「月光は御好きかしら」
鮮血と吸血の視線が交わり、二人の女性は互いを敵と認識する。そして各自の拳の中に、確かな魔力の動脈を覚えて見つめ合う。
「月光ねぇ、どちらかというと好きじゃないわ」
「訳を訊いても?」
「夜は暗いほうが都合よくてね。職業病よ」
「成程、浪漫のないお方ですね」
刹那、シスターは自身の右手首の血管を嚙み千切り、腕を振ってその血液を会場へまき散らかす。するとその巻き散らかされた血液は形を変えた。
その行為をじっと観察して、ラクテハードは右腕を突き出す。
「
「
血稚、茨と静かに詠唱する。
コウモリの姿になっていた血液は爆散し、それらは『茨』のような形になってラクテハードに飛び掛かる。それを難なく『空間を断絶したような結界』で防ぎ、ラクテハードは訝しんだ。
その表情を見て、シスターは察する。
「成程」
「……なによ」
呟くと、ラクテハードは冷や汗をかきながら応える。
「いえ、大方あなたの結界の弱点が分かったので」
「馬鹿言ってんじゃあないわよ」
シスターの言葉に分かりやすく動揺した様子のラクテハードは、そう震えた声で言う。
「私の聖装に弱点なんてないわ、亜人の分際で」
「随分と恐れていらっしゃるんですね。このワタクシを」
呟き、紫紺の瞳でじっと彼女を見つめると、ラクテハードは更に顔面を歪めて狼狽した。その反応をみてシスターは、自身の考えへの確信が一そう強固なものになるのを感じる。
「あなたの聖装、」
声を張ってシスターが云うと、ラクテハードは明らかに肩を揺らした。
「条件付けが出来る結界を乱立させることができる。しかし――
「……ッ!」
その言葉を聴いたラクテハードの表情が、更にぐにゃあと歪んだ。
「さて、亜人の条件付けが、いつ終わるのか」
「ぬかせ――ッ!」
その瞬間、ガンガンガンと巨大な石が繋がったような音が響き、室内に視覚化された立方体が回った。ガンガンガンと音を続けていき、立方体の中に更に立方体、立方体、立方体と層を重ねていき。
「結界に押しつぶされて、無様に死になさい!」
立方体は勢いよく回転し、それはシスターに向かい加速した。
「血稚、茨騎士」
ふんわり漂う鉄の匂いがその場で渦を巻き、三体の甲冑をその場に生成した。――立方体が衝突すると激しい摩擦音が聞こえ、次第に肉々しい耳障りな音に変わる。茨騎士の体を削り取り、甲冑がよろめく。
「あっは! 脆いじゃない!」
「血稚、イ薔薇」
「は?」
即座に言葉を唱えた瞬間、ラクテハードは瞠目する。血で作られた剣が宙を回り、――それはラクテハードの手前で『結界』により防がれたものの、確実にラクテハードの虚を突いていた。
「亜人の力を出し切ったとでも、思ったんでしょうか」
「くっ」
ラクテハードは薄赤い目で砕け散るイ薔薇を横目に奥歯を噛む。
「ワタクシはそんなことを、云ってない」
右手をラクテハードの方へ向け恍惚な微笑を向けるシスター。
その紫紺の瞳は淡い光を纏い、黒一色の服装とは裏腹に真っ赤な血を口元につける姿は、まさに化け物であった。
(こんな、こんな亜人ごときに……!)
心の中ではそう叫びながらも、ラクテハードの手は震えていた。その震えを悟られまいと力強く拳を握りしめたが、視界の端には紫紺の瞳が焼き付いて離れない。
動揺――。本来誰に対しても通用する
(最初の条件付けには確かに時間がかかる。
結界は本来、『受容』『反発』の二つの性質を持っている魔術だ。『受容』は文字通り中に受け入れる性質、『反発』は中から弾く性質。私の聖装はそれに加えて――『反応』を【組み込む】能力がある。『入れるか入れないか』の両極端だった結界に、『反応』という新たな性質が合わさる事で『物体の時間を奪う事も、下半身のみ動きを封じる事も可能にしてきた』。
「……ふう」
……でも、今回私が書き換えようとしているのは『反発』の性質だ。『反発』の性質に亜人の情報を入力できれば、あいつは、『反発対象』となり結界から追い出すことができる。
最初から張っていたブラフ、虚偽の『結界条件の
そう、その計算には時間がかかる。相手の『情報』を入力し回路を構築する、これは、
計算が間に合うか、
――吸血鬼が『もう一つの弱点』に気が付くかの勝負だ)
「
唱えると、結晶体のような美しい結界がシスターとの間に出現し、それは高速に形を変えた。シスターは何かを察し一歩引いて、まだ動けないカルを守るように片手を伸ばした。その紫紺の瞳には動揺は浮かんでいない。
――結晶体のような結界が音を立てて裂け、空間に亀裂が入った。白い光が宙で奔り、シスターが目を見張るとそのうちから大きな片手が亀裂のふちを握って出てくる――。
「幻術の類ですかね」
シスターはそれが何のかを、亜人の瞳ですぐ理解した。
「血稚、茨姫」
その場に足をつける茨騎士が血液となり爆散。その血液はすぐ宙を飛んで棘を作る。
「時間を稼がせてはいけませんので、早急に決着を――」
とんとん。
「ッ!」
シスターは肩に伝った嫌な悪寒に振り返る。
――そこには、この場にいる筈のない『リハク・ワーグナー』だった。
「は?」
「――莫迦ね」
鼓膜を破る、高音が響いた。
リハクの全身が突如ガラスの様に打ち割られ、奥から伸びてきたラクテハードの腕は――、
鼓膜に響いた高音とじゃりじゃりとした軽い音が響き、シスターは口から、――大きな血の塊を漏らす。
ラクテハードの腕は、シスターの胸を貫通していた。
「くはっ……ッ」
ラクテハードの右腕にシスターの血がどろどろと蠢く、リハクという幻を結界に映してみせ、不意を突いたのだ。シスターは小刻みに震えながら眼前で舌なめずりするラクテハードを思いっきり睨んで彼女の右手を掴む。
だが、ラクテハードは高揚した声で、気取った口調で囁いた。
「――亜人は研究対象なんだぜ」
その言葉はシスターの精神に突き刺さり、分かりやすく紫紺の瞳が揺れ動いた。
その瞬間、仮面舞踏会に貼られた『時を奪う結界』が
「ぇ?」
カルは思わず疑問符をうつ。
結界が不安定に脈打ち、その白光が鼓動のように点滅している。
そうやって、結界が消えたり広がったり消えたり広がったりしていた。なぜそんなことをしているのか分からなかった。カルは不快な身体に鞭を打って立ち上がり、一瞬だけ戻る舞踏会の鮮やかな景色、そして色素が抜けたモノクロな景色を交互に見て――、気が付いた。
「シスター?」
振り返って呟くと、――シスターはまた銅像の様に固まっていた。
「…………」
「気が付くのが、遅れたわぁ」
ラクテハードは云ってから、はあと熱い息を落として頬を染める。
パリッと音を出してシスターの銅像に亀裂が入るが……ドッと点滅しもう一度結界が張り直されると、その亀裂は消えていた。
「面白いわぁ」
カルはやっと全てを理解した。そしてその所業に――怒りに近い激情が湧きたつ。
「卑怯だ」
「はぁ?」
とラクテハードは煽るように肩をすくめた。
「卑怯だぞ!」
シスターが今なぜ『銅像』になって動けないのか。それは、――結界が張られた直後はその『反応』を受けるからだ。そう、思えば結界が最初に発動したとき、シスターも他の人々と同じように固まっていた。例え亜人が条件付けの範囲外だとしても……――
シスターはぼとぼとと血を胸から零しながら苦悶の表情をしながら静止している。
ラクテハードは亜人の条件付けを諦め、卑怯な力技に出たのだ。
(どういうことだ? さっきから結界の対象になったりならなかったりで、よくわからない。もしかして、僕はまだラクテハードの結界術の仕組みを理解していないのか……?)
「このまま息絶えてくれればとても都合がいいのだけど」
動けないシスターをみてラクテハードは髪をかきあげながら呟く。
最中にも点滅する、白光。
「さて、この状況を打破できる切り札が、君にあるのかな?」
ラクテハードはこつこつとヒールで歩み寄る。その姿は最初より幾分か汚れ、疲れている様子だった。一時的にカルにかけられた結界が解けていたものの、カルは先ほどのダメージによりまともに直立できないほどのダメージを負っている。
「……」
息を呑んだ。
カルは想った。
「――――」
ここで負けちゃ、いけない。と。
(一秒がどうした)
(僕は負けられない)
(その為に)
「侵食値、百」
「……へ?」
「
点滅するたった
(――一秒が、どうした)
カルは――たったの0.5秒で
彼女の首元に四本の巨大な棘が接近し、その場から動けなくなったラクテハードは顔を歪めた。上に逃げても、下に逃げても、――少し動くだけでも刺さってしまいそうな棘にラクテハードは
同時に、王城に鳴り響く鐘の音――。
「これ、何よ……うっさいわね」
「魔物探知機の『警報』、知らなイ?」
どこか歪んだ声にラクテハードが正面を見ると、絶句した。
カルの背中からは真っ赤な棘が三本成長していき、その瞳は赫く輝いている。歯を食いしばりラクテハード一点を見つめる眼光は、彼女に純粋な恐怖を植え付けた。乾いた空気がより冷たくなる。周囲の音がより聞こえなくなる。その眼光、瞳の色、感じる悪寒、――全て、魔物のソレだった。
「感謝してよネ」
「ッ……」
「僕だっテ、我慢できたのハ、これが初めテなんだかラ」
カルはのっそりと体を起こす。
「こ、こんなの鳴ったところで何よ。結界に入った時点で『静止』して終わりだわ」
「…………」
「勝ち誇ってるけどね、あんたは、負けたのよ」
「そうかナ?」
低い声に彼女は「ひっ」と声を漏らす。
「確かニ、この時期だと魔物の侵入ハ、まず有り得なイ。でモ、僕は知ってル。この警報で僕の知り合いガ、とんでもない形相で怒るっテ――ねネ? シャルロット」
「ええ、本当にね」
ぞっと震えあがる。
ラクテハードが部屋の入口へ視線を投げると、そこにはローブの一部を焦がした黒髪の女性が直立していた。腕は恐ろしく震え、ローブは隙間風で揺れる。黒髪がさらりと隙間風で流れる。
「――――」
憤怒の瞳が、ラクテハードに降り注がれていた。
「祈れよ、司教だろ?」
警報の音とシャルロットの低い声が、いやによく聴こえた。