巨大な城壁を伝って道なりに進むと、先には大きな道があり、城門がちらりと顔を見せた。
列に並んでやや待つと守衛が免許の提示を求めてくるので、冒険免許を守衛に差し出す。
シャルロットとカルは特に問題なく通れたものの。
何故かザザは独特な風貌や傭兵にしては簡素な持ち物が疑われ、しばらく話し合ったが別室対応となってしまい。
結局入国には時間がかかってしまった。
しばらくしてザザが事務所から出てくると、多少疲れたような顔をしていた。
「……待たせたな」
「大丈夫だった?」
「酷い事はされてない」
カルが尋ねると彼は軽く言ってみせた。
だが、口下手なザザのことだからしつこく確認とかされたのだろう。
とほとほとシャルロットは感じた。
こうしてやっと、一行はその国を一望することになった。
傾斜になった街の中心にそびえる巨大な城がよく見え、その城の周囲から順にレンガ造りの建物が並び、薄灰色の屋根が太陽光を反射していた。
そして城門には薄青い旗が掲げられ、冷たい風に靡いていた。
シャルロット一行が入国したこの『三番城門』は、この国のなかで一番景色がいい場所だったのは、後に知る事となる。
ここは王国。
【南の王国 オリアナ】である。
「ここが三番区ね。じゃあとりあえず、このあたりで宿を取りましょうか」
「……思っていたより人が多いね」
シャルロットが城門で貰った地図を眺めていると、ぽつり真横でカルがそう呟いた。
実際、周囲をみると人々がごった返している。
「そうね。私達、国規模はなんやかんや久しぶりだ。ほら、ここ数ヶ月は小さい村とか街が多かったし」
これまでの旅を思い浮かべると、ここまで大きな場所は初めてだったのだ。
まだ旅に慣れていないカルからすれば、この光景は珍しいものなのだろう。
「さて、ザザはこれからどうするの?」
シャルロットは言いながら振り向いた。
相変わらずザザは仏頂面のままだった。
「明日だな。明日までは一緒に居ようと思う。『五番区』までいけば俺にあってる仕事が見つかるはずだからな」
と答えた。
それを聞いてシャルロットはにっこりと笑った。
「そう、よかった。じゃあ今日までは一緒にいれるのね!」
と張り切るようにシャルロットは髪を揺らしカルへ微笑みかけた。
そしてシャルロットはザザの方へもう一度視線をむける。
「ザザは今日何したい?」
と訊くとザザはきょとんとした。
「俺か?」
「もちろん。あんたは今日の主役なんだから」
そこまでするもんかね、とザザは言いたげな顔を浮かべた。
少し考えるように唸ってふと空を眺めた。
「街を歩きたい。この国の景色を見て周りたい」
「ほほう、でもそれって一人でも出来ることない?」
「お前らと歩きたいんだよ。散歩は確かに趣味だが……ダメか?」
シャルロットが疑問符を打って呟くと。
ザザはすぐにそう云ってシャルロット、カルと視線を移した。
相変わらず表情の変化はなく何を考えているのかわからないが、まあいいかとシャルロットは息を漏らす。
「僕は何でもいいよ。ザザと一緒に居られれば」
カルもそう言った。
そして下手な微笑をザザに向けた。
といった具合で、南の王国オリアナへ着いた一行は歩き出した。
*
花屋、果物屋、食べ物屋がずらりと点在しており、果物屋の前ではカルよりも幼い子供たちがかけっこを楽しんで、道端では行商人が大声で売り文句を叫ぶ。
そんな人混みを歩き、三人はガヤガヤとした人々の声に耳を傾けながら歩いた。
「なんだか混んでいるね」とカルは首を傾げる。
「そうね。何か行事でもあるのかな?」
「オリアナはこの時期になると、どこもこんな感じだ」
カルとシャルロットの言葉に、先頭を歩くザザは背中越しに教えてくれた。
そしてザザは続けた。
「オリアナには『伝説』があるんだ」
「伝説?」とザザの言葉にカルが聞き返した。
するとザザは人混みの中で停止し、体の向きを変えて道の外れに歩き出した。
シャルロットとカルはそれについて行った。
そして脇道へ入るとザザは説明を始めた。
「それは数十年前。喧嘩っ早い隣国とよく戦争していたときだ。オリアナは防戦一方で隣国に攻め入る事すらできず、とある場所にあった『青空が反射する美しい池』を煙で埋め尽くしてしまった。そんな状態がまるまる一ヶ月続いたんだ」
脇道へ入ると人気がぐんと減り、冬らしいつんとした寒気を孕んだ隙間風が頬にあたった。
カルはザザの横に移動し、話を聞こうと姿勢を整えた。
「するとな、怒ったんだ」
ザザはやけに強調して云った。
「空をこよなく愛し、そして空に愛された女性が怒ってしまったんだ。その女性は空を汚した二国を両成敗しようと動き出し、あっという間に隣国は滅んだ」
「えっどういうこと? そんなことできる人がいるの?」
「いるんだよ。それもそいつはまだ生きている。――現行四大魔女の一角『穹の魔女』さ」
その名前を聞いたカルはぞっとしたような表情を一瞬浮かべた。
でもすぐカルは目をぎらぎら輝かせた。
橋を渡りながらザザはそっと振り返って、カルを見下ろした。
「穹の魔女はオリアナと戦っていた隣国を滅ぼしたあと、喧嘩両成敗って名目でオリアナも滅ぼそうとした。……だが、そうはならなかった。隣国を滅ぼした後、穹の魔女はオリアナにも手を出そうとしたが、当時の王が彼女を説得し、『三条の誓い』を結ぶことで、国を守ることができた」
俗にいう『オリアナの三条』とはそれのことだ。
とザザは話を締めくくる。
有名な話だが、幼い間幽閉されていたカルにとって、とても新鮮に思えたらしい。
両手を胸の前で上下させ楽しそうにしていた。
「ザザはこういう逸話みたいなの詳しいの?」
カルは尋ねた。
「そうでもない。ただ旅の年季が違うだけだ。とはいえ、オリアナは始めて来た」
「こらこら二人とも、道のど真ん中で止まらないの」
アーチの上で止まって雑談していた彼らにシャルロットは割り込んだ。
灰色のローブが水路の上を通る風に靡いた。
少年のブロンド髪も男の分厚いコートも揺れ、男はふと水路を見る。
その時、シャルロットはそっと少年の真横に立つと、右手に隠していたものを少年に手渡した。
渡されたものをみて少年はシャルロットに見上げる。
シャルロットは笑みを浮かべて囁いた。
「いっておいで」
「……うんっ!」
少年は無邪気な笑顔を浮かべてから、そう一人、大通りへ走り出した。
シャルロットはチビをカルの上空につけ、アーチの上で残ったザザと二人っきりになる。
「カルに何を渡した?」とザザは背中で訊いた。
「お金。ザザにサプライズプレゼントでも買っておいでってメモつきで」
「なるほどな。サプライズじゃなくなってしまったが?」
ザザが面白くなさそうに言うと、シャルロットはそれに「まあまあ」と返した。
何とも言い難い沈黙が流れた。風がしきりに強くなった。
「カル、笑うようになったわね」
ふと、シャルロットは呟いた。
ザザは目線を風に向ける。
「そうなのか……そういえば、確かに以前より表情が柔らかいな」
「あんたと出会う前の街で色々あってね。それから徐々に心を開き始めているみたい」
そう言いながらシャルロットはザザの真後ろに立った。
「そうだったんだな」とザザは何てことないように水路を眺めながら云う。
シャルロットはそんな彼に胡乱な目を向けていた。
「もう気が付いているんでしょ?」
シャルロットが声を凄ませた。
水路にまた冷たい空気が通った。
「…………」
離れた場所から人混みの音が響き、水路のせせらぎと、反射した太陽光が緩やかに踊っていた。
アーチの上の二人の男女の間にも冷たい隙間風が通り過ぎた。
その風は、ささやかな緊迫感を作り出した。
「……何の事だ」
ザザはしらばっくれた。
まだザザは水路に流れる風に視線をあげていた。
シャルロットは彼の背中に目を据えた。
「私の正体とカルの過去よ」
指摘するように言い放つと、男はやおら振り向いた。
ザザはため息をついた。
ザザのコートとシャルロットのローブが、強まる風に靡いて行った。
「ああ。否定はしない」
ザザは真正面からシャルロットを見て云った。
「お前が『卵』であることも、カルがあの『オメラスの唱』の被害者であることも、何んとなくな」
「まぁ、カルの方はそこまで隠してなかったから。いいけどさ」
言いながらシャルロットは一歩引いた。
「どうして私が『魔女の卵』だって気が付いたのかが疑問なんだよね」
その言葉はザザの鼓膜まで届いて、ぽちゃんと水路に落ちた気がした。
小さな波紋が水路で光り、ザザは顔に微笑を張り付けた。