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♭の章:第10話 ポルカドット

 ♭


 ミーコさんの腕に、軟膏をたっぷり塗り、包帯を巻いた。タクシーでミーコさんの店まで向かう車中で、打ち合わせをした。

 高校生が深夜のバイトをするのはアウトだが、ミーコさんからのお小遣いという形なら、いいだろうと合意した。オネエバーでは、ドレスやカツラをする上に化粧もするため、万が一お客さんに年齢を聞かれたとしてもごまかせるはずだ。それにミーコさんは僕が客前に立たないように配慮してくれるらしい。


「従業員の人たちには、僕のことどうやって説明するの」


「正直に高校生って言うしかないわよ」


「そんなこと言ったら、誰かからバレてマズイことにならないかな?」


「大丈夫よ。すねに傷を持つ同士、舐め合ってないと生きていけない人種なのオネエは。だから、身内の秘密は絶対に守るんだから。昔から言うじゃない、オネエは仲間を裏切らないって」


 ミーコさんのキメゼリフに僕は笑う。


「なんで、ことわざっぽい言い方なの。知らないよそんなの」


「あら、ヒドイ言い方。いまことわざじゃなくても、いつかことわざになるのよ。きっと」


 ミーコさんの店に着く。店は駅からは少し離れたところにあった。周りには深夜託児所とコンビニとマンションがあり、ミーコさんのお店だけが異様だった。


 ギトギトした照明で、店の名前が書かれている。


 ポルカドット。


「ポルカドットって、どういう意味なの?」


「水玉模様」


 ミーコさんのお姉さんが、気に入っていたスカートの模様も確か水玉だったはずだ。


「忘れないための戒め、みたいなものよ」

 ほんの少し顔を硬くさせたミーコさんは、店の裏口へと入っていった。僕は慌てて後を追う。

 店の中から、怒声が飛んだ。


「ちょっとミーコ! 遅いじゃない、何やってたのよ」


「瞳ママ、ごめーん。ナタリーには連絡したわよ」


 瞳ママと呼ばれた人物は一気にまくしたてた。おそらく瞳ママという人が店長だろう。店長、副店長という役職はあるものの、二人は共同経営者みたいなものだとミーコさんが言っていた。


「ナタリーのせいにしないの。やだあんた、何その腕っ」


 失礼します。と声を掛け、ミーコさんに遅れて店内に入った。


 楽屋には服が所々に散らかっていて、人いきれとタバコのにおいが充満し、何より化粧臭かった。鏡が何枚もあり、その前で椅子に座りメイクをしている人達がいた。さらに、ソファに座り談笑している人たちもいて、十人ほどのオネエの視線が突き刺さった


 文金高島田のような髪型でパープルのドレスを着た痩せぎすなオネエとミーコさんは向かい合っていた。その人がミーコさんの肩越しから顔をのぞかせ、僕を睨む。


「お客さん……? にしては、若すぎるわね」


「瞳ママ、この子私の彼のムスコなの」


「あら、そうなの。どーもこんばんは、店長の瞳です。ごめんなさいね。こんなやかましい所にミーコが連れてきちゃって」

 目の前の人物が、さっきまでまくしたてていた瞳ママだったらしい。瞳ママは僕に挨拶を済ませるとミーコさんに向き直った。


「で、あんた、そんな腕でどうすんのよ。ピアノ弾けるわけ?」


「弾けないわ。歌はもちオーケーよ」


「オーケーじゃないわよ。あんたのピアノを楽しみにしてる人だっているんだから。それに今日、あんたのダーリン来るんでしょ。生演奏じゃないとねえ……」


「だから、この子を連れてきたのよ」

 ミーコさんは、僕の後ろに廻り肩で僕の背中を押した。


「え、何言ってんのよ。こんな童貞くんに、ミーコレベルのピアノが弾ける保障あるわけぇ?」


 童貞じゃない、と強く否定したかったが、僕は純度百パーセント混じりっ気なしの童貞(チェリー)だった。


「だいじょうぶよ。だから、この子のメイクもお願いね、ママ。顔は見られないと思うけど、一応ね。もうショーの時間近づいているし。この怪我が治るまでの代役がいないとどうしようもないでしょ」


「もう、しょうがないわね。時間もないしとりあえず今回だけは特別よ。私が気に入らないようなら、明日からはナシよ」


「わかってる。ママ、だいすきよ」


「いくつになってもわがままなんだから。クリリン、ミーコのメイク急いで! このお坊ちゃんのメイクは私がするわ」


 クリリンと呼ばれた人物は、日本人の半数以上が知っているであろうキャラクターと全く同じ体型で髪型だった。髪型というのは語弊がある。正確には髪がない。違うのは、魔女のようなメイクだけだ。


「とりあえず、座って頂戴」

 瞳ママに促されるまま座らされ、メイクを施された。当たり前だったが、初めての経験だった。


 車中でミーコさんに渡された楽譜をリュックから取り出した。今日の使用曲だ。メイクをされながら、僕は頭の中でそれらを演奏し、シミュレーションを繰り返し本番に備えた。


「はい、完成っ」

 瞳ママは、僕の頭に赤毛のロングヘア―のカツラを乗せ背中をぽんと叩き、終了を告げた。


「あら、なかなか、可愛いじゃない」

 ミーコさんは鏡越しに僕の顔を見つめていた。


「私のメイクのおかげに決まってんでしょ」

 瞳ママは、誇らしげだった。


 僕はとにかく恥ずかしくてしょうがなかったが、中学生時代の失態を思えば屁でもないように思えた。ただ、人前にこの格好で出ていき、ピアノを弾くのは緊張する。


 瞳ママは、髪に刺していたかんざしをおもむろに抜いた。なぜこのタイミングで、と疑問を抱いた。それはかんざしではなかった。瞳ママは懐からマッチを取り出し、かんざしのようなものに火をかざした。タバコの香りがした。どうやらパイプらしい。


「じゃあ、そろそろ時間だから、ミーティング始めるわよ」

 瞳ママの声を聞き、その場にいた全員が瞳ママの元へと集まった。場の空気が一瞬にして張り詰めた。


「今日はミーコのダーリンとその息子が来てるから、いつもの二兆倍やる気だしな。あんたたち」


 やってやんぜえ、と江戸っ子のような気合を入れるオネエたち。


「みんな気付いていると思うけど、私、火傷して、ちょっとの間ピアノ弾けなくなっちゃった」ミーコさんが包帯に包まれた腕を上げた。「でもピアノは、この子が弾くから心配しないで」


「ホントにこんな、真性包茎くんにできるわけ?」

 腕を組んだデブのオネエが言った。右頬に小さいホクロがある。太り過ぎていて目が細く、ボーダーのドレスの所為で余計に膨張して見えた。そいつに、真性包茎じゃねえ、と言ってやりたかったが、僕はバリバリの仮性包茎だったので、口を噤んだ。


「大丈夫よナタリー。私と何度も連弾してるから実力は保証するわ。それに――この子は、真性包茎じゃないわ。バッリバリの仮性よ。保証するわ」


「なんの保証だ。なんの。バラさないで。それよりなんで知ってんだ! アンタ」思わずミーコさんに声を荒げる。


「私と怜くんの仲じゃない」


「どんな仲だよ」


「ミーコ姐さんとそんな仲なんて、やるわねボウヤ」デブが言う。


「だからどんな仲だよ」

 ナタリーと呼ばれたオネエは、僕のあごを指でなぞり舌なめずりをした。妖艶だとでも思っているのだろうか、僕からすればただの猪八戒だ。


「はいはい。おしゃべりはショー終わってからにするわよ。」

 瞳ママが、手を叩きミーティングを仕切り直した。


「じゃあ今日の流れ。まずはナタリーのモノマネで場を荒らしちゃってちょうだい」


「場を荒らすって、ママったら失礼よ」

 ナタリーが尻を振った。オネエたちはどっと笑う。


「で、次に源五郎のダンスで、お客さまを魅了しなさい」


「りょーかいでぇす」

 源五郎と言うからには、ジジイみたいなオネエかと思ったが、驚くほどの美貌だった。ドレスの露出度が高く、太ももまで入った大胆なスリットから、艶めかしい脚がみえている。体は細いのに胸が大きく、その胸は作り物だとわかっていてもセクシーだった。街で見かければ、確実に女性と見間違えて、思わず振り返ってしまうだろう。しかし声は、源五郎の名にふさわしくいかめしい声をしていた。


「アンタは、しゃべんなきゃカワイイのにねぇ」


 源五郎はジャブを繰り出すマネをする。

「しってるわよ。みなまで言うな」


「最後は、ミーコの歌」


「おっけ」ミーコさんは力こぶを作る。相変わらずたくましい。


「怜くん――」

 もう名前を覚えたらしく、瞳ママは僕を呼んだ。僕の目をじっと見つめている。

「あなたにとっては、ただのお手伝いだったとしても、私らにとってはここのお店は、生きる意味なの。オネエなんて卑しいもんだけどさ、みんなこの仕事に誇りもってる。だから、ステージに立つからには、怜くんもプロ意識を持ってやってちょうだい」


「はい」


 僕は背中を伸ばし答えた。プロ、と言われ緊張が倍増した。


 ふざけたように笑い合っていたオネエたちは、円陣を組んで真剣な顔をして、えいえいおう、と怒声のような雄叫びを上げた。

 そのときのオネエたちの顔は真剣そのもので、これがプロ、ということだろうかとぼんやりと思った。

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