「つくし……! ご、ごめん、ちょっといい……?」
朝。
教室に入って、カバンを自分の席に置き、真っ先につくしの元へ行く。
「は、春。おはよ。どうかした……?」
どことなくぎこちない。
やっぱり、昨日のことが頭にあるのかも。
直接聞くのは勇気がいる。
だけど、ここで二の足を踏むわけにはいかなかった。
意を決するようにして、アタシは言葉の続きを口にする。
「訊きたいことがあるの……。さすがにここじゃ無理だから……いつもの空き教室……行かない?」
アタシの提案を受けて、つくしは一瞬言葉を詰まらせ、やがてチラッと別の方を見る。
そこには、尾上さんがいた。
彼女も、少し不自然にアタシたちの方を見てる。
「……ごめん。先にどんな話なのか、こっちから訊いてもいい?」
「えっ……?」
「あ……えっと、ほ、ほら。なんか春、神妙な感じだし。私としても気になるというか……」
二つ返事でオーケーされるかと思ってた。
少し戸惑ってしまう。
どんな質問か。
直接的な表現はどう考えてもできない。
どんな言い回しがいいか、5秒ほど考えて、アタシはつくしに伝える。
「昨日のこと……かな? 尾上さんたちと遊んでどうだったか……みたいな」
「……あ、あぁ〜。尾上ちゃんたちと遊んで、かぁ〜」
明らかにいつもとは違うつくし。
動揺が見て取れる。
「でも、それってここで話してもよくない? わざわざ空き教室まで行くことかな?」
「え……?」
「あ、私、まだ今日の授業の予習できてなくてさ。何だったら春、教えてくれない?」
「えっ、で、でもアタシ……」
「ていうか、昨日は私がいない間に青宮君と二人きりで勉強してたんでしょ〜? 妬けちゃうな〜」
誤魔化そうとしてる。
たぶん。本当に何となくだけど。
つくしはアタシが訊こうとしてること、推測できてるんじゃないのかな。
木下君か、間島君か。
二人のうちのどちらとキスをしたのかはわからない。
やっと同じ気持ちで悩みを共有できたばかりなんだ。
問題なんてもう起こらない。
何もなくて、アタシはただ変わってしまった自分の体に向き合えばいい。
そう思っていた矢先にこれだ。
有耶無耶になんてしたくない。しちゃダメ。
逃げようとして、作り笑いを浮かべるつくしを見つめる。
そして、アタシは自分の席までメモ用紙とペンを取りに行って、つくしの席まで戻ってから、訊きたかったことをその紙に書き込んだ。
「は……春……?」
疑問符を浮かべるつくしだけど、アタシはそれを無視してひたすら文字を書く。
書き切ったものをつくしに見せた。
『昨日、いったい誰とキスしてたの?』
つくしの表情が一気に強張る。
青ざめてる表情なんて初めて見るかもしれない。
ふるふると首を横に振って、つくしは何かを否定しようとした。
「ち、違っ……は、春……! ていうか、やっぱり見て……」
「……うん。見てた。たまたま。青宮君と勉強してた帰りに」
「っ……」
唇を噛み、泣きそうな表情になるつくし。
訳アリなのは明白。
「……お願い。何も隠して欲しくないよ。あったこと、何でそうなったか、ちゃんとアタシに教えて……?」
「は、春……」
「アタシ……つくしを信じてるから……」
「……!」
挙動不審気味だったつくしの視線が、ようやくちゃんとアタシと合った。
これで全部を話そうと決心が固まったような、そんな表情だったのに、だ。
「さ、先川さん……? どうかした……? つくしちゃんと何か揉めてる……?」
尾上さんがアタシたちの元までやって来て、問いかけてくる。
「う、ううん。……揉めてはない、です。ただ、つくしに訊きたかったことがあっただけで……」
「えっと……何かな? 訊きたかったことって。差し支えなかったら教えてもらえる?」
どうして?
即座に頭の中で疑問符と文字列が浮かぶ。
尾上さんは、アタシとつくしの仲には関係のない人だ。
アタシの訊きたかったことなんて教える義理は一つもない。
「……っ」
あなたには何の関係もない。
突き放すような、そんな一言が気兼ねなく言えたらどれだけ楽だろう。
でも、アタシにそんな勇気なんてあるはずがなくて。
「……ごめんなさい。ちょっと言えなくて……」
控えめにこんなことを言って、ただ身を引くしかなかった。
最悪だ。
せっかくつくしにキスのことをちゃんと訊こうと思ってたのに。
「は、春……!」
走り去るアタシを呼び止めるように、背から声を掛けてくるつくしだけど。
立ち止まれるはずのないアタシは、そのまま教室から出て行くしかなかった。
●○●○●○●
その後、教室から出はしたものの、アタシは朝のホームルームに間に合うよう席へ戻った。
つくしは何か言おうとしてこっちを見てくるけど、始まるホームルームと挨拶に流され、ちゃんとアタシの名前を呼べない。
一限の授業の合間には、こっちからまた声を掛けようとしてみるけど、尾上さんがつくしを守ってるみたいで、なかなか話しかけられなかった。
本当に何でなんだろう。
尾上さんの行動理由がわからない。
邪魔しないで欲しかった。
嫌な感情が頭の中を埋め尽くす。
本当に色々うまく行かない。
自分が呪われてるんじゃないか、と思うほどだ。
体が男子化したところから、つくしと付き合えたのはよかったけど、色々と他の問題が発生し過ぎてる。
何でもかんでも青宮君に相談するっていうのもできない。
昨日のことが首を絞めてた。
彼も彼で、アタシのことを考えながら色々悩んでる。
近いようで、距離があった。
どうしたらこの距離を本当の意味で詰められるんだろう。
難しい……人間関係って。
「……はぁ……」
時間は流れて、昼休み。
アタシは、一人で体育館裏の日陰でお弁当を広げてる。
つくしは、尾上さんが奪って行った。
別のクラスの教室かどこかで、木下君や間島君も含めた4人でご飯を食べるらしい。
久しぶりのぼっちだ。
アタシの本来あるべき姿。
男子化して間もない時も、こうやってむなしく昼ごはんを食べてたっけ。
ストーカーしてくれてる青宮君も今日はいない。
ストーカーと言っても、すごく粘着してくるってわけでもないから。
基本的に、アタシはつくしがいないとぼっちなのだ。
友達も、二人以外いない。
根暗で、思ったことや言いたいことも、よっぽどのことがないと言えない。
そんな人間……。
「…………ぐすっ」
気付けば、勝手に涙が出てくる。
もっと器用だったら、色々他の人に頼れて、上手く生きていけてるのかな。
わからない。
人が周りにい過ぎるのも、アタシにとっては疲れる種にしかならないかも。
そう考えたら、本当にどうしようもないなと思う。
口の中に入れたウインナーは、いつもより味が淡白なように感じた。
「……いいや。ゆっくり食べて、ギリギリで教室戻ろ……」
すぐに食べて戻ってもどうせ一人だ。
それなら、いっそのことギリギリでいい。
つくしにはLIMEのメッセージを送って、夜に電話をかけてみよう。
そう思い、スマホの電源を点けた矢先だった。
「寂しそうな昼ごはんだね、春ちゃんやい」
背後からいきなり声を掛けられる。
びっくりして、思わず持っていたスマホを地面に落としてしまった。
「あっ! おいおい、大丈夫か? 画面割れてない? 驚かせちゃったか!」
そこにいたのは松島さんで、落としたスマホとアタシのことを心配してくれる。
浮かべていた涙も焦って袖で拭いた。
なんでこんなところに彼女がいるんだろう。
「ご、ごめんなさい。びっくりするつもりはなかったんですけど……」
「いやいや、謝んなくていいよ。なんか色々朝から大変そうだったから。心配だったんだよね。春ちゃんのこと」
春ちゃん。
アタシは、基本的につくし以外の人から名前で呼ばれることはない。
だから、その呼ばれ方には慣れないものがあった。
少し気恥ずかしくて、でも嬉しい。
「まあまあ、とりあえずさ。横いい? 今は私一人だけだし、ちょっくら話さない?」
「え……」
「ああ、もちろん嫌ならいいよ? 断られたってなんだコイツ! なんて思うこともないし、いきなり話しかけたのは私だからね」
いつもの元気な口調とは違う、優しいものだった。
突然話しかけられて驚きはしたけど、会話するのを断るとか、そんなことまではしたくない。
「……お願いします。お話、させてください」
アタシが頭を下げると、松島さんは笑った。
そんなに畏まることないよ、と。