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第37話 青宮君のお泊り

 つくしがよくわからない男子にキスされていた。


 それを見て、キスされていたところが唇じゃないだけまだマシだったのかもしれない、なんて青宮君は言うけれど。


アタシからすれば全然そんなことなかった。


 事情も、経緯も、何もかもわからないものの、ショックでしかない。


 眼下に広がる夜景をぼんやりと眺めながら、アタシは何も言えないでいた。


「たぶん、あれは木下君か間島君だろうね。尾上さんと4人で遊びに行ってたみたいだし」


 隣にいた青宮君がポツリとそんなことを呟く。


 どっちでもいい。


 アタシでもない誰かがつくしにキスをした。


 それで、つくしはそれを特に拒んでいないように思えた。


 どういうことなのか、何が何なのかよくわからない。


「……無責任なことを言っていい?」


「……今のアタシになら何を言ってくれてもいいよ。たぶん右から左にスルーだし」


「下ネタや罵倒をしてもいいってこと?」


「……そういう冗談も今は何とも思わない。いつも通りなら『何言ってんの』って返してるけど」


「……わかったよ。ごめん。冗談は改める。真面目に、僕が本当に言いたいことだけ伝えるよ」


 言って、青宮君は咳払いをする。


 アタシは、目の前の夜景に飽きて、視線を足元の方へ移動させた。


「別に、深く気にすることはないんじゃない?」


「……青宮君はアタシじゃないもんね。どうせ人の気持ちなんてわからないよ」


「まあ、そうだね。僕は君じゃないし、君の気持ちを完全に察することなんてできない」


 ため息じゃないと思う。


 息継ぎするように、彼は軽く息を吐いて、それからまた続けた。


「だけど、あのワンシーンを見ただけで絶望するなんて、それはそれでもったいない気がするよ」


「……わかってる。もしかしたら事情があったのかもとか、そういう風に考えるべきだって言いたいんでしょ?」


「うん」


「……はぁ……」


 自分で自分のことを面倒な人だな、と思う。


 青宮君がこうして励ましてくれてるのに、わざとらしくため息なんてついて。


「そのため息は、要するに簡単なことじゃないってのが言いたいんだね」


 彼が見透かすように言ってくるから、素直に頷くのもどことなく嫌だった。


 思いの答えを出さず、誤魔化すようにしてアタシは返す。


「……こんなことばっかりだなって思う。問題が解決したと思ったら次のトラブルが起こって、安心できると思ったら不安になるようなことが起きる。周りのカップルとか、人間関係で上手くいってる人たちとか、何もなく健康に過ごせてる人が羨ましいの。……すごく」


「……僕からすれば、君はもう充分色々と上手くいってる側だと思う」


 声のトーンは変わらない。


 変わらないからこそ、徹底的に否定されてるような気がして、少しムッとしてしまった。


「どこが? 体が男の子になることから始まって、次々と問題が起こる」


 アタシが返すと、彼は負けじと応戦してくる。


「でも、姫路さんとは付き合えてる。以前よりも仲は深まった。君たちは恋人同士だ」


「そ、それは……」


「それに、構築されて間もない人間関係は、往々にして脆くて弱い。少しのことですぐに問題が起きる」


「っ……」


「色々と問題を乗り越えて行って、関係はより一層強くなっていく。要は、その脆い期間にグッと踏ん張らないといけないんだ」


「……」


「苦しいのはわかるけど、姫路さんをもっと信頼してあげてもいいと思う。彼女、レズなんだし。どうせ男子になんて興味はない。興味があるのは君くらいだよ」


 唇を噛んだ。


 簡単に言いくるめられて、負けてしまう。


 でも、その短い間の口論は、傷付け合うための戦いじゃなかった。


 青宮君は、あくまでもアタシを慰めてくれようとしてるだけだ。


 色々と情けなくて、涙が出そうになる。


 彼だって、本当に想いを殺してるだろうに。


「…………でも、男子なのは今アタシも」


「まったくだね。まだそういうこと言うの?」


「それに、アタシとつくしの関係は出来上がったばっかりじゃない……! ずっと、中学生の頃から仲良しだし……!」


 心底呆れ返りながらのため息だった。


 青宮君のため息に少しビビるアタシは、本当に弱かった。


 弱いくせに色々こうやって反抗してしまう。


 夜闇の中で鼻をすすった。泣けてくる。


「恋人としての先川さんと姫路さんはまだ始まったばかりだよね。それに、君の体が男子なのも関係ない。姫路さんと誓い合ったんでしょ? 体が男になっても、性的嗜好が変わっても、君たちはお互いの本質に目を向ける努力をしていくって」


「…………おっしゃる通りです」


「だよね? だったら今回の件、君はいったんここで姫路さんのことを信じて、明日にでも詳しい話を訊きに行けばいい。一人が不安だったら僕も同行するし」


 そういうことを言わないで欲しかった。


 どこまでこの人はアタシのために動いてくれようとするんだろう。


 ツボを突かれたように涙が溢れ出してくる。


 今が夜でよかった。


 昼間ならこんなの大恥だ。


「……同行する、ね。こんな時にもストーカーになるんだ」


「なるよ。そうしとかないと、君はまたこうして精神的に不安定になって悪手を選択する」


「……間違いないと思う」


「でしょ? あと、こうやって付き纏って優しくしてると、いざ姫路さんが本当に浮気をした時、傷心した君と付き合えるかもしれないしね。虎視眈々と死体を貪ろうとするカラスのごとく狙ってるのさ。君をね」


「……最低だと思います。今くらい『キモ』て言っていい?」


 アタシが問うと、彼は大きな声で笑った。


「別にそんな許可は取らなくていいよ。僕、君から罵倒されようと思って今言ったし」


「じゃあ、キモ……」


「ありがとう。先川さんからの罵倒はレアだ。身に染みわたるよ」


 なんか、本当に青宮君は変わったな、と思う。


 最初、仲良くなり始めた頃は、無機質で無表情で、自分の感情を前面に出す喋り方なんてしなかった。


 たぶん、心を開いてくれたから、だと思う。


 仲良くなった人にはこんな一面を見せてくれるんだから、人は少し関わったくらいだと何もわからない。


 もっと、色々と歩み寄ることが必要なんだ。


 つくしにも、もっと。


「よし。なら、まず明日は朝一でつくしのところに行く。ていうか、何なら今日の夜、つくしの家に行こうかな?」


「今日か。それなら僕もついて行くよ」


「いやいや、青宮君はもう無理だよね……!? 今日の電車もそろそろヤバいんじゃないの……!?」


「ヤバいどころか、もう終わってるね」


「えぇぇ!?」


 声が裏返ってしまう。


 スマホの時計を見ると、時刻は19時半を示そうとしてた。


「どうするの!? ほ、本気でアタシの家に泊まるつもり!?」


「んー……どうだろう。僕としては泊めてくれるとありがたいが、どうしても無理なら野宿でもするよ。親には友達の家に泊まるって言ってあるし」


「もう……! だったらアタシの部屋に泊まりなよ……! この季節だし、野宿しようとしたら凍死しちゃうよ……!」


 アタシが言うと、彼は他人事みたいに「ふむ」と顎元に指をやって、


「これは……要するにアレかな。恋愛漫画でよく見る、ヒロインの彼氏への当てつけ的な行為、みたいな」


 本当に何を言ってるんだろう。


 相手にするのがバカバカしくなって、アタシは青宮君の肩を叩いてしまう。


 幸い、今体は男子だから。


 それで浮気にはならない。


 気持ちも、色々と我慢すればいいだけの話だ。


 大丈夫。アタシの心の真ん中には、つくしがちゃんといるから。


 彼も、そんな間違いが起こらない前提で、きっとアタシの部屋に泊まる。


 それがちゃんとわかってた。


 お互いに、色々と。


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