南の王国 オリアナの早朝は静かなものだった。
冷え切った霧の中には微かに冬陽のぬくもりを感じ、まだやんわりと深緑色の街灯が点灯していた。
シャルロットとカルは宿の前で旅立とうとしているザザの見送りにきていた。
「別に一人でよかったんだが」
ザザは後ろに立っているシャルロットにそう言って、自分の持ち物を確認していた。
「寂しいこと言わないの。ほら」
腰のポーチ、灰色の持物袋、おやつ、そしてあのネックレス。
ザザは確認を終えて立ち上がり、ゆっくりと振り返った。
そこには眠そうにしながらもしっかりと見送りにやってきたカルがいた。
カルに寝ぐせはない。
どちらかというと、シャルロットの髪型が悲惨なことになっている。
「ザザ」
カルは目を擦りながら声をかけた。
「またね」
と精一杯の笑顔を彼に向けた。
ザザはそれを見て「ああ」と短く答えてから、あっさりと背中を向けて朝霧の中に消えた。
「相変わらず反応薄いわね」とシャルロットが彼の態度に腕を組む。
「そうだね。逆にザザらしい」
カルは朝霧に溶けていく黒い影を見つめながら、そう呟いた。
「……そうかもね~。ほらカル、朝ごはん食べるよ」
「うん」
カルがシャルロットの言葉に反応して振り返っている間に、ザザはすっかりと霧の中に姿を消してしまった。
*
南の王国 オリアナ。
南の王国 オリアナは、西のカシーアからシト山脈を越えた先に広がる広大な草原の国。
その首都『オリアナダウン』は王城を中心に円形に広がり、区ごとに特色があった。
観光名所は三番区、冒険者なら『五番区』、工業エリアは『四番区』……という具合で。
そうしてここ『三番区』は観光で有名な場所で、城門から見る景色が王国を一望できるため、人気のスポットだ。
加えて、三番区の城門は街道と繋がっているため、いつも混んでいた。
そしてザザが向かった『五番区』は冒険者の街だ。
ギルド、鍛冶屋、ポーション屋と冒険者がよく利用する施設が並んでいた。
なんでも、五番区の城門から出た先には未開の深森があるみたいで、迷宮とかの存在も仄めかされているとか。
区は『一番から六番』まであり、『三番』と隣接している『二番』と『四番』の情報もそれなりに集めた。
というのが、この国に来てからシャルロットが得た情報だ。
そして、ザザと別れてから一週間が経った。
*
「このあたりの筈なのよねぇ」
なんて言いながら「おかしいなぁ」とぼやく彼女は、黒髪を靡かせながら紅の瞳でじーと持参している地図を眺めた。
この場所は『四番区』の工業エリアだ。
その背後についてきていたカル。
クッキー色の上着に藍色の手袋をし、白い息を吐いた。
「ねえシャルロット。やっぱり行ったことない場所なんだから、誰かに案内してもらおうよ」
「もうちょっとなのもうちょっと。このあたりの筈なんだから」
シャルロットは項垂れながら周囲を右往左往としていた。
そんなシャルロットの愚行をみていたカルは呆れた様子で眺め、そろそろ自分から通行人に声をかけてやろうかと思っていたところだ。
「あ! この道だ! この道に違いないわ!」
カルが一歩踏み出し人に助けを求めようとするタイミングで、間が悪く彼女は自信満々な顔になり右手で路地裏をさした。
……こんなくだりはこれで三回目だった。
カルはため息をついてシャルロットの後をついていった。
「ねえ、いつになったら着くの?」
「この先の水路に沿って右に進む、そしたら橋が見えてくるはずだから」
「ふうん。それで間違ってたら流石に通行人に助けてもらうよ」
「そこまでしなくていいよ。もう。カルは付いてきてくれるだけでいいんだから」
「……」
今回の『お使い屋』の依頼は現地集合だった。
明記された場所へ地図片手に目指しているのだが、カシーアより大きい街並みと複雑な人の流れに翻弄され絶賛迷子。
カルは心底呆れていた。
何故なら何となく「自分がいなかったら、この人は速攻で人に聞いている」という彼女への理解があったからだ。
いいとこ見せようとしなくていいのに。
とカルは言葉にはしないが口を尖らせた。
「あ」
「……どうしたの?」
「い、行き止まりだ」
シャルロットが先ほど言っていた通りに進んだものの、そこには四番区の城壁しかった。
水路もそこで途絶えていた。
シャルロットは気まずそうに振り返りカルの顔を伺う。
「はぁ」
と強めのため息がカルの口から飛び出した。
シャルロットは「ご、ごめん……」としぼんだ。
「普通にしてればいいのに、普通にしてれば」とカルはシャルロットの背中を叩いて地図を受け取った。
確かに橋はあるが、人が入れる建物がないし、何よりその場に依頼人がいなかった。
聞くところによると依頼人は女性ということなのだが、またアテが外れたようだった。
カルがシャルロットの手を引いた。
「ほら、聞きに行くよ」
「分かりました……」
凹み切ったシャルロットを引っ張って、来た道を戻ろうとした。
その時だった。
「あら」
「え?」
その時、水路を伝って通った冬の風と共に、背後から見知らぬ女性の声が聞こえた。
カルとシャルロットはゆっくりと振り返った。
そこには薄い緑の長い髪の毛に淡い青色の瞳をした美人な女性が、いつの間にか城壁の目の前に立っていた。
「来ていたのね。お使い屋さん」
女性は冷ややかな視線を少年に引きずられているシャルロットに向けた。
そんな女性をみてシャルロットははっと気が付き、呟いた。
「あ、あなたが依頼人の」
「そうよ」
即答だった。
シャルロットが両手で立ち上がり、やっとの思いで女性の方を見つめ近づいた。
そして笑顔を作って右手を差し伸ばした。
「はっ初めまして、シャルロットと言います」
そうしてシャルロットと彼女は握手をした。
シャルロットは眼前の女性の形容しがたい威圧感に驚きながらも。
笑みを絶やさず首を傾げた。
「よろしくシャルロットさん。私の名前はエミリア・ラドゥー。愛称の『エミリー』で呼んでちょうだい」