カルはその静かな場所で、何冊か本を捲った。
【ビクトールの視察 著 ソンブラ・カルマ】
犬と子供の日常を舞台とした物語だった。
【亜人研究報告書 著 亜人研究所】
亜人について書かれていた著書だった。人狼、人虎、人猫といった動物の亜種、そして歴史の中で埃をかぶった存在、紫紺の狂気『
【愚者行進 著 リッカーマン】
大戦時にサーカス旅団として大陸を回っていた一族が、奇術という技術を用いほつれた世を正そうと奮闘する英雄記。杖の貴族という実話を元にしているらしい。
【魔女の軌跡 著 カーディナル】
四大魔女や黒魔術、そして今は亡き『古の魔女』について書かれていた。
【時の魔導書】
白紙の本だった。
「ふん、飽きて来ちゃった……」
カルは天井を見上げながらぽつりと呟いた。
シャルロットとエミリーさんが共同作業を始めて三日目になる今日、ここ二日間はよく上から二人の声が聞こえて来ていたのに、今日はめっきりとしんとしていた。
それが寂しかったのもあるし、読書ばかりだと逆に集中力が続かなかった。
そしてこういう時は決まって、散歩するのがいつもの流れだ。
「よし」
カルは立ち上がり、そして壁に手をかざした。
まだ残っている恐怖心により一歩は遅かったが、ゆっくりと壁をすり抜ける。
「な、慣れない」
出入口が変な魔術。これもやはり創作魔術なのだろうと思う。
「さて、散歩しようかな」
『四番区』工業エリアは人で賑わっており、その中に熱風と鉄臭さが通り抜けていた。
大通りへ出ると作業服をきた男性が談笑していたり、料理店では立ちっぱなしで美味しそうな食べ物を食べていた。
このあたりは景観も独特でパイプが建物の間を通っており、パイプの継ぎ目から白い蒸気が漏れ、空をまるごとパイプが覆っているような場所もあった。
加え、どこからともなく金属を叩く音が聞こえ、人の掛け声が街中に響いている。
知らない場所の散歩は冒険者しているとよくやるのだけど、だからっていつか飽きるものではない。
どんな景観もそれぞれの味があるし、何より空気感は唯一無二だ。
カルは騒がしい大通りをおやつ片手に歩き、そう脳内で思っていたところだ。
「うわっ、おい」
「ちょっと!」
いきなり背後で大人たちの声色が急変した。
同じ道を歩いているし、背後だったため声が変に印象深く聞こえ、カルは振り返った。
するとその時、カルの真横を短いピンク髪の少女が走り抜けていった。
「――――」
その目に涙を浮かべながら。
少女はカルの先へと真っすぐ走っていった。
*
カルは彼女のことを考える。
大通りから外れて広場の椅子に座り、目の前にある立派な時計塔を眺めながらカルはため息をついた。
あの少女はカルの先を突き走りそして人混みに消えた。
だが肝心だったのはその後だった。
どうやら彼女を追ってきているみたいな男が二人いて、その人たちはこんなことを呟いた。
『くそ、どうする?』
『どうするも何も捕まえるんだよ! 誤解されたら面倒だ!』
その二人は工業エリアにしては風変りな服装をしていた。
緑色のシャツにレザーの上着と、白いシャツに汚いエプロンを付けた男性の二人だった。
彼らはそう言って、あのピンク髪の少女を追っていった。
別にカルが思い悩むことは何もない。
でも何となく、追われている少女をほっといてしまった自分に、罪悪感みたいな見当違いの念が芽生えているだけだ。
……それに考えれば考えるほど関わってもいいことがない。
正義感だけで人助けする行動が、全て善ではないと知っているからだ。
「はあ」
とため息をついた。
その時にカルの目に写ったのは、見た事がある少女だった。
「…………」
水路をまたいで向こう側の道に置かれたゴミ箱に身を隠し、道を歩いている人を疑い深く見つめ、すぐ次の物陰へ移動していた。
それはあのピンク髪の少女だった。
遠くから観察するにどうやらまだあの男達から逃げているみたいで、少女は道行く人の顔を伺い、困ったような顔をしていた。
そんな姿をみてカルは、またため息をついた。
ただし今度のため息は、やけに深かった。
「行くか」
カルは歩き出し、水路を橋で渡って先ほどの場所に向かった。
およそ六歩先に少女が見える場所まで歩いた。
するとその時、また背後の人混みから声が聞こえた。
「いたぞ!」
「え」
「っ⁉」
カルが振り返ると、あの道ですれ違った男性二人が遠くから走ってきていた。
どうやらカルの先に居る少女を捕捉したみたいだった。
カルは慌てて正面を向くと、少女がゴミ箱を倒しながら路地裏に入っていったのを目撃した。
「もう!」
カルは少女の後を追った。
暗い路地裏を走るが、少女に近づいている感覚はなかった。
最初、路地裏を走っている時は近くにまだ走っている音が聞こえたのに、気が付くと全く聞こえなくなっていた。
カルは目一杯追い付こうと走ったが、どうやら少女の足の方が速かったらしい。
分かれ道にでカルは止まり、そして息を整える。
「はあ、はあ、っはあ」
カルは息を整えると路地を振り返った。
そこにはあの男達の影もなかった。
「……もう」
少女には追い付けない。
男達ともはぐれた。
そんな嫌な空回りに、ふと辟易した。
「――あなたは誰?」
そんな時、頭上から声がした。
声はやけに幼くか細いもので、不思議に感じ見上げた。
そこには建物の窓の縁に掴まっている女の子がいた。
時刻は夕方だったせいで空は眩しく、女の子の姿をはっきりと捉えることはできなかったが、逆光の中でもそこに女の子がいると分かった。
カルは途端にオドオドして、口を開いた。
「えっと、どうしてそんなところにいるの? 君は」
思えば女性経験だとかの前に、シャルロットがいない場所で他人と話す事すら少なかったカルは、『君』という言葉を尻込んで呟いた。
すると逆光に包まれた女の子ははっとした。
「どうやらあなたは敵じゃないみたいね」
「……敵?」
カルがその単語に反応して復唱するが、女の子は意にも返さず考え込む。
そして「……まあいいわ」と一人でに納得したと思ったら、女の子はこんなことを口走った。
「どうして追ってきたの? 関係ないんでしょ?」
女の子は見下ろすような形のまま、そう尋ねた。
その言葉でやっと女の子が、あのピンク髪の少女であるとカルは確信した。
「それは……」
「まあいいわ」
カルが問いに答えようとしたとき、すぐに彼女はそれを一蹴した。
「いい? ボクは急いでるの。あなたみたいなストーカーに追われるのもいい迷惑だから、さっさとあっち行きなさいよ」
低音で圧をかけるように彼女は述べ、そして冷たい視線をカルの意識に突き刺した。
それに「す、ストーカー……?」とカルは若干傷つきながらも漏らした。
「そうでしょ? あんなに必死になって着いてくるなんて、きっとボクの美貌にでも狂わされてしまったに違いないけど。でもお断りよ。悪いけど」
「何を言ってるの? わ、わからない。でもその、僕は君に」
「聞きたくない」
また一蹴。
彼女はカルにそう冷たくあしらった。
次に「じゃあもう二度と、着いてこないでね」と釘を刺してから、窓から隣の建物へ飛びつき、屋根へと上っていき、姿を消してしまった。
「ちょっと待って!」
カルがそう叫んだ時にはもう遅く、ピンク髪の彼女は颯爽と屋根を駆けていった。
別れの言葉すらないことにカルはむっとする。
でもここまで来てしまったのだと腹を決め、侵食値を操作し、右手からあの未知エネルギーで構築した足場を左右の壁に付着させた。
赤黒い四角い物体はカルの未知エネルギーで構築した物質であり、カルの手腕で思い通りの形状にすることができる。
それも未知エネルギーはそのまま放置していると徐々に分解され。
綺麗さっぱり跡かたなく消えてしまう。
今回はそれが好都合だった。
屋根上に上る為に生やした物体は時間差で分解され消えるため、証拠が残らない。
――カルの赫病の能力『未知エネルギーの生成』は、その未知エネルギーを用いて物体の『構築』『創造』が可能なのだ。
これはカルとシャルロットとザザが一緒に旅する中で判明した赫病の使い方だった。