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「それでは、本日最後のショーの始まりです」
瞳ママのアナウンスをきっかけにミーコさんが舞台上に立つ。観客から拍手が巻き起こったが、勢いがあっという間になくなった。ミーコさんの腕を見たからだ。天板の間から、父を見つけた。父は眉を寄せ、口を開いたままだった。
「本日ミーコ両腕負傷のため、ミーコのピアノ演奏は中止とさせていただきます。今回はミーコの歌のみのショーとなります。ご了承ください。ただし、ピアノ演奏は先ほど聴いていただいた通り実力のある代役を用意いたしました。
「ポルカドットの歌姫ミーコの歌をこころゆくまでお楽しみください」
観客の拍手が再び始まった。拍手が鳴り止む瞬間に合わせ、カーペンターズの『青春の輝き』を演奏する。ミーコさんの歌声は聴く人の一番心地よいところに染み入っていく。誰もが動きを止め、ミーコさんを見ていた。僕自身、ピアノを弾くことを忘れてしまいそうになったほどだ。
父を始め何人かは涙を流していた。まさか、オネエバーでこんな歌声を聴くとは予想していなかったのだろう。ミーコさんの歌声はカラオケで聴いていたはずなのに、改めて聴くとカラオケとは雲泥の差だった。プロという意識がそうさせるのか、舞台という場がそうさせるのか、あるいはそのどちらもかもしれない。とにかく何らかの要因があるのは確かだった。
その後五曲ほど歌った。ミーコさんの歌う曲は、往年の洋楽の名曲ばかりだった。お客さんの世代に合致するのだろう。男性歌手と女性歌手の歌声を使い分けるオネエならではの技を使い、バラエティに富んだ構成だった。
カーペンターズで始まったショーは、カーペンターズで終わりを迎える。
曲は、前回のカラオケと同じく『クロストゥーユー』。
ミーコさんの得意な曲に、さらに感情が揺さぶられた。そこで初めて何らかの要因を構成しているものに気づいた。
きっとこの歌は父のための歌だ。
だからこそ、より一層歌に力を感じるのだろう。
サビになった瞬間、バーの中にいた客とスタッフがふっと煙のように消え、たった一人のために歌う歌手とそれを聴く客の二人きりになったような気がした。二人きりの空間を邪魔しないように、僕は目を閉じて、鍵盤の一部になる。
曲が終わりに近づいていく。このままずっと弾き続けていたいと思う。でも、終わりがあるからこそ、この心地よさがあるのだろう。
終盤の一小節で僕は目を開き、ミーコさんを見て、父を見た。最後のキーを弾くとき危うく失敗してしまいそうになった。
父の後ろに、川島心がいたからだ。
ピアノの天板の隙間から目が合った。彼は僕を見て、眉をひそめた。僕の今の姿を見られたら、もう終わりだ。僕が本当のオネエなら、それでも構わない。ただ自分を貫くだけだ。でも僕は本物のオネエではなかった。
明日から松永は新しい武器を手に入れることになるだろう。
僕はその武器に対抗する術を持たない。
僕の高校生活は、今日終わった。
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ショーを終えると瞳ママをはじめとしたオネエ達から褒められたが僕はそれどころじゃなかった。
「やるじゃない。あなた。早速、明日から入ってちょうだい。もちろん学生だから、可能な限りでいいわ。普通の高校生がするバイトの三倍の給料だすわよ」
瞳ママは僕の肩をわしづかみ、期待のこもったまなざしを見せた。人に認められた、と思ったときこれまでに感じたことのない感情が押し寄せた。だが、川島心にこの姿を見られたという事実が、僕の気持ちを地の底の底まで叩きつける。
帰りはタクシーで父とミーコさんと三人で帰る。父は僕の姿を見て、「怜くん。カワイイねえ」とおぞましいことを言う。息子が女装していてもなんら動じない父の神経の杜撰さみたいなものを僕はすこしだけ分けてもらいたい。
「いや、褒めるよりこの姿見たら、普通ヒくでしょ」
「うん。いいよ。何でもーがんばってる息子を見れるなら何でもいいよー」
「父さん。いつから僕にきづいていたの?」
「最初からだよ。ピアノで、怜くんってわかるんだよ。何年キミのピアノを聴いていると思ってるんだよ。父さんをみくびるなー」
まさか父がそこまで、僕のピアノを理解しているとは思わなかった。酔っ払いの妄言かもしれないが、それでもわずかばかりの熱が胸に灯るのを感じた。
帰ると深夜二時を過ぎていた。タバコと化粧の臭いを風呂場で洗い落とす。風呂から出ていくとソファの上で、父とミーコさんはくっついて眠っていた。仲のいい双子のようだ。風邪を引かないように、ブランケットを二人に掛け自分の部屋に向かった。
初めてのバイトに身体が疲れていた。布団に入れば、すぐに眠れると思った。だが、目がさえてしまっていた。
心の驚く顔が脳裏にこびりついている。
彼に会ったら、何を言われるだろうか。それを思うと怖くなった。
もしかしたら、彼に会ったとしても、何も言われないのではないだろうか。
無視されるほうが、より怖かった。
毛布を重ねても、身体の震えが止まらなかった。
朝焼けを浴びるころ僕はようやく眠った。朝焼けが生温く感じた。