「この度は残念だった、カナデ」
「……ええ」
モニターを通して伝わるセルジオ・タハ将軍の声に、カナデは力無く答えた。今日のタハの服装は、その地位に相応しくないラフなベージュのセーター姿だ。彼が数少ない気安い仲の者だけに、見せる格好だった。
ジーンの死から一週間が経過した夜のことである。すでに葬儀は終わり、カナデはジーンの経営していた診療所を閉める作業に追われていた。事後処理は煩雑だったが、今のカナデにはその慌ただしさがありがたかった。
それでも、あらゆる事柄には故人の影が色濃く匂い、それを感じ取るたびにカナデは抗いがたい喪失感に襲われる。
タハとの通信に応じる今も、カナデの表情は憔悴しきったままで、タハはスクリーン越しの様子からも、彼女の衝撃の大きさを感じ取らずにはいられなかった。
「大丈夫か、カナデ」
「大丈夫よ……私がしっかりしないと、なんともならないもの。いつまでも、落ち込んでられないわ」
「嘘を付け」
ユーラシア革命軍政府の最高指導者は、白いものが混じった黒髪を揺らし、顔を顰めた。
「昔から、お前はずっと強い女だったな。しかし、時にその度が過ぎるのが、俺はずっと気になっていた」
「……」
「サリが死んだときでさえも、お前はそんな顔をしなかったぞ」
「だって、サリは……」
カナデはそこで口をつぐんだ。その先は口に出してはいけない国家機密であった。むろん、そうでなくともカナデはそのことを言葉にしたくなかったが。
聖夜を数日後に控えた夜は、しんしんと冷えていた。窓の外からは、隣家に飾られたクリスマスのイルミネーションがきらきら煌めいているのが良く見える。カナデはふと気付く。アイリーンに贈るプレゼントもまだ用意していなかったことに。そしてジーンはアイリーンやレベッカ、そして自分に何を贈るつもりだったのだろうか、と考える。
「それはそうと、実務的な話になるのだが」
タハの声に、もの哀しい思考に沈みかけたカナデの心は、現実に引き戻された。
「カナデ、お前はこれから、どうする」
「どうするもなにも、ここで変わらずアイちゃんと暮らしていくだけよ。アイちゃんの面倒を見るのが、私がジーンから託された、この先の人生の責任だわ」
「そうか。俺からもできる限りの援助はしよう。それから、犯人のせいで漏れた彼の生前の情報も、俺のほうで処理する」
「ありがとう、セルジオ」
「だが、彼の妻はこちらで引き取らせてくれ。軍の病院で療養させたい。彼がいなければ、彼女を診ていくのは困難だろう」
「レベッカを?」
カナデは僅かに顔を歪めた。
「でも、彼女はアイちゃんの母親よ。アイちゃんから実の肉親を、また引き離すの?」
「しかし、彼女の意識はまだ回復していないのだろう? だとすれば、リ・ターンの薬の影響から未だその身体は抜け出せていないということだ。そうなると、今後、体調が悪化しないとも限らない。今までは医師であった彼が傍にいたから良かったが、彼がいなくなった今、そのままでは彼女のためにならん」
タハの重々しい言葉に、カナデは俯いて黙り込んだ。長い白髪が彼女の顔を覆う。暫しの後、カナデはそのままの姿勢で唇をちいさく動かした。
「……アイちゃんには、何と言えば」
「それはお前に任せるよ。彼の娘の健やかな成長を妨げない方向で、なんとか言い含めてくれ」
「そうね。それは私の方でなんとかするわ」
カナデの顔は床を向いたままで、タハからはその表情は窺えない。タハは腕を組んでしばらくそんな彼女の様子を見守っていたが、やがて、静かな声でこうカナデに語りかけた。
「彼女に関しては、近日中に迎えを寄こす。……とにかくカナデ、難しいとは思うが、あまり思い詰めるな。責任を感じるな。今回の件に関しては、ターンの実験というすべての大元の原因を作った俺に、責任がある」
「それは、そうだけど……私が責任を感じないわけには」
「カナデ、死ぬなよ」
カナデは唐突なタハの言葉に、はっ、と顔を上げた。その淡い琥珀色の瞳は、いまにも涙があふれ出しそうに光っていたが、彼女は最後の意地でそれを堪える。そして、皺が刻まれはじめた顔に微かに笑みを浮かべた。
「私が? まさか。私はそんなに弱くないわ。それに……」
「……それに?」
「私が
タハはそのカナデの答えを耳にして、沈痛な面持ちを閃かしたが、やがて、何か納得するかのように深く一回、頷いた。数瞬後、通信は切れて、スクリーンが黒く本来の姿に色を変える。
カナデはその後、十数分の間、ぼんやりと何も映さぬモニターを眺めていたが、ふと、背後に気配を感じて後ろに視線を投げる。その先には、とうにベッドに潜ったはずの、黄色いパジャマ姿のアイリーンがいた。彼女は、ととと、とちいさな足を動かして、カナデに歩み寄ってくる。
「カナデおばちゃん、やっぱり、おとーさんがいないと、眠れないの……」
「アイちゃん……」
「ねぇ、おとーさんはもう、おうちにかえってこないって、ほんとうなの? アイちゃんがわるい子だったから、おとーさん、いやになっちゃったのかなぁ?」
「違うわよ、違うわ。アイちゃん」
カナデはかがみ込んで、アイリーンと同じ高さで視線を交わす。そしてアイリーンの両肩に掌を差し伸べた。
「アイちゃん、お父さんとは、もう会えないのよ。だけどね、会えなくてもね、お父さんはアイちゃんのことが大好きなのよ。そう、これからもずーっと、大好きなのよ」
「そうなの? もうあえないのに?」
「そうよ。だから、アイちゃんもお父さんのこと、大好きでいて。ずっと、ずーっと、大好きでいて。そして、大きくなっても、そのことを、絶対、忘れないでね」
カナデはそう言いながら、アイリーンの茶色いくせ毛を、そっ、と撫でた。アイリーンは菫色の瞳を瞬かして、カナデの言葉を不思議そうに聞いていたが、やがて、こくり、と頷いた。
「うん。アイちゃん、おとーさん、だいすきでいるよ。ずーっと」
「ありがとう、アイちゃん。これはおばちゃんとの約束だからね」
「うん、おやくそくするね、じゃあ、ゆびきりげんまーん!」
カナデの手に、差し伸べられたアイリーンのちいさな小指が絡む。カナデは己の小指をも強くアイリーンと絡ませると、その幼い身体をぎゅっ、と抱き寄せる。
「アイちゃん、これからは、おばちゃんとふたりで暮らそうね。お父さんはお空の上から、ずっとアイちゃんとおばちゃんを、笑って見守ってくれていると思うから……」
万感の思いを込めて、カナデはアイリーンの耳もとで囁いた。寒さが身に沁みる夜のことだった。