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第38話 迷わず僕のところへ

 当たり前だけど、青宮君を部屋に泊めて何か間違いが起こる、みたいなことは一ミリたりともなかった。


 ……いや、一ミリはあったかも。


 アタシがシャワーを浴びて部屋に戻った時。


 彼はカーペットの上で体育座りをしてスマホを見ていた。


 アタシは本当に何も考えず、青宮君の目の前でドライヤーをかける。


 かけ始めてからしばらくして、彼がアタシのことをジッと見つめてるのに気付いた。


 最初は無視してたけど、さすがに見つめ続けられるのも不気味だ。


 ドライヤーを止めて首を傾げた。どうかしたの、と。


 そしたら彼は――


「……なんか、好きな人が目の前で濡れた髪を乾かすのってグッとくる。まるで交際しているみたいだ」


 とか言ってくるから。


 アタシもアタシでため息をついて「何を言ってるの」みたいな顔を作って見せたけど、どことなく青宮君を意識してしまう。


 明らかにおかしな雰囲気になる中、髪の毛はまだ濡れてたからドライヤーをかけ続けないといけない。


 他にコンセントの繋がる場所も無いし、青宮君には後ろを向いてもらうことにした。


 これが一ミリだけ起こった間違いだ。


 人によってはこんなの間違いのうちに入らない、なんて言うかもしれないけど、それは実際に現場の雰囲気を感じなかったから言えることで。


 あの状況は、絶対に一ミリに値してたと思う。


 いや、一ミリどころか二ミリ?


 どうなんだろう。


 わからないけど、本当に間違いで間違いなかった。


 ……あと、他にあったことと言えば。


「うん。いいね。これが夢にまで見た『好きな人の部屋で感じる床の硬さ』か。一生の思い出にしておく。本当にありがとう先川さん」


 寝る時。


 電気を消して真っ暗になった中で、青宮君が一人でボソボソ呟いてたこと。


 いつ寝るの、って思うくらいずっと独り言を呟いてた。


 アタシもほとんどは無視だけど、さすがに何も反応しないのは可哀想だし、明らかに反応待ちな独り言もあったから、それに対しては何か返してあげる。


「そうだね」とか、「そっか」とか、簡単な言葉でも青宮君は嬉しそうだった。


 声の勢いでわかる。


 トーン自体は変わらずだけど、いつもより少しだけ早口。


 何となく眠れなくて、からかうようにそう指摘すると、彼は「僕のことをよく見てるね」なんて言ってきた。


 さすがに調子に乗りすぎ。


 無視を決め込むと、アタシの名前をしばらく何度も呼んできて、やがて飽きたのか、何事も無かったかのように平然と別の話題を口にする青宮君。


 思わず笑ってしまった。


 そこで無視も終了。


 何だかんだ、青宮君とのお泊り会をアタシは楽しんでしまっていた。


 少し悔しい。


 あんなに嫌々泊めたはずなのに。


「……もう。アタシ、そろそろ本当に寝るよ? 独り言ももうやめて。うるさいと眠れないし」


「眠れないように僕が仕向けていたんだ。ある一定のボリュームを保たせて喋ると、人はそれが気になって意識をこちらへ向けてくれる。先川さんの眠気を僕は強引に吹き飛ばし続けていた、ということなんだよ」


「……はいはい。何でもいいですけど、明日も学校なんだから寝るよ」


「君は姫路さんと朝っぱらから早々に大事な話をしないといけないもんね」


「そう。その通り。だから寝ます。おやすみ」


 たぶん時間ももう遅い。


 時計は見ないけど、なんとなくそれを察してたから眠ろうモードへ入る。


 ベッドの上で、アタシは左肩を下にした。


「……心配しなくても大丈夫だよ。姫路さんは、きっとあっけらかんとして事故だったことを口にしてくれるはず」


 青宮君の言葉に反応を示さず、アタシは眠ろうと努力する。


「だけど、木下君か間島君か、もしかしたら姫路さんに気があるのかもしれない。まあ、それでもああやって、強引にキスをするなんてことしてるようではダメだと思うけどね。特に姫路さんにそんなことをすれば、どう考えたって逆効果だ。今頃怒ってるんじゃないかな、彼女」


「…………だから、そうやって微妙に気になる話をするのやめてよ……」


「ごめん。これで最後。あと、別に嫌がらせをしたかったわけじゃないんだ。本当に君を励ましてあげたいから言ってる」


「……本当かな……」


 眠気が本格的にやって来始めた。


 まどろみの中で、アタシは声を絞り出す。


 青宮君は、そんなアタシの状態を察して、


「おやすみ」


 なんて一言。


 でも、その一言を聞いて安心した。


 眠る直前、誰かに優しく「おやすみ」なんて言われるのは本当に久しぶりだから。


 今度、つくしにも言ってもらいたい。


 二人きりでお泊り会したいな。


 青宮君ともこうしてしたわけだし。






 ……そうやって考えているうちに、気付けばアタシは眠りに落ちていた。


 夢の中。


 草原に立っていたアタシは、なぜかつくしを必死に追いかけてる。




 ――待って!




 叫んでみても、つくしは立ち止まってくれなかった。


 いつものつくしじゃない。


 いつもだったら、アタシが名前を呼ぶと立ち止まり、笑顔で振り返ってくれる。


 それをしないということは、追いかけている彼女はつくしじゃなかった。


「……あなた……誰……?」


 問うと、ようやくつくしと思しき人は立ち止まり、アタシの方へ振り返る。


 こちらへ向けた顔。


 それは、見たことのない人で。


 アタシは、つくしじゃない誰かを必死に追いかけてたことに気付く。


 だったら、本当のつくしはどこ?


 疑問符を浮かべても、答えは当然返ってこない。


 訳がわからなくて、うなされていたアタシは、深夜の三時半に一度目を覚ました。


 床の上で毛布をかぶり、青宮君はすっかり眠ってる。


 寒いけど、布団から出て水をコップ一杯分飲み干した。


 それから、ぽつりと名前を呼んだ。


 つくし、と。


 どうか、どこにも行かないで。


 そんな思いを込めながら。






●〇●〇●〇●






 そうして、朝。


 アタシはいつもより少しだけ早く起きて、学校へ向かった。


 申し訳ないけど、青宮君も同じタイミングで登校してもらう。


 部屋の鍵を閉めないといけないし、さすがに彼一人を残して部屋を空けられない。


 信用はしてるけど、一応だ。色々、匂いとか嗅がれるのも嫌だし。


「――本当、ごめんね青宮君。アタシの都合に付き合わせて」


「いやいや。そんなの君が謝ることないし、何なら僕は先川さんに感謝しないといけないくらいだ。ありがとう、泊まらせてくれて」


 にこりと微笑を浮かべながら言う青宮君。


 彼はそのまま自分の教室に入って行ったんだけど、別れ際の最後まで、アタシの背中を押すような言葉をくれた。


「姫路さんが浮気してたら、迷わず僕のところに来ればいいよ。後悔はさせないから」


 ちょっとセクハラっぽいことも言われたけど、それは冗談だ。


 つくしのことはアタシが一番よくわかってる。


 昨日のアレは事故。


 そうに決まってる。


「…………間違いない。間違いないよ……」


 不安を押し殺すかのように呟き続ける。


 そうしていると、次第に教室に人がたくさん入って来始め、お目当てのつくしも登校してきた。


「つくし……!」


 アタシはすぐにつくしの元へ行く。


 行って、開口一番お願いした。


「訊きたいことがあるの。ちょっと人のいない場所、行こう?」


 つくしは、何かを察したのか、なぜか表情を暗めた。


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