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第30話 罪と罰

 勢いよく開け放れた部屋の扉から、どやどやと村の者らしい男どもが入ってくる。いや、なかには女の姿も見える。

 彼らのひとりが寝台にいるジーンの姿を認めるや、いきなりユーリに掴みかかり、彼を張り飛ばした。


「やはり、ユーリ! お前がこいつを匿っていたのか!」


 ユーリが、どさり、と音を立てて椅子から床に転げ落ちる。それを見てジーンは顔色を変えて叫んだ。


「やめてください!」


 だが、今度は別の男がユーリの身体を蹴飛ばした。室内に、ユーリの苦しげな呻き声が響く。


「彼には、なにも罪はないんです! クオに私を差し出せばすむことでしょう! だったら、そうして構わない、だから!」


 そのジーンの叫びに、村人の動きが、ぴたり、と止まる。そして全員が、ジーンに視線を向ける。そして、そのなかのひとりが、軽く眉を顰めた。


「なにを寝ぼけたことを言ってやがるんだ、この男は?」


 そして村人は、寝台に横たわったままのジーンの顔に近づき、その顔をまっすぐ見据えると、彼に尋ねた。


「お前さんは、いま、研究所に新しく連れてこられたターンの被験体の女と、ここに来たんだろう?」

「そうです。だから私は、彼女を助けなきゃいけない」


 すると村人たちが、ざわめく気配がする。ジーンのその言葉に、困惑するように。


「助けるだと?」 

「そうです!」


 ジーンは必死の思いで答える。

 そして彼は、月の裏側から、この琥珀ヤンターリ村に至るまでの自分の身に起こった出来事を、村人たちにありのまま、話して聞かせることを心に決めた。



 ジーンの長い語りを、彼ら彼女らはただ、押し黙って聞き入っていた。

 やがて、ジーンが琥珀海岸での出来事まで語り終えると、部屋の中には、暫し、沈黙の帳が降りる。話終わったジーンは、寝台のうえで、その疲労から思わず大きく息を吐いた。


 だが、その彼に、村人たちが再び切った口火は、彼の予想を超えたものであった。それも、極めて悪い方向に。


「果たして、それは真実かな? ああ?」

「私がいま言ったことに、嘘偽りはありません」


 しかし、村人たちの視線は、相も変わらず険しい。いや、先ほどより険しさを増している、と言った方が的確かも知れない。

 ジーンはそれに遅まきながら気付き、身を強張らせた。


「ジーン・カナハラとやら、いまの話によると、お前さんは月の施設の研究員だったわけだろう?」

「はい」

「つまり、ケセネス准佐の同僚だったわけだな」

「そうです。私はクオと一緒に、月の裏側で働いていました」

「なんだ、じゃあ、やっぱり、ケセネス准佐のお仲間じゃねえか。お前さんは、仲間であるケセネス准佐に彼女を引渡すために、俺たちの村に来たんじゃないのか?」

「そんな!」


 ジーンは、理解されるどころか、思いもしない嫌疑が自分にかけられていることを知り、慄然とした。


「違います! 違う! 私は、彼女を元に戻してやりたくて、カナデとここに来たんです!」


 ジーンは腹の傷の痛みも忘れて、村人たちに絶叫した。


「それに、カナデだけじゃない! 話したでしょう、妻もです、妻のレベッカも被験体にされていたんだ、私の知らないところで!」

「そりゃあ、自業自得だな」

「あんたに、罰が下ったんだろうよ」


 村人から即座に口々と返された言葉に、ジーンは、息を呑む。


「……!」


 ――まさか、自分がここまで、信用されないとは。


 ジーンはその悔しさに、歯ぎしりせんばかりだった。

 頼む、信じてくれ! と彼は腹の底から叫びたい衝動に駆られる。しかし、かろうじてそれを押しとどめ、ジーンは視線を床に落としながら独り言つように、弱々しく零した。


「しかし……アイリーンにはなんの罪も、ない……」

「アイリーン? お前が連れてきた娘のことか?」

「……はい、もうすぐ、四歳になります」

「ほう」


 悲痛さを滲ませたジーンの言葉に、村人たちが、皮肉めいた声をやんやと上げる。


「たしかに、ケセネス准佐のことだからなあ。そのアイリーンとやらの運命も分かりゃしねえなあ」

「ケセネス准佐ねえ。あの子も、昔は、かわいい坊やだったのにねえ」

「そうだよ、その出自も問わずに、よく遊んでやったもんだよ」

「なのに、その恩も忘れて、成長してからは俺たちを、ことごとく非道に扱いやがって」


 その言葉を耳にして、ジーンは思わず顔を上げ、村人に尋ねた。


「クオは、ここで育ったのですか?」

「あんた、それも知らなかったのか?」

「じゃあ、やっこさんの正体も知らねえのか。あんた、本当に、無知だなあ」


 ジーンの台詞に呆れたように村人が呟く。そこには、色濃い嘲りの色が滲んでいる。だが、それから面白げにまた他の村人が放った言葉は、ジーンをこれ以上もなく打ちのめすものであった。


「それはともかく、話を戻そう。ケセネス准佐は、お前さんの娘を被験体として、いまごろ仕立て上げているかもしれんぞ」

「なんだって?」

「リ・ターン、いや、ターンのほうかもしれんなあ、ちいさな子どもにターンの薬を打つ実験も、奴さんなら、やりかねないな」


 ジーンは青ざめた。

 脳裏に、その幼い身体をクオに弄ばれるアイリーンの姿が浮かぶ。


「それだけは、やめてくれ! 勘弁してくれ!」

「おっと、俺らに叫んだって、なんにもならねえよ。言うなら、ケセネス准佐に直接、言わねえと」


 村の男のひとりが、揶揄するように、絶叫するジーンを嘲った。くぐもった嗤いが、ジーンの周りに、さざ波のように広がる。その輪の中で、彼は崩れ落ちるように寝台の上で身体を屈した。

 そして、そのままの格好のジーンの口から、ついに、堪えきれぬ嗚咽が漏れ出した。



「……お前の事情は、分かった」


 しばらくの間を経て、涙を流し続けるジーンに冷たい視線を放りながら、村人のひとりが呟いた。


「とりあえず、お前がここにいると、ケセネス准佐に通報するのは、やめておいてやる」


 ジーンが涙に濡れた顔を上げる。だが、彼に向けられた視線は、相も変わらず厳しいものであった。そして、口々に投げかけられる数多の言葉も。


「だが、俺たちはお前の味方にはなってやらん。当然、加勢もしねえ。お前が自分の被験体と、娘、そして妻を助けたいんだったら、自分でなんとかしろ」

「そうだな、こいつに同情は出来ねえ。なんせ、ターンの実験をその手で行った野郎だ」

「カナデとやらを被験体にしたのは、お前が自分で、望んで行ったことだ。だったら、自分で蒔いた種は、自分で刈り取るこった」

「そうさ、みな、お前の自業自得さ。自分の尻くらい自分で拭きな」

「ジーン・カナハラ、お前の落とし前は、自分で付けるんだな!」


 その言葉にこめられた、村人たちのすさまじいまでの憎悪を一身に浴び、ジーンは再び俯き、唇を噛んだ。


 彼は、カナデを被験体とした己の罪を改めて認識せざるを得なかった。


 誰にも言い逃れの出来ないことを、自分は、カナデに対して、行った。その心づもりはあるつもりだった。どこまでも深く、胸に刻み込んでいるつもりだった。だからこそ、カナデを連れ、身の危険を承知でこのサハリンの地を踏んだのだから。


 だが、彼は、今更のように、それが「つもり」でしかないことを知る。望んで行った実験では、なかった、などという、都合の良い言葉が、実験の当事者たちに通じるほど、この世は、彼に優しく出来ているわけではなかったのだ。


 月の裏側と変わらず、自分を取り巻いているのは、またしても残酷な世界であるとジーンは改めて知る。いや、すべてにおいてが通じた、あの月よりも、いまいるのは、さらに残酷な環境だ。一度、どんな躊躇の上であれ、暴力に手を染めてしまえば、人間はそこから還ることは容易に叶わない。いや、自らの存在そのものが、その過酷な世界を構成する一要素として溶け込んでしまう、というべきか。


 そして彼は、自分がいかにカナデに甘えていたか、思い至る。カナデのことが好きだ、などと言って、彼女を抱いた昨夜の自分が、端から見れば、どんなに愚鈍で、滑稽そのものであったか、落ち着いて考えてみれば、身が燃えんばかりであった。


 本来なら、自分のことをいくら恨んでも恨みきれない立場であろうカナデが、どんな思いで自分の求めに応じ、ジーンに抱かれたか。


 そのことに考えも至らず、ただただ、カナデに甘えて、その肢体を欲望のまま貪った自分が、恥ずかしくてならなかった。


 やがて、村人たちが室内から出て行く。だが、なおも、ジーンは、自分の甘さが恨めしかった。


「くっ!」


 彼は咄嗟に、自分の頬を、自らの手で強く叩いた。痺れるような痛みが顔を覆う。だが、彼は続けて己の頬を殴り続けた。その痛みを感じても、もはや、なんの償いにも、ましてや慰めにもならぬことをジーンは自覚している。


 しかし、彼は、しばらくの後、床から起き上がったユーリが、その腕を静かに掴むまで、自らを痛めつける動作を止めることができなかった。 

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