「よし」
だがデメリットも勿論ある。
『侵食値』をあげすぎると暴走の危険があることと、エネルギーを浪費しすぎるとカルの体力が消耗することだ。
そこは上手に調整している。そのための旅の間の訓練だった。
創造した足場に飛び乗り、次の足場へと手を伸ばした。
それを四回くらい繰り返すと、やっと屋根の上に辿り着いた。
降り立つと鉄の匂を含んだ風が額に当たり、前髪をかきあげた。
「っ……どこに行った?」
見回すと屋根の上には誰もいなかった。
右を見ても左を見ても、あの少女は見つからない。
カルは彼女が上がった方向へとりあえず走ろうとしたところで、人気があることに気が付いて振り返ると、そこにはあの少女が反対側の建物の屋上で花壇に座り込んでいた。
彼女は屋上で栽培されていた白い花を見ながら、カルと目を合わせる。
「こんなところまで来るなんてね。バカみたい」
少女は両手を組んで上にあがって来たカルに呆れた態度をとった。
「観念してよね。僕は君と協力したいだけなんだから」
カルは少女を見つめる。
今までまともに正面から彼女をみていなかったカルだが、雲一つない天候のおかげで彼女の顔が良く見えた。
短いピンク髪を風に揺らし、丸々としたエミリーさんより濃い碧眼に細身の体形。
一見すると『少女』という言葉がお似合いの彼女だった。
途端、彼女は碧眼の目に涙を浮かべ、勢いよく倒れた。
「大丈夫⁉」
カルが建物を飛び越え彼女の元へ駆けつけると、彼女は今にもわんわん泣き喚きそうな顔をしていた。
鼻先を赤くして目頭に涙を溜め、眉をひそめていた。
彼女の体をカルが支えると、意外にも体付ががっちりしていた。
確かにあの運動神経なんだ。
このくらいあるだろうとカルは納得する。そして顔を覗かせた。
「どうしたの? あの男の人たちに追われていたみたいだけど」
やっと本題を切り込んだ。
すると少女はカルの顔を見ながら、すんすんと鼻を鳴らした。
「なんでもない。ただ、友達を探しているだけ」
「友達?」
「ナナっていう友達。ボクの大切な友達なんだ。でもあいつらに連れ去られた」
「どうして?」
訊くと、彼女の視線をぎょろりと変えカルを睨んだ。
「どうしてってどうして? なんであなたはボクを助けようとするの? わからない。なんで? ボクたち友達じゃないよね?」
「君が泣いていたから」
「……はあ?」
カルはついにはっきりと言った。
それを聞いた彼女は、きょとんとした顔を見せた。
「君が逃げてるのを見たんだ。その時、君が泣いてたから……」
カルの今回の行動原理は『人が泣いていた』からだった。
カルは知っている。
どうしようもない絶望が目の前にあって、泣くしかできないときの事を。
その経験を。
だから見捨てられないのだ。
泣いている人を、悲しんでいる人間を、それに。
――そんな人を見たとき助けようと思えるようになったのは。
間違いなくシャルロットのお陰だった。
言葉を聞いた彼女は眼前のカルの表情をしばらく見た。
カルは真剣だった。顔に出るくらい真剣だった。
そんな顔を見て、彼女はぷっと吹き出した。
「ど、どうして笑うの?」
何故か笑われ、カルは顔を赤くする。
「アハハ、だって、お人好しすぎるからさ。こんな真っすぐな奴がいるとは驚いたね」
そう言われたカルは思わず視線を逸らした。
「いいよ、教えてあげる。――あいつらは『孤児院』を経営してる」
そんなカルを横目に、彼女は続けた。
「その孤児院は、まあ、あまりいい噂を聞かないの。夜な夜な悲鳴が聞こえるだとか、出てくるシスターが不気味だとか」
彼女は話しながらすんと鼻を鳴らした。
「そしてナナがなんの言伝もなしにその孤児院に行ったみたいでさ。ボクもナナも同じ孤児で、その、このあたりではした金稼いで暮らしているっていう境遇だった。彼女とは、友達だった。だから尚更、何があったのかとか聞きたいの。どうして孤児院に行ったのか、どうして相談もなかったのか、なんで突然家に帰ってこなくなったのか、……それとも攫われでもしたのか、だから孤児院に忍び込んだ。そしたら見つかって、追われて……」
どうやら彼女は『ナナ』という友達を想って行動していたみたいだ。
さっきの素っ気なさから打って変わって人情が厚いことに、カルはひょんな疑問が飛び出した。
「さっきはなんで冷たくしたの?」
「それは……追手なのかなって思っていたのに違うみたいだったし、巻き込むのも申し訳なかったから冷たくしたの。……悪かったわね」
今度は彼女が頬を赤くしながら、アヒル口で謝罪した。
なるほどとカルは得心した。
ある程度話し終えると彼女はむくりと立ち上がった。
そして同じく立ち上がったカルに向かった。
「でも言っとくけど、情報もないから。そのナナが攫われたんじゃないかっていうのも、あの孤児院の変な噂からの憶測だよ。本当は正面切って訪問すればいいけど、噂って火がないとたたないでしょ? このあたりを根城にする意地汚い大人の邪悪さは、孤児してて嫌というほど知っているし。だから、忍び込んだ」
「手伝うよ。僕も一緒に忍び込む」
「正気?」
彼女の言葉に、カルは縦に頷いた。
「ここまで来たなら手伝うのが筋ってもんだよ。なんせ僕は『お使い屋』だし」
「何それ? お母さんから貰ったお使いできる子に送る偉い偉い賞?」
「ち、違うよ」
カルが狼狽えて言うと彼女は「冗談冗談」と微笑んだ。
そして彼女は手を差し伸ばした。
「いいんだね? この先に何があるか分からないし、ボクが想定しているより酷い事になってないかもしれない。このあたりの裏組織は物騒だよ」彼女は少し間を置いて声を凄ませた「――真相を知りたい。ただそれだけのために、ボクに着いてきてくれるの?」
照らす日光が二人を照らし、匂う鉄の匂いと聞こえる金槌の音。
二人の間を駆け抜ける冬の風に、遠い雲から粛として舞い始めた白い雪が、彼女に伸ばした手のひらに落ちた。
「着いていくよ。シャルロットなら、こうすると思うから」
そんな手を取る。
すると彼女はカルを見て、濃い碧眼を薄め首を傾げた。
「ありがとう。ボクの名前はクリス。クリスティーナだ」