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第40話 絶唱

「なんだろう? ひとが、いーっぱい、いるね? あのなかにおとーさんも、いるのかな?」

「……アイちゃん! 行っちゃだめ! 見ちゃだめ!」

「なんで?」

「アイちゃん、お願い、ここにいて! じっとしてて!」


 カナデはアイリーンをその場に残すと、人だかりに向かって走り始めた。降りしきる雪に埋もれた田舎道はぬかるんで、足が縺れそうになったが、構ってはいられなかった。心臓の動悸が高まる。どうか自分の想像が違って欲しい、杞憂であって欲しい、そう願いながらカナデは雪の夜道を走った。

 しかし、人の輪の中心に飛び込んだ次の瞬間、カナデの望みは儚く潰える。


 ジーンは、赤黒い血だまりの中にうつ伏せになって倒れていた。


 顔を見るまでも無かった。服装と、横に転がった愛用の鞄で、カナデにはその遺体がジーンだと一目で分かった。そして、背後から撃たれたのだろう、ジーンの後頭部は無残に赤黒く潰れていた。彼の息がとっくに絶えていることも、確かめるまでもなかった。だが、カナデは地に伏せたジーンに縋り付いて、身体を揺さぶり、彼の名を叫んだ。ジーンの血がひたひたとコートを汚す。堪えきれぬ激情が、彼女の胸の中で渦を巻いた。


「……ジーン、ジーン! ジーン!」

「なんだ? 女、お前はこいつの家族か?」


 血と泥にまみれ冷たくなったジーンの頬を擦っていたカナデに、上から掠れた男の声が降ってくる。見上げてみれば、覆面の男のひとりがカナデを見下ろしていた。その手には先ほど確かめたとおり、ライフルが握られている。

 カナデは声を震わせ絶叫した。


「……なんてことを!」


 すると、もうひとりの男も口を開いた。


「なんてことも、何もねえよ。俺たちは奴に、相応の罰を与えただけだ」

「なんですって? 罰? 彼が何をしたっていうの!」

「さっき、ここにいる人間には説明した通りさ。こいつは月の研究所で、俺たちの孫を見捨てて逃げた、とんでもなく卑怯な野郎だよ」


 その男の声にカナデは瞬時に状況を理解した。体中に悪寒が走る。カナデはジーンの元に跪いたまま、男たちを睨み付け、抑えきれぬ感情のまま、わめき散らした。騒ぎに集まった村人たちは、そんな彼女を遠巻きに眺めるばかりだ。


「彼は、ジーンは、あの時、保育所に戻ろうとしていたのよ! 残された子どもたちのもとへ戻ろうとしていたのよ! 危険も顧みずに!」

「嘘を付け。だったら、なぜ、こいつはあの収容所から逃げ出せたんだよ」

「私よ! 私が彼を無理矢理、引き止めたのよ!」

「……お前が?」


 長い白髪を振り乱してのカナデの激白に、男たちが一瞬、息をのんだ。そこに畳みかけるようにカナデの叫び声が夕闇に木霊する。


「そうよ! だからジーンに罪はないわ。むしろ、彼は子どもたちを助けられなかったことを、心から悔いていたわ! 罪があるとしたら、この私よ! 殺すなら私を殺せば良かったのに! なぜ、なぜ、ジーンを?」


 そう叫ぶカナデの両眼からは、ついに涙が溢れた。頬を伝う涙は冬の風に乗って飛沫を上げ、雪の中を舞い散る。そしてカナデは肩を震わせながら、ふたりの男に改めて向き直ると、こう、声の限り叫んだ。


「彼を殺したなら、私も殺しなさい! ジーンを撃ったその銃で、私も撃ちなさい!」


 男たちの覆面越しの視線と、泣き濡れた淡い琥珀色の瞳が、雪の夜道で絡み合う。カナデの目には、涙を流しながらも苛烈なひかりが宿っている。男たちはそれに押されるように、身体を僅かに後ずさりさせたが、同時にカナデに向けて手にしていたライフルの銃口を向けた。

 己に向けられたふたつの銃口が、雪の中で鈍く光るのを、カナデはそのままの視線で睨み返す。睨みながらも、知らず知らずのうちにその指先は、血と泥に汚れたジーンの頬に触れていた。


 いったい、どのくらいそう、睨み合っていたのか。


 突如、田舎道の向こうから、けたたましいサイレンが聞えてきてカナデは我に返った。パトカーのランプが、男たちを、カナデを、ジーンの死に顔を白く照らす。やがて、人垣を割って複数の警察官が駆けてきた。男たちは抵抗する気は無いらしく、ライフルを地表に投げ捨てる。


 そして、カナデは自分の肩に、ちいさな手が添えられているのに気が付く。見れば、アイリーンがいつのまにか、傍らに立っていた。そして、地に伏せた物言わぬ父を見て、ちいさく呟く。


「カナデおばちゃん……、おとーさん、どうして、こんなところで、ねてるの?」


 その声にカナデの全身から力が抜けた。カナデはその問いになにも答えられず、ただ嗚咽しながら、雪の降りしきる宵闇の中、アイリーンの幼い身体を抱きしめた。


 そのときの彼女には、そうすることでしか、身体中を駆け巡る無念を表すことが出来なかったのだ。

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