その冷気はあまりにも強くて私も声を掛けるのをためらうほどだった。ただその顔は少し悲しそうにも見えた。私もけっこうな数の
ただ、私の中にはお
「綾香さん」
『心配しないで伊織ちゃん。この人たちに手は出さないから。あなたのお兄さんにも、あ母さんにも止められたからね』
こちらをチラッと向いたまま彼女は私に向かって声をかけた。
「え!? お
『ただ、言いたいことは言わせてもらうわよ!!』
という言葉と共に完全に綾香さんの顔は女性二人の方へ向いた。
『あなたたち!! 家柄とかにこだわってばかりで
「ご、ごめんなさい!!」
「ゆ、許して!!」
そのままガクガク震えながら崩れ落ちるように床の上に座り込む二人。一人は泣き崩れてしまっていて、一人はずっと綾香さんに謝り続けていた。
それを確認して少し微笑むように綾香さんは少しずつ消えていった。消える間際に私の方をゆっくりと振り返り、ニコッと笑っていたその顔がとても綺麗だと思った。
時計がその場でだけは止まったかのように誰一人動けないまま、ただただ二人を見続けていた。
俺が舞台の上に駆け付けた時、ちょど綾香さんはみんなの前からスーッと消えてしまうところだった。それまでは伊織の方を向ていたけど、こちらに気付いたのかその顔は優しく微笑んでるように見えた。とりあえずそのままにしているわけにもいかないので、まずは伊織に近寄っていく。
「い、伊織大丈夫か!?」
「あ、お義兄ちゃん。お疲れ様」
「その二人……」
伊織のそばまで行くと、女性二人が今は見えなくなった彼女に許しを
「こっちは……うん、終わったよ」
もう一人無言で涙を流し続ける人物。綾香の妹、綾乃である。彼女もまた被害者になるところだった。怖くても当たり前。
でもその頬を濡らすのは恐怖ではなく、見守り続けた姉を思う心。そして自分の身をずっと側で案じ続けていた姉への感謝の心だろう。俺はその涙を綺麗だと思った。
そう思ったのだが、後に本人から聞いた話によると「被害にあうよりお姉ちゃんに会えたことが嬉しかった」語った。それはそれですごく精神力が有って胆力があるなぁと改めて感心した。
連絡を受けた警察が到着するまで、それから少しかかったけど四人はずっと震えていた。あれだけ近くで、おそらくは今まで見たこともない
でも同情するつもりは全くない。
それまで舞台の周りを探し回っていてくれた三人とも合流して、回収した証拠品らしきものと録画した映像などを警察の方に手渡した。充分な取り調べが行われてくれることを願う。言い逃れなんてできないだろうし。
ここまで順調に事が運べたのはもちろん俺の父親から話を回してもらったからだ。あの時の電話はもう一人ウチの父親にもかけていた。なんでもこの辺に以前勤務してた事があって、いまだに後輩がいると言っていたからすぐに動いてくれたのだろう。意外とあんな父親だけど、人からは慕われてるらしい。
――まったくあのオジサンのどこが……。
とここにいない人の事を考えていると、目の前に見慣れたシルエットが見える。
――うん……見たことあるな。
「またやってくれたみたいだな……」
そこにいたのは紛れもなく短足……ではなくウチの父親みたいで。
「と、父さん!?」
「お
どうやら俺の見間違いではないらしい。その証拠に伊織も父と言っている。
「お前たち二人は……まったく。普通の子供みたいに遊べないのか?」
「あ、いや、うん。でもどうしてここに?」
「どうしてって……そりゃお前たちが心配だったし、その……伊織の巫女さんってのも……」
「お義父さん何? 聞こえなかった」
真顔で聞き返す伊織に、更に言いよどむ父さん。これは珍しいモノが見れた。
その横では舞台上で結構な騒ぎになっていた。舞う予定の巫女さん二人と、それに付きそう男方が一人の合計三人が抜けてしまう事になる。その代役として舞台上で舞う巫女さんの事、演舞の題目や舞台点検修理のため。
「だめだ!! 巫女さん一人は今こっちにはいないそうだ」
「どうする? 延期にするしかないか?」
「いやダメだ。今まで何が有っても中止はもちろん延期もした事の無い行事だ。何とかして探すしかない」
そんな話が飛びかう中で一人考え込んでいた日暮さん。突然立ち上がってこちらに真顔のまま向かってきた。
「藤堂クン、妹さんお借りできない?」
「「「は!?」」」
三人から同じセリフが飛び出した。まぁ確かにここに藤堂は三人いるんだけどね。
「あぁ、ごめんなさい言い方を変えるね。伊織ちゃん……一緒に踊ってみない? どうかな藤堂クン」
「「「えぇぇぇぇぇ!?」」」
どちらにしても三人から同じような声が舞台の上に響き渡った。ただまぁ俺はそうなるんじゃないかと半ば予想はしていたからこそ、伊織には残ってもらっていたんだけど。それに伊織が舞うところをもう一度見てみたいなんて考えも有ったりなかったりするのは内緒だ。
シャンシャン
シャンシャンシャン
「ダレ?」
「かっわいいぃ」
「綺麗ねぇ」
俺達の前にいる舞を見に来た人たちから歓声が上がっている。隣では。
「ううぅ」
「父さん、何で泣いてるんだよ」
「伊織も……大きくなったと……思ってな」
そう。現在その伊織は目の前の舞台の上で毎を踊っている。練習用のなんちゃって巫女さん姿ではなくて、演舞用のすごく綺麗な衣装を着て少しだけ化粧をした姿で。
「確かに、綺麗だ……」
一生懸命に舞うその姿は本当に綺麗だと思った。
後々の供述から分かった事だが。
本当は死なせるつもりはなかったと四人は話しているらしい。巫女様になれる三家の中で日暮家は家格的にはちょうど真ん中で、もともと生まれた家柄で舞う立ち位置を決めていたこの演舞は、綾香さんの前の代から上手く踊れる人が前と決まった。
ソレに納得がいかなかった家格上位の松田家が押しのければ上に登れると、北方家をそそのかし始めたことに始まったみたいで、綾香さんが巫女に選ばれる前から度々このようなケガしたりとかはあったらしい。もちろん加害者はこの三人の共謀で。
綾香さんもこの時はただの脅しで、ケガさせるくらいになるはずだったものが、打ちどころが悪くて亡くなってしまった。それを松田由紀の婚約者でもあった、地方議員の息子でもある男方の鶴田がもみ消したのだ。
この供述により綾香さんの事は事故ではなく事件として扱われるようになり、余罪もある事から重い刑になるだろうって父さんが言っていた。
人の罪が重くなってしっかりとした罰を与えられるのは悪いことじゃない。じゃないけど、亡くなった人はもう還ってこない。
――綾乃さんの心情を思うと心が辛くなるよ。
俺の記憶にまた新しい事件の苦い記憶として残ることになった。
「さて、私達は戻るよ」
「ああ、今回もありがとうみんな」
「では明日お迎えに来ますね」
「伊織ちゃんばっかり見てたら嫌われるよぉ?」
「な!?」
それぞれがそれぞれに俺に声をかけていく。
「あはははははは。じゃぁ明日ねぇ」
最後にカレンが手を振りながら戻っていった。手を振ってカレン達を見送ったその場に少し立ったまま俺は少し反省する。
――そんなに見てたかなぁ?
明日もう一日だけ伊織の演舞は続く。
――今度は注意しなくちゃな。
そう言い聞かせながら俺は日暮家のある社の方へと走り出した。