工場の背後にある森に入って数分。
腰の高さまである雑草がローブを引っ掻き、足元が不安定な場所を進みながらシャルロットは言った。
「森に『おもちゃ』を落としたって、どういうこと?」
「おもちゃはおもちゃだよ。木工の箱のおもちゃを森で落としたみたい。正確にいうなら、おもちゃの中に入っている『物』の方が本命みたいだけどね。ナタ君にとって大切な物を入れたまま落としてしまったと」
「なるほど。でも、どうしてそんな大事な物を深森に落としちゃったの?」
カルは疑問を口にする。
今回の件は始終、納得できない点が多々あった。
報酬がまともでもないのに受けるシャルロットや、依頼内容が曖昧な文面。
そして、どうして落とし物を自分で拾いいけなかったのかもまだ聞かされていない。
挙句の果てに、自分までも服を汚しながら雑木林を進んでいるのは何故なのか。
「まだよくわからないな……ッ!」
カルは道に横たわった大きな切り株に足をかけるが乗る事ができずにいると、前方にいたシャルロットが手を伸ばした。
「まあまあ最後まで聞きなさいよ」
「……まったく」
シャルロットの細い手を掴み、カルは切り株を乗り越えた。
「詳しく聞かされてないけどね」
シャルロットは語り出す。
「ナタくんはこの森に依頼物を意図的に隠していたみたいなんだ。で、それを取りに戻ろうとしたとき、奴らが現れた」
「奴ら?」
「魔物だよ」
シャルロットの言葉で、カルはぞっと震えあがる感覚がした。
「最近の
「……待ってよ。それって普通の依頼内容じゃなくない?」
「そうね。普通は騎士団か、冒険者ギルドにでも出す依頼内容だわ」
(魔物の討伐依頼なんてその代表例じゃないか)
とカルは右手の指を顎に添えながら思う。
「言ったでしょ、本命はおもちゃの中に隠している『物』だって。あの子はあの子なりに、秘密にしたいことがあるのよ。だから大事にできない」
「……やっと理解できたよ」
『森に隠していた大事な物が魔物のせいで取れなくなったから、取ってきてほしい』
それにその隠しているものは、あの少年からしたらバレたら危ういものということ。
それを心で復唱してやっと、カルは依頼内容を素直に呑み込むことができた。
ただ、もう一つだけ最後の疑問があった。
「どうして僕は連れてこられたの?」
雑木林から開けた場所に抜けると、そこでは小さな川が流れていた。
川には小魚が泳いでいて、日光がきらめいて水面に反射していた。
それを屈んで眺めるシャルロットは、カルの問いに答えようと口を開いた。
「『魔物』がどうして危険なのか、分かる?」
「人を襲うことと、数が多いこと?」
カルは彼女の横に座り、同じ川を覗き込む。
近くで見ると一そう煌びやかに反射した太陽光が点滅した。
「そう。あいつらは群れているくせに隠れるのが上手だ。人目につかないような場所であの禍々しい巨体を、息潜め隠している」
シャルロットは川を覗き込みながら、間を置いて解説する。
「奴らは野生の伏兵だ。魔物退治っていうのは簡単じゃない。一体一体の討伐は容易でも、こんな森で潜まれた時には、四方八方を常に警戒しなければならないし、縄張り全域に魔物がバラついて潜んでいる訳じゃない。あいつらはいつも数で押し寄せてくる」
「……つまり?」
「森の中で『魔物の急襲に備える事は出来ない』。いつどんな時に襲い掛かってくるか分からない。それ相応の備えは人数を集めること。冒険者パーティーがどうして『複数人』なのかってことよ」
魔物の危険性は一般常識だが、一筋縄ではない。
奴らは息を潜め影から我々を見ている。
闇の中から日の元で過ごす我々を、虎視眈々と狙っている。
その牙を震わせ、唾液をねばつかせ、にたっと不気味な微笑みを浮かべながら。
魔物は現代の天災だ。
と、カルは本で読んだ記述を思い出した。
シャルロットはやおら立ち上がる。
「だから魔物の縄張りに入って迎え撃つっていうのは、そう簡単な事じゃないの。人間ならまだしも、魔物に限ってそれは、自殺行為だと言えるわ」
そんな彼女を見上げるように視線を向けるカル。
ふと深紅の瞳と目が合った。
「さてカル。そこで君の出番だよ」
「……なるほどね」
カルは、シャルロットが言わんとしていることがすぐわかった。
「僕の病気か」
「そう。君の
シャルロットがそう尋ねる。
少年の右腕のアザがぬっと蠢いて少年は真っ青な顔で腕を抑える。
「…………」
そう。
カルはこの数ヶ月『
シャルロットから魔力の操作や感情のコントロールを教わり、術式で力を抑制し続けた。
そうしてカルは今や『平均侵食値 十五』という驚くべき回復を見せている。
かつて、百を超えて大暴走していたあの日々から、彼はその力を抑え込んできた。
その力を必死に『否定』してきた。
だが彼女はそれを許さない。
彼女がカルに求めるのは抑圧ではない。
シャルロットは少年に近づいてほっぺに手を添えた。
そして小刻みに震えている少年の目をみた。黒い瞳の奥は、少し赤ずんでいる。
「大丈夫。私が傍にいるから、何かあったら私が止めるよ。どうしてもカルが嫌なら、私も魔術で魔物を引き寄せることができるっちゃできるけど……効果は少し落ちるかな。だからお願いしたい」
「……ほんと?」
裏返った声で訊く。
カルは震えていた。
カルにとって、この力は忌々しいものだった。
「うん。カルのこの力は、カルの物なんだから」
でもシャルロットは、カルにそう伝えた。
『
だからカルはそれを、受け入れなければならない。
これは、成長に必要なことなのだ。
赫病者である自分を認め、理解し、赦すための、過程なのだ。
カルは伏目になり、自分の両手を見つめた。
「……シャルロットは僕に、どうなってほしいの?」
俯いたまま弱々しく呟いた。
それは一人の少年の疑問だった。
彼には過去がある。
彼だけの過去で彼だけの地獄で、彼だけの世界があった。
そして彼はその世界で、苦しみを味わい枯渇を想い、ついには死神の到来を切に願った。
だから今、こうやって生きているのはある種、奇跡なのだ。
あの日、シャルロットが彼を救った日から、これは始まった。
彼女の答えは決まっていた。
「……ただ生きてほしいんだよ」
そういうと、カルはふっと震えを止めて彼女の方を向いた。
生気に溢れた強い眼差しになっていた。
「わかった」
カルは決断した。
「ありがとう」
*
その開けた森の中で、カルは腕を出し力を籠めた。
感情を想起させ制御する為に、メーターを強く握りしめながら、腕にある赤黒いアザが疼き、――そして滲み出す。
あの四角形の赤黒い物体が大きさを問わず数個、生成された。
「侵食値、三十!」
「…………っ」
少年の言葉の後に、シャルロットは異変に気づいた。
感情の起伏によって赫病は身体を侵食し、値が百を超えると『暴走状態』に陥る。
そのことから、『大抵の赫病者は生まれたとき、安全のため殺される運命にある』。
赫病は危険なものだ。
赫病にはいくつかの例がある。
カルの赫病は『未知エネルギーの生成』であるが。
世界各地ではそのほかの症例が確認されている。
『人を殺す影』『物を浮かせる超能力』『魔物を配合できる神の手』『触れた物を破壊する足』。
――赫病は元来、様々な有害を振りまく。
だから赫病は危険視され、本来なら誕生と共に殺されなければならない。
……そうして赫病が『魔物の因子を孕む』ことで起る病気ということはつまり。
魔物と因果関係がある。
「……ッ!」
だからカルの『未知エネルギーの生成』は、
野原の中心で、彼女は周りを見回す。
静か。
いいや、静かすぎる。
「――っ!」
刹那、シャルロットの視線外の茂みから大きな黒い物が勢いよく飛び出した。
振り返る猶予を与えないくらいの速度、シャルロットはその急襲に気が付いたが、目線を向ける事はできない。
「――結界魔術、層!」
呪文の詠唱をすませると即座に魔力が形を成し、魔法陣が魔物の目の前に現れ、そこに勢いよく魔物は顔面をぶつけた。
それにより振り向く時間を稼ぎ、シャルロットは魔物を肉眼で捉える。
そこには、『犬のような黒い生物が、真っ赤な瞳をぐるぐると動かしていた』。
「黒魔術、乱花!」
唱えると瞬間、地面から急速に生えて来た緑の植物が、魔物の心臓を貫いた。
魔物は途端にぐったりとした。
だが、そんなのをシャルロットは見届ける暇はなかった。
「ガアアアアアア!」
「ガルルウ!」
その魔物の死が、更なる連戦の幕開けであった。
シャルロットは右手を宙にかざし、魔力を練る――、
「――黒魔術、蒼穹の道しるべ!」
空は、青い。そしてその青さは、美しい。
だからこそ、そこに『牙』があるのに気が付かない。
蒼穹から降り注いだ巨大なガラスの破片が、飛びついて来た二体を真っ二つに処刑した。
だが息つく間もなく、四方から魔物が次々と襲いかかり、シャルロットは心の中で久々の激戦に微笑をたたえる。
森が揺れ、木々がざわめいた。
そして風に乗せられて、草木掻き分ける猛獣の音が茂みを迸る。
「飛び込んでくるって分かってれば、こんなもの」
呟き、ローブを揺らしながら手を瘴気に呑まれた魔物にかざして、
「おとといきやがれ!」
そらから降り注ぐ『牙』が空気を裂き、魔物へ命中した。
「シャルロット、次来てる!」
「分かってるわ!」
カルの急かしにそう答えるするシャルロット。
上空で待機させているチビによって、どこにどんな魔物が潜んでいるか、また、その魔物がどの順番で迫ってくるかも予想がついていた。
シャルロットは右腕を前にかざし、再度強く叫んで、魔力を瞬間的に集中させた。
「――蒼穹の道のしるべ!」
刹那、シャルロットを中心に据えて、円形に展開した隙間なき幾千の魔法陣が突発的に現れ空を覆った。
そうして茂みから飛び出してきた数十匹の魔物の頭上で、魔法陣からは『牙』が徐々に生成され、上空に現れた幾千の魔法陣から溢れ出た『牙』が一斉に世に放たれ、それらは真っ逆さまに急落下し、何重にも空間が裂けるような澄んだ音が響いて……。
――にわかに絶命した魔物の死骸が転がった。
それを見届けて、シャルロットはふっと笑った。
飛び出してきた魔物たちを一瞬で蜂の巣にしたのだ。
「チ、チゥ」
空にいたチビが地上に降り、魔物の死骸をツンツンと触ってから肉を噛みちぎる。
それを横目にシャルロットは呟いた。
「ふう、……魔物肉なんて不味いから人は食べないのに、チビは凄いね」
「チゥ!」
魔物を食べながら嬉しそうに羽を広げるチビから視線を外した。
シャルロットは「カル?」と言いながら振り返る。
「……おつかれさま、カル」
その場で疲れて眠ってしまったカルをみつけた。
シャルロットはそう、嬉しそうに呟いた。
二人は、森の魔物を一掃したのだった。