが私の命を救ってくれたのは事実なんだから」

「いいえ、あなたこそ、私たち親子の、命の恩人です」


 そのジーンの言葉を聞いて、カナデは複雑な表情を、その琥珀色の瞳に映し出した。そして、なにか言いたげに唇を開きかけた。


 だが、その言葉は空に霧散し、代わりに出た台詞は現実的この上ないものだった。


「さあ、せっかく助かった命を無駄にすることないわ。早く、コンテナの中に、隠れましょう」

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