(と、とにかく学校を出よう……)
オレはロッカーから出た。そして破壊された扉を横目に、理科室を出る。
「こんにちは~」
と、すれ違っていく生徒たちはオレに挨拶してくれた。
とても素直な表情で。
声を出さずとも、ニッコリと会釈してくれたり。
この高校の生徒全員が『礼儀』をわきまえていた。
それが出来ないモノは、裏の世界でも結構多い。
基本的な『挨拶』……それを多く受けたオレの中に、迷いが生じていた。
(本当に……教頭を暗殺しても良いのか……?)
この高校の『教育』に携わる教員(教頭)を……。
きちんとした『教育』を生徒まで行き届けている人間を……。
本当に暗殺しても良いのだろうか?
暗殺するほど堕ちた人間なのだろうか?
もっと暗殺すべき人間なんて、この世に沢山居るじゃないか……。
(くそ……オレはどうすれば……)
前金は貰っていないし、武器を返してフランスに帰ろうかな……。
そう思い、校門を通り抜けた時だった。
「悩み事でしょうか?」
とても柔らかい口調で話しかけられた。
その方を向くと、長く伸びた白髪を後ろで束ねた老人が立っていた。
オレと同じくらいの身長だった。一八〇はあると思う。
白髪の老人は見た感じ、かなりの年配だと分かった。しかし姿勢がピンとしていて、精悍な顔立ちのため、年齢を感じさせない若さがあった。
只者ではない。
本能的に、オレは感じ取っていた。
もしかしたら同業のモノかもしれない。
「ちょっと、な……」
「そうですか」老人はニッコリと笑った。「では少し話しませんか?」
オレと老人は、近くの公園まで歩いた。そこのベンチに座る。
「どうすれば良いと思う?」
カラスが鳴く夕暮れの中で、オレは口を開いた。
「時には素直さも大事かと」
老人は優しく言った。
素直さ、か。
「アンタ
「ええ、ええ、もちろんですとも」
老人は何故か声を弾ませていた。
「あそこの生徒、変な奴ばかりだが、芯はしっかりしてる」
「ほほう。何故そう思われました?」
「ちゃんと挨拶をしてくれるんだ。大人しそうな奴でも会釈したり」
「ふむ。挨拶は基本ですからね。生徒手帳の『生徒心得』の事項にもそう記述されている……という話は有名です」
ふふっと老人は笑った。
「平和ボケしていることにはガッカリしたが……。生徒たちの礼儀正しさには感銘を受けたよ。素直に言うとね」
「そうですかそうですか」
老人は嬉しそう。
「そこの教頭を暗殺しろとの命が下っているんだが、どうしたものかと迷ってるんだ。きっと、生徒の教育に携わる教頭もきちんとしてるに違いない」
なるほど、と老人は頷いた。
「それなら簡単ですよ。今、あなたがどうしたいのかを選べば良いのです」
老人は立ち上がった。
「……今?」
オレが見上げた時の老人の表情は、夕日の逆光で見えなかった。オレが目を細めていると、
「迷っているのでは相手になりません。その迷いを断ち切った時にまた日本においでください。受けて立ちますよ、マルセルさん」
言うと、老人はスタスタと立ち去っていった。
「迷い、か……」
ハッと、オレはここで気づいた。
「ちょっと待て! 何でオレの名前――」
もう老人の姿は見えなくなっていた。
(……なるほど……)
オレは笑みを零してしまっていた。
久々に手応えのある暗殺になりそうだ。
待ってろよ。
オレの心が整い次第、また来るからな。